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宮沢賢治と宇宙(68) 賢治は銀河鉄道から太陽を見たのか?
夜を駆け抜ける銀河鉄道
宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』。この童話に出てくる銀河鉄道は夜行列車だ(表1)。
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なお、銀河鉄道の出発地はジョバンニが町外れの丘の上で見た「青い琴の星」にしてある。これについては以下のnoteを参照されたい。
『銀河鉄道の夜』に出てくる太陽
『銀河鉄道の夜』を読み返していたら、ちょっと気になる言葉に出会った。それは「太陽」だ。夜行列車に乗っていて、どうして、太陽が出てくるのだろうか? その箇所を見てみよう。
川下の向う岸に青く茂った大きな林が見え、その枝には熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずきれいな音いろが、とけるように浸みるように風につれて流れて来るのでした。
青年はぞくっとしてからだをふるうようにしました。
だまってその譜を聞いていると、そこらにいちめん黄いろやうすい緑の明るい野原か敷物かがひろがり、またまっ白な蝋のような露が太陽の面を擦めて行くように思われました。 (『宮沢賢治全集7』ちくま文庫、1985年、277頁)
問題は最後に出てくる表現だ。
まっ白な蝋のような露が太陽の面を擦めて行く
これはいったいなんだろう?
地上から見た太陽ではない
地上から太陽を眺めると、太陽の面を見ることはできない。まぶしすぎるからだ。そもそも、肉眼で太陽を見たら、眼を痛めてしまう。注意しよう。
まっ白な蝋のような露が太陽の面を擦めて行く
いずれにしても、こういう太陽の様子を地上から見ることはできない。
では、賢治はどこでこんな景色を見たのだろう?
もちろん、『銀河鉄道の夜』は童話なので、実際に見たことのない景色を書いても問題はない。それにしても、具体的な表現なので、感心してしまう。
幻夢
賢治は幻夢を見る傾向が多かったことが知られている。特に体調を崩したときに、その傾向が現れたという。
大正三年(1914年)、賢治は盛岡中学校を卒業した。十八歳のときだ。この頃、賢治は肥厚性鼻炎を患い、盛岡の岩手病院に入院した。大正三年四月に詠まれた「病院の歌」の中に、不思議な短歌が二首ある。
短歌番号159
なつかしき地球はいづこいまははやふせど仰げどありかもわかず
短歌番号159
そらに居て緑のほのほかなしむと地球の人のしるやしらずや (『【新】校本 宮澤賢治全集』第一巻、筑摩書房、1995年、24頁)
まるで賢治は地球の外に居て、まるで天の川の中に浮かんで地球を眺めているような短歌だ。別に賢治が嘘をついているわけではない。幻夢で見たと思ったもの、そして共感覚で得たイメージ。単に、それらを心象スケッチとして紡いだだけなのだろう。
まっ白な蝋のような露が太陽の面を擦めて行く
これも賢治の幻夢だったのだろうか。
そのとき、賢治はたしかに銀河鉄道に乗っていたのだろう。羨ましい限りだ。
地球は青かった
私たちがよく耳にする言葉は「地球は青かった」だ。これはロシアの宇宙飛行士ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン(1934-1968)が残した言葉だ。ボストーク1号で人類初の宇宙飛行をした人だ。
実際、いくつかの探査機から観測された地球の色は青だ。その姿はあまりに小さく、点のようにしか見えない。だから地球は「ペール・ブルー・ドット(蒼ざめた点)」と呼ばれた(図1)。
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イーハトーブは緑だった
先ほど紹介した賢治の短歌によれば、大気圏外から地球を見ると、地球の色は緑だったようだ。
賢治はきっとイーハトーブを見ていたのだろう。緑の山が多いイーハトーブなら緑に見えてもおかしくはない。
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