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生きづらさをかんじて。逃げ出したからこそ伝えられること。

近年、ダイバーシティ(Diversity)多様性という言葉をよく目にするようになった。「ダイバーシティ、多様性とは?」といったことをテーマにして様々な論が飛び交っている。少し上から目線だが、どんどん議論してくれ、と思うし、相手の意見を否定しないという心は忘れないでほしいと願っている。

さて、多様性という言葉を聞いて子どもの頃、他人と意見が違くて生きづらさを感じていたことを思い出す。
常になんでだろう、という疑問を持っていた。目の前の答えが正しいと言われても納得できなかった。大人に質問しても納得できるような答えをもらえなかった。

後々「適当に他人と合わせる。正しいと言われたら"なぜ"は考えない、正しいと思い込む。」ということを学び実行したのだが、モヤモヤを抱えていた記憶は強い。

4姉妹の長女として育ったのだが、家では自分の意見を言うことを制御していたからか、口下手で説明という行為が特に苦手だった。
学校では多数派と違う意見を持つことが多かったのだが、頭の中では形になった何かがあるのに、それをうまく言葉で表現できなかった。少数派にいると意見を求められることが多いのだが、それをうまく表現できないと「早くしろよ」「またこいつかよ」的な空気を感じた。
面倒臭さから逃れるために、自分を表現することを諦め、様子をみて多数派の意見に合わせるようになっていっていた。
そうすればすべての事がスムーズに進み、なにより自分が傷つかなくて済む。

「民主主義」「多数決」を謡う日本の社会では他人と違う意見を言うと異人、変人、除け者扱いを受ける。適当に他人と意見合わせて同調する。そうすれば比較的生きづらさは誤魔化せるのだ。しかし生きづらさは誤魔化せても、自分の存在、存在意義というものに疑問が湧いてくる。ふっと、ずっと押し殺してきた感情の存在に気づくのだが、気づいたときには引き出し方がわからなくなっている。

幸いなことに私には転機が訪れた。26歳の時ワーキングホリデーでオーストラリアで1年間生活した。初めての海外生活には苦労したこともあったが、毎日違う新しいことを見たり、経験したり、想定外の事が起こったり、日本では考えられないようなびっくりする意見を言う友人にであったり、とにかく刺激的な日々を過ごした。

その後色々あって沖縄、フランス、現在はカリブ海。

オーストラリアとフランスを比べるとフランスの方がこれまたレベルアップして刺激が強めであった。まさに多様性。
簡単なことばかりではないけれど、自分にとっては今住んでいるカリブ海は心が穏やかに過ごせる場所と言える。

アジア人がほとんどいないところで生活しているので、指をさされることもある。子供に差別的なことを言われたこともある。しかし話してみると「知らないから」とか「物珍しくて」というような意見が今のところ多い。
なので、私が経験した人種差別的発言は悪意がないものばかりなので人種差別と認定することはやめている。
「人種差別発言は良くない」とSNSで大きく問題になることもあり、言ってはいけないワードなども並べられている。
もちろん有名人など影響力のある人たちの失言、差別的な態度などはある程度注意するべきかもしれないが一般人の失言にはある程度寛容になるべきかと思う。あんまり簡単に傷つきすぎるのも良くない。誰が悪い、悪くないといがみ合ってもなにも解決しない。
人間同士仲良くしましょう。

生きにくさを感じていたり、いじめで悩んでいる子供たち、親御さんがいたら、とりあえず環境を変えてみて、日本から出てみて(オンラインでもオフラインでも)出すことを手伝ってあげて、と言いたい。

言語を変えたコミュニティに入れば世界は全く違うものになる。オンラインなら今すぐにでもできるし、留学コストの削減もできる。

私自身はオフラインの選択肢をしたが、今は他人と同じ意見でなくても人生が楽しくなっているし、心穏やかに過ごすことができる。
フリーランスという仕事のスタイルもあっている。

ちなみに今は周りの目を気にすることがないので、足が太かろうが36歳だろうが体系も年齢も気にせずショートパンツを履いて出かけるし、ブラの線を見せながらタンクトップを着ちゃうし、時にはノーブラでも出かける。
出産を経験しているけれど、水着はビキニしか持っていない。
「女子力がない」とか「年甲斐もなく」なんて批判するひともいない。
私が他人と違う意見を言っても「へー!そういう意見もあるのね」と肯定も否定もされずに一意見として公認される。
アクセントがあって完璧とはいえないフランス語を話しても「あなたが言いたいのはこういうことでしょ?」と一生懸命聞いてくれるフランス人には感謝している。
今は他人と全く違う生活、意見を持っていることが、個性となってうまく機能しているといえる。そして精神衛生はかなり良い状態だ。


多様性を議論できる世の中になってきたものの、まだまだ始まったばかりであり、浸透するには時間がかかる。子どもたちが私の幼少期の様に生きづらさを感じないように、感じた時はまず外に出てみて、環境を変えてみてほしいと切に願うのである。


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