見出し画像

不登校は誰の問題か?

不定期ですが読んで頂いてありがとうございます。
こうやって文章を書いて読んで頂けるのって嬉しいものですね。

今回は、一番読んで頂いている
不登校について
では、今回もよろしくお願いします!

娘:今年高校二年生の中高一貫校
一年の3学期から不登校、単位は取ったので進級可能
不登校理由は学校に行くのが嫌。友達関係は問題なし。勉強しない。
息子:幼稚園・小学校・習い事 全てに疑問なく楽しめる強者。
母:子どもと親と関わる仕事。母として人間として毎日勉強だなぁと思う。
今日も楽しく過ごしております。

娘が不登校になってから、色々不登校について調べてきました。
不登校は学校に行けない、行かない選択になってしまった子達ですね。
これも、色々なお子さんを見る中で軸が色々違うなぁ。という事。
だから、こうしたらいいよ。とか、これが正解。
はないと思います。
けど、そんな中で親ができる事を探している方が多いと感じたので
3つに分けて考えてみました。


  1. 年齢の違い

  2. 学校の違い

  3. 両親の考えの違い


1.年齢の違い
不登校になった原因は様々だと思うのですが、その子自身が感じる力が強い。
それは感受性が強く、他者にもそう感じられる。
という感性の持ち主でもあると思います。
が、バッサリ言うと登校できる子にもそういう子はたくさんいます。
だったら、行けない、行かない子達は何が違うのか?
シンプルに、行きたくない。事を実際に実行した子という事です。
体調が悪くなって行けない子もいるでしょう。
それでも、行けない。事で行かない選択をした事になります。
それをどの年齢で実行するかで、色々対処は変わってゆくと思います。
一つ思うのが、それはそんなに特別なことではなく、
選択した先がない事が特別な事にしてしまっているな。と感じます。
よく、行けない、行かない子が我儘だとか、適応能力がない、と言われますが。
それは、普通に学校に登校する子を基準に考えている価値観です。
うちの息子は、学校が大好きです。
何が、とか、どんなところが、とか、好きの理由なんて何も考えていません。
ただ、友達がみんな来てるから。
学校はみんな行ってるから。
だから行くし、行ったら誰かいるから暇じゃないし好きなんです。
でも、そう感じられない子もいるんです。
それは「どっちの子がいいですか?」
と親に聞いてもわかりませんよね。
息子は行っていても別に特別勉強ができるわけでもありませんし、
適応能力には長けています。
けれどそれは今の年齢で、今の環境だからかもしれません。
「どっちの子が楽ですか?」
と聞けばおそらく、息子のような子は、親は心配が少なく楽だと思います。
でも、私は不登校で学校に行かない娘より、
今のままの息子が社会に出る事も心配です。
社会は自分で選び、考える人間の方が生きやすいです。
学校のように、みんなと一緒に何となく身を任せている事は難しいです。

だったら行けない、行かないを選択した子にできる事は何なのか?
その子が何を必要としているか?だと思います。
これは、親がその子を見て、ではなく。
子ども自身が、です。
親は低年齢な程、勉強の進度が気になると思います。
ですが、それよりも、子どもは今何を必要としているのでしょう?
自分を理解してくれる先生なのか、一緒に楽しめる仲間なのか、自由な時間なのか、それぞれ違うとは思いますが、それが何なのかを一緒に考え、答えが出れば
親はそれを探す情報収集をすれば良いと思います。
フリースクールで大丈夫な子もいれば、とにかく疲れて今は誰とも関わりたくない子もいるでしょう、親以外の相談相手かもしれません。
それを、まずは親は知ることが大切だと思います。
そして、原因を除外してもダメだった。
という場合もトライアンドエラーだと思える親のメンタルが必要だと思います。

2.学校の違い
娘は中高一貫校です。
基礎学力はあると思います。でも、今は勉強が嫌です。
学校に行きたくない理由はそこでもあります。
何の為に勉強するのか?がないと勉強したくないんです。
私は、とても正当な理由だと思いました。
この事で、周囲の子達は頑張れているのに、
頑張れない自分が嫌になってしまうので学校に行くのが嫌。と言う事でした。
勉強したくない=甘え
と考えれば、そうでしょう。彼女は甘えています。
けれど、娘の気持ちもよくわかります。何か成し遂げたい事がない中で
模試や成績の話ばかりされても頑張れる子に育ててはいなかったので、
そりゃ無理だな。
と思います。
幼い頃から、何かに興味があるから学ぶ子でした。
私もそれで良かったので、無理に勉強をさせませんでした。
学校が合わないのではなく、学ぶという作業の原点がが違うのです。
なので、学校の問題ではないのです。
公立だったら良かったのか?
国立だったら良かったのか?
私立の違うところだったら…?
どれも関係ありません。
今、勉強したくなくて、学ぶという事に興味を失っているんです。
ただ、それだけなのです。
不登校の子達それぞれに何が嫌か。
はあるでしょう、本人が気づいていなくとも原因は何かあるはずです。
けれど、原因はそれほど大切でしょうか?
それを取り除くと行くことができるかもしれません、
けれどそれを受け入れる心がなければまた同じ事が彼女を襲うのではないでしょうか。
学校が悪い。今の教育が違う。
それもあると思います。
ですがもっと根源は、本人がいつ心を解放し、どう自身の事と向き合うか。
ただそこが一番大切なのではないでしょうか。
環境を整えた事で、誰かと出会い、思考が変わる事もあるとは思います。
ですが、外的な要因をいくら変化させても本人が受け入れないと無意味だな。
と感じます。
私自身も、今までの出会いでタイミングが合わなくて気付けていない事もあったでしょう。
けれど、それは同じ本を読む時期毎に刺さる言葉が違う事に似ています。
それを必要な時に人は受け入れ、実行できるのではないでしょうか。
その時期が、成長の過程でみんな違うのだと思います。

