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なぜ「Go Toキャンペーン」が実行されてしまうのか?

2020年11月18日にリンク先のような記事が出ました。

コロナ急増、Gotoトラベルが「きっかけ」 日本医師会長

これを見た殆どの方は「まあそらそうだ」と思ったと思います。Go Toキャンペーンはコロナ禍で大打撃を受けている観光業や飲食業等を救済する目的で実施されており、コロナ感染症対策とは相容れない正反対の政策が打ち出されています。これはまさに現代のトロッコ問題であり、若い人達には是非色々と考えて欲しい課題だと感じています。

原則論としては感染症拡大防止が最優先

議論の前提として、「コロナはただの風邪」理論が入るとややこしくなりますので、あくまで世界中で一般的な見解となっている、コロナはパンデミックウイルスであるという前提に立ちます。

そういう中で、本質的な解は「とにかく感染拡大防止に努め、ワクチンなり特効薬の出現まで抑え込みを図ることで、病院のキャパを守り医療崩壊を防ぐ」ということでしょう。実際、原則として世界各国でこれを最優先としています。医療崩壊寸前、またはしてしまっている国では一時的に非常事態宣言で人の行動を大きく制限しました。日本でも出されましたが、日本のそれは海外のそれとは違ってかなり緩いものでしたが、それでもなお、人は極力自粛に協力していました。局面によっては、経済を停滞させてでも感染拡大を抑え込む必要があった、ということです。また、現在第三波の真っ最中です。欧州ではそういう動きが出ていますが、日本でも再び緊急事態宣言が出されるかもしれません。

甘く見れない経済停滞

他方、ずっと言われているのが経済の停滞であり、それによる死者の増加です。特に飲食業、観光業は大打撃を受けており、航空会社や鉄道会社のような事業であれば国の保護もありますが、中小零細事業者ではなかなか手厚い保護は受けられず、倒産破産が相次いでいます。また、飲食、観光じゃなくても経済全体にも大きな影響が出ています。風が吹けば桶屋が儲かるの如く、コロナ禍によってほぼ全ての業種に影響があり、この経済停滞の打撃がボディブローのように効いてきます。最優先ではなくとも、優先度は極めて高いのです。経済は人を殺しえます。ウイルスから人の命を守っても、結果的に亡くなってしまえば何のための感染対策だったのか、分からなくなってしまいます。

感染対策vs経済対策は現代の「トロッコ問題」

この両者の比較こそ、「正義の問題」や「トロッコ問題」、「戦争と平和の問題」等と同様、リアルな課題設定となっているのが今現在の状況なのです。立場によっても意見は変わるでしょう。医療従事者であれば、経済のことは後から考えて、収束を最優先とすべきと言いたくなるでしょうし、飲食・観光業者にとっては、医療崩壊しないギリギリのところで、しっかりと経済も回して欲しいと切に願うでしょう。この病気は年齢によっても意見が異なります。若年層であれば、重症化リスクが非常に低いので、そこまで気にしない方が多いでしょうし、高齢者や疾患持ちの方は生死に関わるウイルスとして、封じ込めを願うでしょう。簡単には終息しないですし、一定の重症化率、致死率がある以上、放置もできない。そういう状況です。

こういう非常に微妙なバランスで成り立っている問題ですので、一言で結論付けるのは本来は不可能です。ですので、どちらかを取るという考え方ではなく、相反する二つの事象を両立させる、という矛盾を帯びた考え方をせざるを得ず、具体的にはじっくりと感染拡大状況を冷静に分析しながら、経済の方で緩めたり縛りを強くしたり、適宜善処していくしかないのです。当然、この判断は時に間違うこともあるでしょう。ですが、それは結果論であり、そこをあれこれ言っていても前には進みません。ある程度の失敗も容認しつつ進むしかない。足を止める訳にはいかないのです。

ネット全盛時代に散見される「極論賛美」の危険性

ですが、なかなかこういう答えのない問題に人は慣れていないからか、本能的に安心感を求めているからか、極論を有難がる傾向があります。日本では答えを求める教育が主であるため、というのも一理あると思いますが、残念ながら全世界的にこういう極論に賛同が集まりやすい傾向があります(トランプフィーバー等)。ですので、教育等の後天的なものというよりも、先天的に人は答え(≒安心感)を求めている、と考えた方が良いかもしれません。いずれにせよ、「コロナはただの風邪だから今まで通り経済を回せ」とか「死んでしまっては経済もくそもないので、とにかく収束まで我慢」とか、非常に分かりやすい言説に人は集まってきます。先に挙げたトランプ現象も全く同じ。トランプにも良い所悪い所がありますが、トランプ支持派は全てを受け入れ、反対派は全て嫌悪感を持ち、それをSNSで発信したりしています。安倍総理についても同じです。賛成派、反対派両方ともフェイクニュースでも平気で拡散します。そして自分と反対の意見を持つ人を強く非難し攻撃します。

こういう極論に走る人は声が大きくて目立つのですが、実はその後ろにはサイレントマジョリティー達が控えています。極論を冷静に見つめ、一時の感情に流されることなく即答を求めない人たちです。まさにマジョリティーですので実際はそういう人が多数派です。ですが、うるさい左右の少数派の雑音により、多数派が見えないような状況が昨今のSNS社会なのです。

子供への影響が心配

結論です。タイトルのなぜ?に対しては、上述の通り、本件はトロッコ問題であり、感染対策さえしてればいいという簡単な話ではなく、矛盾した二つの事象を両立させる必要があり、その一つがGo Toキャンペーンの実施である、ということです。また、先に述べた通り多くの人がこのことを理解しています。ですが、一部偏った考えの人たちによって、感染対策を取るか、経済を取るか、のような究極の選択を求めたがるのです。

こういう答えのない世界で、即断で答えは導き出せないけど、常に思考を巡らせながら最適解を目指し続けるという考え方はどうすれば身に付けられるでしょうか?僕は「教養」であると考えています。教養を育むことで「考え抜く」という行動を取ることができます。教養は算数や歴史のように簡単に覚えられるものではありません。コロナ問題もそうですが、色んな社会問題を学び、色んな考え方を知り、そういう日々の積み重ねの末に朧気ながら何となく形付けられる、そういう者だと理解しています。その形もまた、その後の学習の中で変化していきます。これというものを確立するのが大事なのではなく、寧ろ変えられる柔軟性が大事なのです。ですので、教養は数十年単位、いや、一生をかけて作り上げていくものだと考えています。

それとは逆に、一部SNSに見られるような極論が子供たちに変な影響を与えてしまうのを懸念しています。勿論、反面教師として学んでくれれば良いのですが、それに感化される子もやはり出てきてしまうでしょう。なぜなら極論でシンプルな結論を出すのは実に楽だからです。答えを出さないというのはじわじわとストレスが溜まっていきます。えいやっ!で答えを出す方がよほど簡単です。

是非若い人には今回のコロナ問題をじっくりと考えてみて欲しいと思います。皆さんにはまだまだ大きな可能性があります。一面だけを見て安易に判断をしてしまうのか、様々な立場や考え方を知り、自分なりに咀嚼し、苦しみながらも何とか答えを見出そうとするのか。世の中には無数の学ぶべき生きた教材があります。考え抜く癖を、是非身に付けて欲しいと思います。そのことが、昨今のコロナや戦争のような人類の課題と向き合う上で、非常に大切なスタンスを与えてくれるでしょう。

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