見出し画像

夏〈僕〉

ー〈僕〉が、自由に綴るやつをやってみたかった。ー

 とあるツテでピアノのコンサートに行ってきた。しかし僕はピアノをはじめとして、クラシック音楽の知識が何もない。コンサートなのか、コンクールなのか、リサイタルなのか、何が正しいんだかもわからないんだけど、とにかく行ってきた。この記事ではコンサート、と呼ぶことにする。

 僕は昔から好奇心旺盛だし、機会さえあればこのように知らない世界でもホイホイ飛び込んでいく。あ、でもシャイではあるからほんとうにいい機会に恵まれた時だけ、なんだけど。

 そんなわけですげー人のピアノを聴いてきたわけだけど、その経験は、結論から言って、こころにしみじみとした趣(もののあはれと言う)を残したんだ。これってすなわち、よくわかんなかったとも言う。

 まあ、いい経験だったから、備忘録を残すつもりで、noteにその日のことを書いてみる。

 その日は夏の天気って感じで、よく晴れて、雲が大きくて、ジメジメしてた。僕は夏が好きだから、全然嫌じゃない。夏だなー!と思ってウキウキするくらいだ。

 正しく電車を降りて歩いて目的地に着く。始まるまでまだ時間があったから、連れの人と近くの建物の中で涼んでいた。「会場時間から開演時間まで45分も間があるよ!」なんていう話をしていたと思う。

 頃合いでホールに向かう。途中、うおっという声がして、そちらをみたら、大人が蜂を大ぶりな動作で避けていた。そして、あろうことかその蜂は、こちらに向かってくるではないか! 一瞬しかその姿を見ていないけど、僕はキイロスズメバチだと判断した。だって、ただのスズメバチと比べて黄色成分が多めだったから。

 蜂は動体に反応するという話を聞いたことがあったけど、突然のことに、体は静止するどころか、同じく大袈裟に動いてしまう。いままで蜂と衝突しそうになったことは幾度かあるけど、静止できた試しなんてない。いつも大きく動いて、ああこれは刺されたな、と覚悟を固めるんだ。

 今回もその例に漏れず刺されたなと思った。しかしくるはずの衝撃は来なかった。連れの人の「もういないよ」の声が聞こえて、僕は再びジメジメした夏の日常に帰ってきた。それで無事にホールに入った。

 コンサートは語りと演奏の二部構成だった。メインは外国人のすげーピアニストだから、語りのところには通訳が入っていた。

 すげーピアニストはおじいさんで、ボソボソ喋っていて、なるほどわからない。それで通訳の声を聞こうと思ったら、通訳もボソボソ翻訳していて、断片的にしかわからない。何も口調まで、通訳することないのに。僕は「プロの技を見た」という皮肉を思いついた。それで、安心して少しばかり眠っていた。

 長めの休憩があって、演奏に入った。拍手で迎えた。僕は拍手が得意だという自負がある。たとえば入場の時、なんていうか、心もちゃんと歓迎の心をしている。手を動かしているだけじゃなく、ね。

 僕の素晴らしい拍手を受け取って、演奏が始まる。プログラムがパンフレットに書いてあったから、それを辿りながら、ああこれはロ短調のナントカ、これは嬰ヘ長調のナントカというんだなと思いながら聴いていた。しかし名前がわかったところで何にもならないと気づいて、純粋に心で楽しむようには意識していた。言語で理解しようとしてしまうところが、僕の悪いところである。

 僕の席からは演奏者の手もとが見えなかった。だからすごい複雑な旋律が聞こえた時、手もとをとても見たくなった。仕方ないから目を瞑って想像する。低い音が細かく鳴っていて、メインの音がポツリポツリと鳴ってるなと思うと、なんとなく両手の雰囲気が想像できた。もちろん運指とか音程とかはわからないんだけど。でも、そうしてるうちに、意識を手放してしまった。

 しばしば僕にはこういうことがある。本を読んでいても、ふと一単語に目がいって、そこから想像が広がって、あれ気が付いたら眠っていたなんて、よくある。ショート・コントみたいな感じで、瞼の幕が降りて、ショート・ドリームが始まるんだ。ただし始点は現実だから、僕自身は夢だなんて思っていない。だから、「寝てたでしょ」なんて言われると違うような気がしてしまう。「想像の世界に短期間拉致されていただけです」なんて、とても言えないけど。

 何度かのショート・ドリームを挟みつつ、8割くらいはしっかり聴いていた。これは、2割は不真面目に聴いていたということではなくて、8割覚醒した状態で聴いていたということだ。くわしく言うと、「8割しっかり」ではなくて、「8割聴いていた」ということだ。

 コンサートが閉幕して、僕には、しみじみとした余韻が残った。すげーピアニストの演奏がたっぷり聴けて、ああよかったという感じだ。音楽の好き嫌いは言えても、良し悪しは言えないなあと思った。これは大体の物事に当てはまる。料理も、絵画も、短歌も。しかし言語にできなくても、心は確かに動いた。その、些細だが確かな感覚、それを忘れないでいればいいんじゃないかな。

 ホールの外に蜂はいなかった。ホッとした。

 そのあと、しこたま呑んだり、ウヤムヤして帰った。夜になってやっと、Tシャツで快適に過ごせるくらいの気温になる。家の近くまで帰った時、蝉が2匹くらい鳴いていた。まだ夏の序盤だから、たぶんニイニイゼミだ。夜が、街灯とかで明るくなってから、夜でも求愛を続ける蝉がまあまあいるんだ。不自然な気もするけど、僕は賑やかな夜が好きだから、嬉しくなった。
 
 それで僕は、賑やかな夜に、お気に入りの歌を口ずさんで、まるで自分が人生の主役みたいに考えながら、帰った。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?