死を望む人が死ねる権利・安楽死は必要か
※私自身重たい話と考えてないため気軽に読んでいただきたい。今回は主観的な意見を多分に含みます。
日本ではなかなか議論が進まない安楽死や尊厳死。
その必要性について日頃よく思考する。
結論として私は安楽死は必要だと考える。
私自身実際に安楽死を望んでいる人間ではあるが、それを抜きにしても安楽死という制度は必要だと思う。
なぜなら死ぬ苦痛を上回る生きる苦痛があると考えるからだ。
例として何故私が安楽死したいかを書いておきたい。
まず冒頭にあるように別に重たいと思っていないので”へ~”くらいで読んでいただければ大丈夫です。
早速理由だが、単純にXジェンダーとして生きていくには個人的にしんどすぎるという理由にある。
LGBT法案の関連でよく挙がる、日本はLGBTQに差別はなく寛容な国だ的な意見で「世界には同性愛者ってだけで死刑になる国だってある」「それと比べたら日本はLGBTQに寛容だし同性愛も禁止してない」みたいなのがある。
確かに同性愛に関して禁止はされてはいないしBLや百合の文化はあるが、だからと言ってLGBTQに寛容だということにはどう考えてもならないだろう。
作品として寛容的というだけであって実際のリアルなこととしては私はこの国は全く不寛容であると思う。日本人特有の感じで表面上は皆寛容そうな風を装っているだけのように感じる。
SNSやYouTubeのコメント欄とか読んでいても、そう感じる。
「差別しないように受け入れてるつもりではあるけど、いざ自分の子供がLGBTQだったらやっぱ嫌だよな」「口では受け入れてると言うが、自分の子供がそうだったら教育なり病院行くなりしてどうにかしてでも治療するわ」というコメントも散々見てきた。
Twitterなどでは差別はないという主張をしている人がいるが私はマイノリティ当事者として確実に差別はあると感じている。
ただそこに居るというだけで全く面識のない人間から「キモい・死ね・最悪」などと言われることがあるからだ。
私が経験した差別の一つを例に挙げる。
コンビニでレジ待ちをしているときだった。
私は普段からマスクしててメイクも服装もかなり女性っぽいほうなので喋りさえしなければ分からないほうだと思う。
そして自分が会計の番になったとき店員からレジ袋は必要か尋ねられ、いるにしてもいらないにしても喋らないといけないわけだが、私はレジ袋をお願いした。すると私の声を聞いた後ろに並んでた20歳前後に見える若い兄ちゃん2人組が「うわこいつ男じゃキモ」「こういうやつ死ねばいいのに」と話しているのが聞こえた。私は言われ慣れていると言えば慣れてるほうなので無視して会計を済まして車に戻ったのだが会計中の彼らはずっと私のほうを見ながらニヤニヤしていた。
前の記事にも書いたが、地域差があったりするかもしれないがこういうことがあまりにも多すぎると私は感じるのだ。色んなとこでこういった経験をする。
そういったストレスが日々蓄積されていくのだ。私は幸いにも精神的にはかなり強いほうだと自覚している。しかしながらいつしか私の精神も耐えられなくなる時が来ると確信している。今現在でもかなりキツいと感じてはいるがまだ耐えれる範囲だ。そして自分の精神が耐えられなくなる時期だが、自分の中で明確に分かっている。40代半ば(現在29歳)までには限界が来るという感覚が社会人になってからずっとあり、その直前にはこの世を去りたいとずっと思っている。
私は自死ではなく安楽死という形にこだわりたい。そして安楽死するためスイスに行く人もいるが、しかしながら私は日本での安楽死にこだわりたいのだ。愛国心から来る感情なのだが、私は私の愛するこの日本の地でこの世を去りたいと考えている。
そして私は自死を極力避けたい。
理由として自死というのは必ず誰かにとっての迷惑になるからだ。
どういう死に方にしろ自分の遺体を見つけた人は通報しないといけないだろうし警察やパトカーが来れば近隣への迷惑になると思う。事前に警察に自死の旨と場所を伝え遺体の処理をしてもらうのも警察への迷惑になると思っている。人様に迷惑をかけて死ぬのはどうしても避けたい。
そしてこの避けたい理由こそが安楽死という制度の必要性に繋がる。
もしも安楽死が認められていたらどうだろうか。
全くの0にはならないだろうが、安楽死制度を利用することにより確実に自殺者は減るだろうと考える。
私が自殺で問題視しているのは、例えばビルからの飛び降りだと下にいる人間を巻き込む可能性があるのとそれを間近で見てしまった人(主に子どもなど)に強烈なトラウマを植え付けることになるのではないかということだ。線路などへの飛び込みも同様の理由で問題だと思うし、電車を利用する何千何万人への遅延の影響が出てしまう。
これらの問題を少なからず緩和できるとしたら安楽死という制度は社会にとっても十分なメリットにならないだろうか。
海外の安楽死するまでの厳しい基準があることも私は理解している。
例え日本で法制化できたとしても自分自身が安楽死する基準をクリアできるかはわからないが、上記の理由から安楽死制度の必要性があると考える。
話は少し変わるが、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは死刑を言い渡され、最期は刑を受ける前に毒を飲み自殺をした。実際ソクラテスが何か悪いことをして死刑を言い渡されたのかと言えばそうではない。何も悪いことはしていなかったのだ。しかしながら何故彼は死刑を受け入れ自殺をしたのか。
私は、彼は「自分がここに住んでいる以上この国の法に従うのが善良な国民の務めだ」と考えていたのではないかと思う。悪法も法だとし、自身の教え子からは逃げるように言われても、それはソクラテスの中では法に反することだったのだろう。死刑を言い渡されたのならそれに従うことがその国で生きている自身の務めだと。
私はそう解釈している。
私自身なるべくこの国に暮らす善良な国民として相応しく、善く生きているつもりではあるが、自分は日本にとって相応しい人間ではないのではないかと考えることがある。
それは私が同性婚法制化に賛成だったりジェンダー平等を目指すべきと考えていたり、現状のLGBT法案では疑問点があるが必要だと思っているからだ。私は決してリベラル側の人間ではないがこれらは必ず必要だと考えている。しかしSNSを見る限り反対派の意見が強いように感じる。
これだけLGBTQに否定的な意見が多いと自分はこの国に相応しくないのではないかと感じてしまう。
この国がLGBTQに不寛容なままなら私はソクラテスに習い、自分はこの国に相応しくない者だと受け入れ、喜んでこの世を去るという選択をするだろう。それがこの国に生きる国民としての最善の務めだと個人的に感じるからだ。だから死に対する恐怖心も人より薄いのだろう。
いつもと違い主観だらけで、下書きを何度読み返してみても纏まり悪く酷い文章だなと自覚しながらもこのまま投稿してみる。今回はこのあたりで。
”一番大切なことは、単に生きることではなく善く生きることである”
ソクラテス
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