ゴッホの人生を考察したい
こんにちは。あすです。
前回のnoteを書き、スタエフを撮ってから抜け殻のようになってしまいました。
今月は2記事作るぞ!と意気込んでいたのに、未だ1つも書けていません。
そんな時、ある人生に触れて「これはnoteに書きたい…」という感情が溢れて今(4/19現在)に至ります。
みなさんはゴッホを知っていますか?
え、当たり前?
私はほぼ知らず、先日ゴッホの世界と出会いました。
ゴッホの人生
今開催されている、動くゴッホ展。
ゴッホの絵をベースにデジタルデザインされた絵画が掲載されています。
ゴッホの絵はなんとなくカラフルなイメージを持っていたのだけど、初期の絵を見るとそうでもない。
出会った画家仲間たち、心境の変化。
この出会いで変わっていたゴッホは、私にはどこか無理をしているようにも見えました。
もしくは今までが我慢していて、我慢が爆発した方かもしれない。
しかしこの出会いがなければ、有名な絵たちは生まれなかったのかもしれないと思うと、どちらの人生が彼にとって良かったのだろう…と考えてしまいます。
そのあとも実らぬ恋が続くんですね。
人間不信にならないのだろうかとも思うんですが…自殺未遂事件を起こしているゴッホは自暴自棄でストレスがかかっていたことでしょう。
行動は衝動的にも思えます。
彼は次々と住まいをかえ、その都度同居人とはうまく関係を築くことができずに離れていきます。同居人の中には最期という時まで近くにいた弟も含まれていました。
ふらっと訪れてそのまま同居…私なら戸惑いそうです。
画家という職業を手にしたことで没頭していった彼は周囲をどう見ていたのか。弟には死ぬ間際まで手紙や絵を送っています。
アルルという町で出会った郵便局員のルーランは、彼を友人といいます。
ゴッホの周りには彼を助ける救いの手があったように見えました。
が、彼は常に一人で考え、悩み、最期は自らを拳銃で撃って苦しんだ末に亡くなります。
彼は絵に出会った時、どういう気持ちだったのでしょう。親を亡くし、お金を稼ぐことで弟の助けになれる、と思ったのかもしれません。
それとも以前から持っていたストレスを発散する手段が絵を描くことだったのかな。
拳銃やナイフを手にした時、それが正義だと思ったのかな。
(ナイフで傷害事件を起こした時、彼は
「みんなのためになると思った」と話したそうです)。
ゴッホに聞くことは出来ないので想像になりますが、自分の中のルールに溺れて苦しんでいたように思えました。
表と裏
彼は、3本のひまわりが描かれている絵を描いています。
有名らしいからみなさん知っているのかな?(私は知らなかった)
ひまわりって本数で花言葉が違うらしいです。
1本は「一目ぼれ」、3本なら「愛の告白」。愛を伝えるワードが並びます。ダークな人生を見た後にほっこりしますね。
一般的には「あなただけを見つめている」「崇拝」「情熱」など。
一方で西洋では「偽りの富」「偽の金貨」という意味もあるそうなんです。
ゴッホはひまわりを見て、何を表現したかったのか。
きれいに咲く花にも表と裏がある。
かならずしもきれいなものだけとは限らない。
そう言いたかったのか。私はぼーっと見てゴッホの感情を考えていました。
才能があったと言われる文豪たちの中には自死を選ぶ人がいます。
繊細ゆえに苦しくなり、繊細だからこそ才能あふれる作品が作れたのだとしたら、こんなに複雑な思いはありません。
じぶんの才能とじぶんでは止められない負の感情。表と裏を最も恐れていたのは、絵を描いた彼自身なのかもしれません。
誰かの人生と感情を意識する
ここまで書いて、私が感情を意識していることに改めて気づきました。
どんな心境でこの絵を描いたのだろう?この時の出来事から、このように考えて絵に表現したのではないか?
なんでだろう?考えているうちに、ギバーさんのプラスの部屋が最高潮に気になってきます。
ノックをするなら今だ。今しかない。
そうして私は「やっほー」と軽い気持ちで扉を開けるのです。
軽い気持ちでノックしたら予想外の自分に出会い、自身の感情と向き合うことになるのですが、これは次回のnoteに。
またね。
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