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宮沢賢治と宇宙(67) 銀河鉄道に乗る前に、なぜ青い琴の星が出てくるのか?

『銀河鉄道の夜』は誰のために書かれたのか?

宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』は誰のために書かれたのか? まず、この問題を考えてみたい。詳しくは述べないが、『銀河鉄道の夜』は妹のトシのために書かれたという考えが多数派を占めている(他には、盛岡高等農林学校時代の友人、保阪嘉内、そして盛岡中学校時代の友人、藤原健次郎が挙げられている)。

賢治は1924年の夏頃、『銀河鉄道の夜』を書き始めた『討議 『銀河鉄道の夜』とは何か』入沢康夫、天沢退二郎、青土社、1976年、131頁。【新】校本、第十巻 校異篇、筑摩書房、1995年、76頁)。その二年前、1922年の11月、最愛の妹トシが亡くなった。翌年、1923年の夏、賢治はトシの姿を求めた北帰行、サガレン(樺太、サハリン)への旅をした。その旅の途中に書かれた詩を読めば、賢治のトシへの愛情の深さがよくわかる(「青森挽歌」、「オホーツク挽歌」、「宗谷挽歌」など)。そして、その旅の様子は『銀河鉄道の夜』に反映されている。例えば『サガレン 樺太/サハリンの境界を旅する』(梯久美子、KADOKAWA、2020年)が参考になる

『銀河鉄道の夜』の第五節「天気輪の柱」

賢治の童話『銀河鉄道の夜』は謎の多い物語だ。主人公のジョバンニは町外れの丘にいたと思ったら、突然、銀河ステーションにいた。そして、そこからジョバンニの銀河鉄道の旅が始まるのだ。そのあとは、白鳥の停車場、わしの停車場を経て、南十字へと向かう。それはそれでいい。しかし、少し不思議なことがある。それは、銀河ステーションに行く前、ジョバンニは町外れの丘で天の川を眺めたとき、なぜか「こと座」に目を惹かれた。いったい、なぜだろう。

『銀河鉄道の夜』の第五節「天気輪の柱」にある文章を見てみよう。

あああの白いそらの帯がみんな星だというぞ。
ところがいくら見ていても、そのそらはひる先生の云ったような、がらんとした冷いとこだとは思われませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のように考えられて仕方なかったのです。そしてジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、とうとう蕈のように長く延びるのを見ました。またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集りか一つの大きなけむりかのように見えるように思いました。  
(『宮沢賢治全集7』筑摩文庫、1985年、『銀河鉄道の夜』248頁)

丘の上でジョバンニは夜空を眺めた。そこには天の川が見えていたが、なぜか「こと座」に目が行く。

青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、とうとう蕈のように長く延びるのを見ました。

青い琴の星。これは星の色のことを考えると、「こと座」のα星、ヴェガ(Vega)だとしてよい。ヴェガは七夕伝説では織姫星だ。なぜ、ジョバンニはヴェガを眺めたのだろうか(図1)。

図1 「こと座」の様子。δ星はδ1とδ2からなる二重星(物理的な連星ではない)である。δ2は4等星で、ε星もε1とε2から成るが、これらはいずれも物理的な連星である(二つとも5等星)である。そのため、ダブル・ダブル・スターと呼ばれている。 星座写真:畑英利 星座図:https://ja.wikipedia.org/wiki/こと座#/media/ファイル:Lyra_IAU.svg M57:The Hubble Heritage Team (AURA/STScI/NASA) - http://hubblesite.org/newscenter/archive/releases/1999/01/image/a/

三つにも四つにもなって瞬く星

ヴェガは一つの星なので、三つにも四つにもなって瞬く星という表現は不思議である。いくつか解釈がありうるので説明しておこう。

[1] ヴェガは1等星なので明るい。乱視の人が見ると、複数に見えることがある。
[2] ヴェガの南(図1では下)に「こと座」の四つの比較的明るい星がある(明るさは3等星から4等星)。β、γ、δ、ζ星である。これらも、四つにもなって瞬く星といえる。
[3] ヴェガの東北東(やや左上)にあるε星は連星をなしている。二つの星、ε1星とε2星はいずれも物理的な連星なので、ダブル・ダブル・スターと呼ばれ、4重連星である。まさに四つにもなって瞬く星である。