3.両親の考えの違い
これは、親として協力する中でよくある事だと思います。
ただ、私だけが。と思う気持ちがバランスを狂わせている気がします。
親が子を思う気持ち、これは一緒なのだと思います。
ですが、母親と父親の思考の基準が違う事。
それは当たり前なのかもしれません。
私はこうしてあげる事がベストだと思う。は自分の考えです。
それを擦り合わせてゆく作業が必要なのではないでしょうか。
どうしても、考えが違う場合もあるでしょう。
ですが、それは社会に出てもよくある事です。
自分の考えもあり、けれど違う視点も大切なのです。
そして、子どもはそんな親の違いもきちんと理解できます。
あまりに、子どもに向かって言う言葉が良くない場合もあります、
パートナーがそこまで考えられない場合もあります。
その場合は、自分が補助的に介入する事も大切だと思います。
また、然りそういう場面が逆転して起こる場合もあります。
その場合は、相手に任せる事も必要です。
親も人です、その日の気分や、どうしても言いたい事が子どもにとっては聞きたくない事の場合もあるでしょう。
それを、最小限にするには両親の役割をしっかり把握する事が大切ではないでしょうか。
頑張り続ける必要はないと思います。
親がいくら頑張ったからといって、子どもが心を開き、突然何かを見つける事はないと思います。
いつもの生活を親も送り、その中で、子どもが何か話してきた時はしっかり向かい合う。それだけしかできないと思います。
自身もそうですが、色々な方の不登校になっている子どもをお持ちの方に思うのは
自分が何かしたからこうなった、自分が何かしたら変化する。
そのような思考になってしまう事です。
それが、自分に向かう場合は自身の思考を変更すれば良いのですが、人は自己防衛が働く生き物だと思います。
そうなると、パートナーが悪い。としてしまう事があります。
けれど、そうする事がもっと複雑になってしまうのです。
お互いで助け合う事は必要ですが、お互いに罪のなすりつけ合いになる事は問題がまた別にできてしまいます。
まず、不登校は罪ではないです。
そう考えれば、罪も生まれないのです。
なすりつけ合いも生まれません。
子どもが、この先を生きられるよう、協力する。
過去や、原因を考える時間を、子どもの長い未来についやして、
今の自分にできる事(実はそんなにありません)を日々こなすだけで良いと思います。
人は誰かの為に。と思う時は大概は自分の為です。
それに気がつき、自分の人生を生きていれば、
子どもも自分の人生を生き出すのではないでしょうか。

最後に…

長く、偉そうな事を書きましたが私自身もできていない事も多々あります。
ただ、行けない、行かない、理由は様々です。
環境を変化させればスッと心が変化する場合もあると思います。
ですが、それも人それぞれです。
親は、子どもの事となると、見失いがちな子ども自身の心と時間感覚。
そしてそれらを形成しているのは今まで親と生きてきた時間、環境だと思う強い信念。
けれど、そんな事もないのでは?と思います。
同じように育てていても、思考はそれぞれ違います。
その子その子の個性です。
だから、その子自身が気がつくタイミングがあるのだと思います。
けれど毎日スマホやゲームをしている中で見つけられないでしょう?
と思う気持ちもわかります。
だからこそ、1日の1分でも親に向かってきた時は何か気づかせたい!
と思うあまりに何かいつもよりも多く言っていないか?
と考えてみても良いかもしれません。
その時に、子どもは感じるのではないでしょうか。
するとまた、心を閉じてしまうのではないでしょうか?
いつものように、答える。
それを繰り返していると、子どもから話してくれる日が来るのではないでしょうか…
私はせっかちです。
何に関してもすぐ答えが欲しくなります。
けれど、子どもの事に関しては今回の不登校で
答えは私のものではない。
これは、私の解決する問題ではない。
と思うようにしました。
主人には冷たい。と言われましたが…w
けれど、そう思うことで焦りや答えを求める事がなくなりました。
これを読んでくださった方が、
少しでも思考の片隅にこういう考え方もある。
と思っていただけますよう…

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

子どもの成長記録

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?