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天文俳句 (3)季語における天文、再び、再び

岩手山の夜景 (撮影:畑英利)
『星戀』(野尻抱影、山口誓子、深夜叢書社、1986年)のカバーhttps://www.nippon.com/ja/japan-topics/b07224/

「銀河のお話し」の状況設定と同じです。 「銀河のお話し(1)」をご覧下さい。 https://note.com/astro_dialog/n/n7a6bf416b0bc

「真の」天文季語の実態

俳句の歳時記に収められている「天文」に属する季語は大半が気象関係の言葉だった。物理学者の寺田寅彦(1878-1935)が『科学と文学』(寺田寅彦、角川ソフィア文庫、2019年)に収められている「天文と俳句」というタイトルの随筆で苦言を呈した問題だ。に書いてあることだ。ところが、俳句における天文の定義は「天の文(あや)」なので、人の目線より上にあるものはすべて「天の文(あや)」。つまり、風も、雨も、雪も天文に属してしまうのだ。その上に行って、ようやく星空の世界が見えてくるわけで、「真の」天文用語が少ないのは当然なのだ。そこで、輝明は歳時記における天文の項目の実態を調べてみた。

「昨日、『増補版 いちばんわかりやすい俳句歳時記』(辻桃子、安倍元気、主婦の友社、2019年)を使って、「春」のカテゴリーにある「天文」の項目に分類されている季語を調べたね。
「はい、40個の季語があるものの、本来の天文の季語はたった三つ。「春の月」、「春の星」、そして「朧月」。」
「その結果をまとめたのがこの図だった(図1)。」

図1 『増補版 いちばんわかりやすい俳句歳時記』(辻桃子、安倍元気、主婦の友社、2019年)に掲載されている40個の天文季語。真の天文季語は赤い字で示してある。

「春の闇」

「はい、そうでした。」
「あのあと、家に帰ってから、今一度『増補版 いちばんわかりやすい俳句歳時記』を読み直してみたんだ。」
「熱心ですね。感心します。」
「すると、ひとつ気になる言葉に出会った。」
「なんですか?」
「「春の闇」というやつだ。」
「それも、真の天文季語だと?」
「単純に解釈すれば「春の暗い夜」ということなんで、星や月との関係はなさそうに思える。」
「そうですね。」
「ところが解説には次のように書いてあったんだ(43頁)。」

月のない春のしっとりした暗さ。

「該当する夏の言葉は「五月闇」ということなので、こちらも調べてみた(135頁)。」

五月雨のころの暗い昼や、月の出ない闇夜。

「暗い昼は関係ないけど、月の出ない闇夜は関係してきそうだ。」
「そうですね、新月とは限りませんけど、月が出ていない時間帯、夜空は暗く感じます。ただ、星月夜とは反対ですね。星あかりだけで夜空が明るいのが星月夜なので。」
「春と夏のせいなのかな。」
「湿気やホコリが多くて、星の光は弱くなり、星月夜にはならないということですね。」
「そういえば、平安時代の歌人、壬生忠見(みぶのただみ)の和歌にこんなのがあったと思う。」

はるたつといふばかりにや三吉野の山もかすみてけさは見ゆらん

「やっぱり、春は夜空を楽しむには向かない季節なのかもしれませんね。」

「真の天文季語と言えるかどうか微妙だけど、「春の闇」はとりあえず入れておこうと思う。したがって、表を作り替えておいた(図2)。」
「この結果を採用すると、春の天文季語における「真の」天文季語率は4/40なので、ちょうど10パーセント、1割になりますね。」
「少ないことに、変わりはないね。」

図2 『増補版 いちばんわかりやすい俳句歳時記』(辻桃子、安倍元気、主婦の友社、2019年)に掲載されている40個の天文季語。この図では、「春の闇」も「真の」天文季語と認定してある。

異常な秋

「春だけ調べるのもなんなんで、一応すべての季節の季語を調べてみた。その結果がこれだ(図3)。」

図3 『増補版 いちばんわかりやすい俳句歳時記』(辻桃子、安倍元気、主婦の友社、2019年)に掲載されている季語のうち、季節と真の天文季語の割合。なお、季節には春夏秋冬に加えて新年がある。