賢治は視力が優れていたので、[1]の可能性はない。「こと座」は1等星のヴェガの南に四つの星が台形型に並んでいる(図1)。「三つにも四つにもなって」という表現に合う。また、これを「足を伸ばす」と解釈した可能性はある(図2)。

図2 「こと座」の様子。ヴェガの南に四つの星が台形型に並んでいるので、これを「足を伸ばす」と解釈した可能性はあり。  「こと座」の写真:畑英利

[3]のεは四重連星なので、こちらを採用する方法もある。しかし、肉眼で四重連星として見えるわけではないので、可能性は低い。

可能性を考えれば、[2]が最もよいアイデアになる。なお、蕈という表現は星よりは、環状星雲M57の方が適するかもしれない。そんため、図1にはM57の姿も示しておいた。しかし、この星雲は肉眼では見えない。

銀河鉄道に乗る前に、なぜ「こと座」が出てくるのか?

ジョバンニは天気輪の柱のある町外れの丘の頂上に着いた。なぜ、さっさと銀河鉄道に乗らなかったのだろうか? 銀河鉄道にのれば、銀河ステーションの次の駅は「白鳥の停車場」、つまり、「はくちょう座」だ。銀河鉄道に乗る前に、なぜ「こと座」が出てくるのか? 普通に考えれば、意味不明である。そのため、琴の星の重要性に言及した議論は少ない。しかし、『銀河鉄道の夜』の初期系一と初期系二を読むとその重要性に気づく。

タイタニック号で遭難して銀河鉄道に乗り込んできた女の子の話が冒頭で出てくる。

「あの森琴(ライラ)の宿でせう。あたしきっとあの森の中に立派なお姫さまが立って竪琴を鳴らしてゐらっしゃると思ふわ、お附きの腰元や何かが青い孔雀の羽でうしろからあをいであげてゐるわ。」 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十巻、筑摩書房、1995年、16頁)

ここでのお姫様はギリシア神話に出てくるオルフェウスのことである(『ジョバンニの銀河 カムパネルラの地図 「銀河鉄道の夜」の宇宙誌』椿淳一、同時代社、2015年、「ノート6 琴の星について」147-155頁)。賢治はこのお姫様に妹のトシを重ねて見ていた可能性は高い。冒頭で述べたように、『銀河鉄道の夜』がトシへの鎮魂として書かれたためだ。

また、寺門和夫も琴の星の重要性に言及している。

ジョバンニの銀河鉄道の旅がこと座に導かれてはじまった以上、それが水死したカムパネルラを黄泉の国から連れ帰るオルフェウスの旅になってしまうことは必定です。 (『[銀河鉄道の夜]フィールド・ノート』寺門和夫、青土社、59頁)。

銀河鉄道の旅のスタートは「こと座」から始まっていることを、賢治は物語の中にそっと忍ばせておいたとしか思えない。

さらに、賢治は「こと座」を大切にしていた。その証拠は『銀河鉄道の夜』初期形一と初期形二の最後の文章に見ることができる。

琴の星がずうっと西の方へ移ってそしてまた蕈のやうに足をのばしてゐました。 (初期形一『【新】校本 宮澤賢治全集』第十巻、筑摩書房、1995年、28頁、初期形二 『【新】校本 宮澤賢治全集』第十巻、筑摩書房、1995年、131頁)

