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お年寄りもサラリーマンも小学校の先生も、誰もが「表現者」になれる世界
書き手:Sakurako
2020.8.8(日)タンゴ界では最も知られているトップダンサー、セバスチャンアルセのWSをオンラインで受けた。
こういうものは、その場では120%の集中力で聞いているつもりでも、1日経ったら50%くらい大切な要素が抜けてしまうような気がする。
1週間も経てば、残ってるのはセバスチャンの言葉だけで、その時自分が感じたこととか、セバスチャンが伝えようとした形にならないものとか、そういうものが記憶からストーンと落ちちゃうような気がする…
なので忘れないうちに、メモ、メモ。(←ここから始まるのは、8月8日、レッスンを受けて3分後に書き上げた感想です)
いちばんに感じたことは、タンゴは、誰もが芸術家になることが許されるダンスなのだなということ。(ヒップホップもバレエも書道だってそうなのかもしれないけれど、そっちのほうは経験してないからなんとも言えない。笑)
彼が言うには、「踊ることは、生きるか、死ぬかなんだ」と。
曲が鳴って、目の前にパートナーがいて、その時、その場の自分の感情を、良い面も悪い面も全部ひっくるめて、はじめの一歩に全てを込める。
(あと、ここまで言ったわけではないけど)この一曲が終わったら死んでもいい、そのくらいの渾身のエネルギーを一曲に込める。(くらいの気概を彼の口調から感じ取った)
…こんな瞬間、果たして日常生活を送っていて何度来るのかな。少なくとも、掃除をしている時、料理を作るときにここまでのエネルギーは使わない。
セバスチャンはワークショップの中で、こんなことを私たちに提案した。
「今から僕が言うことを、想像しながら、その通り実行してみてね。あなたはタンゴの衣装に着替えて、目の前にはパートナーがいて、音楽が流れる。その中でアブラッソを組んで、はじめの一歩を踏み出すんだ」
オンライン画面でみんなが指示通りに動く。その後、彼は言う。
「いま、あなたはどんな衣装を着てた?」
「パートナーは、どんな香水をつけてた?」
「どの楽団の、なんの曲が流れてた?」
想像して、踊るってこういうことなんだ。何となく相手を想像して、何となく一歩を踏み出すわけじゃない。
匂い、感情、色、空気、自分の想像できる全てをイメージして踊る。
実際、セバスチャンが画面上で見本を見せてくれたんだけど、これがすごい。
めっちゃ明るい真っ白の室内で、寝癖ピンピン、しかも(乳首が若干透けそうな)ギャルソンの白シャツってラフな格好だったのに、何かのスイッチが入った瞬間、目の前には金髪でタイトドレスのパートナーがいたし、照明は仄暗くて赤っぽい感じだったし、彼も黒いスーツに身を包んでいた(少なくともワタシにはそう見えた)
シャドー練習を極めると、ここまでになるのか。
そういえば、マンガ『範馬刃牙』でも想像上の巨大カマキリを相手に戦う章があったっけ…
今の自分じゃ血の汗かいてもあそこまでのシャドー練習はできない。
タンゴって、ショータンゴじゃない限り、運動量が多いわけじゃない。誰でも踊れるダンス。
たった、一歩。
だけどあの一歩の重み、プレッシャーはずっとずーっと練習しないとできない。
日本人にわかりやすく例えたら、死の直前に、周りの人間を自分の世界に巻き込む渾身の一句を書き残す、そんな感じなのかな。
それがタンゴの場合は一曲、二曲と続く。
たしかに困難な道ではあるけれど、「平均台の上で三回宙返りしなさい」とか、「20分間水の中で呼吸を止めなさい」とか、そんな話じゃない。
言ってしまえば、誰だって到達する可能性のある世界なんだ、と。(もちろん簡単じゃないことは百も承知だけど)
だから、タンゴはその二本の足で、誰もがアーティストになれる踊りなのだと思った。
オンライン受けてて、「目の前で実際に組んでみて、あの質感を感じてみたいいいいい」とハンカチ噛み締めたけど、今はガマンの時期。
(‥セバスチャンに言わせれば、イメージする力をもっと培えば、オンラインでも組んで踊るだけの経験値を得られるのかもしれないな)
今話してることは、WS内容のほんの二割くらい。まだまだ話し足りないけれど、この辺で。
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