この結果を見た、優子は驚いた。
「うわあ、なんですか、これ。秋だけ変です。」
「真の天文季語率は、秋を除けばおおむね5%から10%に収まっている。ところが、秋は44%にもなる。でも、これは月のせいなんだ。」
「?」
「優子も知っているように、月の呼び方はたくさんある。何しろ、月は見える部分が変わっていくからだ。」
「そうでした。」
「『増補版 いちばんわかりやすい俳句歳時記』には次の名前がある。」

初月 初月夜 (陰暦8月の初め頃に見える三日月より細い月)
三日月 三っ日の月 新月 繊月 月の眉 眉月 二日月
十三夜 
十五夜
十六夜
 十六夜の月 いざよう月 十六夜(じゅうろくや)
立待月 立待 十七夜
居待月 居待 座待月 十八夜
臥待月 臥待 寝待 寝待月
更待月 更待 二十日月
二十三夜 二十三夜月 真夜中の月

「もちろん、名月などもある。」

名月 明月 芋名月 月今宵 望月 満月 今日の月 望の夜
良夜 月の明るい夜
待宵 待宵の月 小望月 月待ち

「また、月が見えないことも季語になる。」

無月 陰暦8月15日の月が雲に隠れて見えないこと
雨月 雨夜の月 雨名月 雨夜の月 雨の月

「うーむ、という感じです。三日月が見えるのは秋だけじゃないのに・・・。」
優子は不満そうだ。
「全シーズンで見れば真の天文率は約20%に近い数字になるけど、これは秋の統計(多種類の月の名前が貢献している)が大きく影響しているからだ。つまり、平均的に見れば真の天文率は10%に満たない。結局、全シーズンを見ても、天文カテゴリーに属する季語の9割以上は気象用語なんだね。」

「それは、やはり残念です。でも、日本人の月を愛でる姿勢は素敵だと思います。」「僕もそう思う。見える月の形は変われども・・・。

「日本人は分け隔てなく、月を愛でる人種のようだね。満月が過ぎて、十六夜はまだしも、そのあと月が出てくるのを心待ちにする気持ちが月の呼び名になっている。立待(立って待つ)、居待(座って待つ)、臥待(臥せて待つ)、という具合だ。昔は月明かりは照明としての役割はあったにせよ、月への愛情の深さが知れる。」
「ホントですね。」
「ところで、画家のゴッホは星空を絵に描くことで有名だけど、月に関しては選り好みがあった。」
「どんな?」
「三日月と逆三日月(26夜月)しか描いていない。」
「・・・」

註:ゴッホの描いた月に関しては以下の note を参照されてください。

ゴッホの見た星空(10)《糸杉と星の見える道》に秘められた謎https://note.com/astro_dialog/n/n96b0504ec077

ゴッホの見た星空(11)なぜ月と金星はペアで描かれるのか?https://note.com/astro_dialog/n/nc4e3c946fd35

ゴッホの見た星空(12)ゴッホの三日月は沈まない?https://note.com/astro_dialog/n/n82291cfa0239

「銀河系のとある酒場のヒヤシンス」

「そうだ、優子。次の俳句を知ってるかな? 石川県出身の俳人、橋 閒石(はし かんせき、1903-1992)が詠んだ句だ。」

銀河系のとある酒場のヒヤシンス

「いいえ、初めて耳にします。」
「この句の季語はどれかな?」
「えーと、銀河系ですか?」
「実は違う。ヒヤシンスだ。」
「ガーン!」

こんなことでは行けないと思い、優子は今一度、この句を眺めた。何しろ、いきなり銀河系で始まる。読んだ瞬間、これが季語だと優子は思ってしまった。しかし、よく読むと分かった。銀河系は空の天の川ではなく、「場所」としての銀河系なのだ。

「うーん、騙されました。この句の季語はヒヤシンスなので、春の句なんですね。」
「たとえば、「東京のとある酒場のヒヤシンス」に置き換えるとよく分かるね。」
「面白いです! 俳句はホントに奥が深いですね!」

昨日の帰り道、優子は書店に寄って『増補版 いちばんわかりやすい俳句歳時記』を買ったとのことだ。
輝明も気を引き締めなおした(図4)。

図4 輝明の持っている歳時記関係の本。

<<< これまでの関連記事 >>>

天文俳句 (1)季語における天文https://note.com/astro_dialog/n/nb90cc3b733fd

天文俳句 (2)季語における天文、再びhttps://note.com/astro_dialog/n/nf48bd3d54c58

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