キノコのように足を伸ばすという表現は理解に苦しむ。

たしかに、「こと座」を見て、賢治のような表現を思い浮かべる人はほとんどいない。そのため、第五節に出てくる「こと座」の話に注目している賢治研究者は極めて少ない。

銀河鉄道の旅路

ジョバンニは天気輪の柱のある町外れの丘から、一気に銀河ステーションに移動する。その後は白鳥の停車場、鷲の停車場、途中の小さな駅、そして南十字へと向かう(図3)。

図3  銀河鉄道の旅路。 イラスト:『ジョバンニの銀河 カムパネルラの地図 「銀河鉄道の夜」の宇宙誌』椿淳一、同時代社、2015年、15頁)

白鳥の停車場と鷲の停車場は、それぞれ「はくちょう座」と「わし座」に対応する。この二つの星座に「こと座」を加える。すると、これらの星座の最も明るい星(α星)であるヴェガ(「こと座」)、デネブ(「はくちょう座」)、アルタイル(「わし座」)は夏の夜空に見事な三角形を形作る。「夏の大三角」だ(図4)。天文少年だった賢治は当然この言葉を知っていたはずである。

図4 「夏の大三角」。「こと座」のヴェガ、「はくちょう座」のデネブ、そして「わし座」のアルタイルの三つの1等星が形作る夜空の模様である。このように、星座と無関係に形作られる模様は「アステリズム」と呼ばれる。アステリズムのよい例は「おおぐま座」にある北斗七星である。

ところが、銀河鉄道の旅路には琴の停車場はない。つまり、銀河鉄道は夏の大三角を無視して走るのである。なぜか? 「こと座」が天の川からやや離れたところに見える星座のためだ。「こと座」を経路に加えると、銀河鉄道の旅路は複雑にカーブを切りながら走ることになる。そこで、賢治は妙案を思いついた。「こと座」は天気輪の柱のある町外れのある丘で眺めるだけにするのだ。そうすれば、銀河鉄道の旅路はスムーズになる(図5)。

図5 銀河鉄道の旅路に、前置きとして「こと座」の話を入れて、「夏の大三角」が反映されるようにした。 イラスト:『ジョバンニの銀河 カムパネルラの地図 「銀河鉄道の夜」の宇宙誌』椿淳一、同時代社、2015年、15頁)

ケンタウル祭の夜

銀河鉄道の旅はケンタウル祭の夜の出来事だった。

このケンタウル祭はいつ行われるのだろうか? いくつかアイデアがある(『定本 宮澤賢治語彙辞典』原子郎、筑摩書房、2013年、243頁)。

[1] 夏至の夜(6月21日前後)
[2] 七夕(7月7日)
[3] 月遅れの七夕(8月7日)、あるいはお盆(8月15日)

この中で、お盆はあまり言及されたことがない。ここで入れた理由は、竜胆の花が咲いて秋の風情を感じさせる表現が『銀河鉄道の夜』に出てくるからである(詳細は『[銀河鉄道の夜]フィールド・ノート』寺門和夫、青土社、18-22頁)。

トシは織姫

『銀河鉄道の夜』が妹トシへの鎮魂のために書かれたとすれば、どこかにトシの存在を匂わせたくなるだろう。ケンタウル祭が七夕に相当すると仮定しよう。そのとき、賢治ならどうするだろう? おそらく、トシを織姫(織女)だと考えるはずだ。そして、お相手の牽牛は賢治本人である。二人は七夕の夜、天の川で出会う。賢治はサガレンへの北帰行でトシには会えなかった。せめて、銀河鉄道の中で出会いたかったのだろう。

銀河鉄道は北には向かわない。サガレンへの北帰行で叶わなかった夢を乗せて、南に向かうルートを選んだのだ。

「はくちょう座」の北十字は相合傘

ここで「はくちょう座」の北十字を今一度見てみよう。なんと、相合傘に見えるではないか!(図6)。

図6 「はくちょう座」の北十字が作ってくれる相合傘の中で、賢治はトシと見つめ合う。

「こと座」のヴェガはトシ、「わし座」のアルタイルは賢治。二人は「はくちょう座」の北十字が作ってくれる相合傘の中で見つめ合った。七夕の夜、二人の逢瀬は叶ったと信じたい。


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