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ナオミ・リンコン・ガヤルド『ホルムアルデヒド・トリップ』

鑑賞した作品について身体(そこで見たパフォーマンス、絵画、舞踊の中の、そしてそれを見るわたしの)に重点を置きながら、考察するシリーズ

上映パフォーマンス『ホルムアルデヒド・トリップ』
日時|2024年1月14日(日)18:00開演
会場|京都芸術センター・フリースペース(南館1階)

https://tonari-aruku.kyoto-seika.ac.jp/event/413/

ナオミ・リンコン・ガヤルドはミニマリストではなく、"more means more" 多ければ多いほどいいのだという。彼女の作品『ホルムアルデヒド・トリップ』はそのことば通り、人間、動物、精霊たちといったさまざまな生者と死者が同居し、死者たちの住む地下から地上へと場所を移動しながらを旅する。その旅は複数の時間を行き来する行程でもある。アステカの神話から植民者たちの歴史、先住民の生きる権利を求めた活動家ベティ・カリーニョが暗殺されるわたしたちのいる現代まで・・・。上映パフォーマンスでは、別会場で展示された映像が、1時間ほどの内容に繋げられ、映像から抜け出して来たかの如く半分動物で半分人間のように見える着飾った3人のパフォーマー(ナオミ、サン・チャ、ダニシュタ・リヴェロ)が場面ごとに出入りし、映像と呼応しながら歌ったり、詩を読み上げたりする。パフォーマーとして、また映像の中にも登場する両生類のアショロトル(メキシコオオサンショウオ)は、暗殺されたベティの魂とともにわたしたちを案内する役割を担っている。

パフォーマーたちは、ネオンカラーのパーティーグッズのようなもので盛り立てた衣装やメイク、ヘッドピースを身につけ、パンクロックのリズムにのったダンスや声をあげながら踊り歌う。クラブのようなシーンもあれば、オアハカのカラフルな木彫動物たちにみるような素朴な楽しさを感じることもある。音楽的な映像の、一緒に声をあげて拍子を刻みたくなる軽快さ。でもここで、一緒に鬱憤を晴らすような解放感がもたれされるわけではない。視界をよぎる、普段はじっくり見ることを禁じられている身体のセクシュアルなものたち(過剰にこれらも着飾られている)、そしてベティが資本家や政府の搾取を訴える声の響きはわたしたちに苦味やざらつきをもたらす。パフォーマーたちはクィアであることで、この世界にある抑圧されたものたちの声を歌にし、その身体によってわたしたちの見えるもの聞こえるものを変化させ、抑圧されたものたちとその声を受け取るわたしたちを媒介する。

旅の導き手であるアショロトルは、この世界で起きていることを目撃する者でもあり、ベティだけでなくわたしたちが辿る道をも証言する。モノや人を消費し序列化して整理する今のようなやり方ではなく、世界を別の仕方で理解する方法があるはずだとナオミはいう。旅をともにすることで、ベティはよみがえりわたしの中にもひょっこりと棲みつき、ときどき顔を出す。抑圧されているひとびとをさらに私が踏みつけることがないように。かれらが何を言っているのか聞くために。


本稿を書くにあたって参照したもの
・ナオミ・リンコン・ガヤルド アーティスト・トーク(2024年1月13日)
・当日パンフレット
・京都精華大学|マイノリティの権利、特にSOGIをはじめとした〈性の多様性〉に関する知識と、それらを踏まえた表現倫理のリテラシーを備えたアートマネジメント人材育成プログラム 講座でのレクチャー

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