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カイスの太陽:ガッサーン・カナファーニー「太陽の男たち」をめぐって

パレスチナ解放のアラブ文学

「太陽の男たち」と聞いたら、何が想起されるであろうか。エネルギッシュで明るい男たちであろうか、情熱的で強い意志の男たちであろうか、カリスマ性を持つ男たちであろうか、健康的で活動的な男たちであろうか、あるいは希望と活力にあふれる男たちであろうか。
いずれも、明るさ、エネルギー、希望の象徴という太陽の持つポジティブなイメージに基づくものである。
しかし、現代アラビア語文学の代表をパレスチナ人作家、12歳のときのユダヤ人武装組織による虐殺を生き延び、難民としてパレスチナ解放運動で重要な役割を担い活動をつづけるも、36歳にて爆殺された、ガッサーン・カナファーニー(1936-1972)の『太陽の男たち』を焦がし続ける太陽は、そうしたポジティブなイメージすら焼き尽くして余りある。

アブー・カイスの苦悩

カナファーニーの『太陽の男たち』は、シャト=ル=ルアラブを渡ってクウェイトへと密入国を企てる男たちの物語だ。たとえば、アブー・カイス(「アブー」とは「父」の意、つまり、「カイスの父」)。ユダヤ人の侵入により、「なけなしの樹々、家、青年時代、故郷の村すべてを失ったことを認めるのに空腹な10年もの歳月を必要とした」心優しき男。隣人の中には自分の道を切り拓く者もあったが、「卑しい主家の老いぼれ犬のよう」に、舞い込む当てなどない何か、ーーたとえば、10本のオリーブの樹の傍らに戻ることや、生活を支える富にめぐまれることーーを待ちわびてただ座り込んで無為の日々を送ってきたのだとい

だが、息子を学校にも通わせられず、妻も生まれてくる子供を十分に食べさせられる見込みもない。友人のサアドの言う通りである。彼のようにシャトルルアラブを渡ってクウェイトで稼ぐなどリスクしか思い浮かばない

サアドにせっつかれた彼が、妻に相談する。クウェイトにたどり着きさえすれば、カイスを学校にやることも、オリーブの若木を1,2本買うことも、どこかに一部屋くらい建てることもきっとできるわと。だが今にも泣きだしそうな彼女、わななく唇に言葉を詰まらせている。アブー・カイスの決意が固まったことを悟ったのであろう

クウェイトというユートピア?

かくして、アブー・カイスは、妻子を後にする。この両の肩に荷えうるかぎりの「汚辱」と「希望」を背負った老いぼれ男は、聞いていた話と違う様々なアクシデントに見舞われた。手持ちでは、普通の密入国業者に払うこともできない。そんな中、とうとう密入国を請け合おうというアブ=ル=ハイズラーンなる男にめぐり合う。

彼の主人は検問所でも顔のきく大金持ちで、クウェイトとの間を行き来する給水車を所有している。彼はその運転手。ほぼノーチェックで国境を通過できるという。クウェイトへ帰るときの空っぽの給水タンクに潜んで密入国を果たそうというのだ。アブ=ル=ハイズラーンはいう。まずパレスチナ側のサフワーンの検問の手前50mのところでタンクに入る。5分とかからない。通過したら50メートルのところでいったん外に出る。それからクウェイト側の国境でもタンクに潜り5分間だけ同じ芝居を繰り返す。あとはクウェイトにまっしぐらだと。

同様に密入国を果たそうとするマルワーンとその友人アスアドも合流した。彼らには「年配の仲間」と紹介されるアブー・カイス。8月灼熱の太陽が照り付ける日中に、国境を突破するのだという。
地獄のような熱さタンクの中へ入りこみ早く蓋をしろと3人。いよいよ芝居の開演だ。アブ=ル=ハイズラーンはエンジンから火が吹いても不思議のないスピードで「階段を横にしたような凸凹道」を爆走だ。まず手前側の国境。「5分か6分の辛抱」あるいは「7分間の辛抱」と言った言葉の通り、彼は税関手続きの時間も最小限に車に戻り、蓋を開ける町の丘の頂上までアッラーにご加護を乞うて再び爆走、そして急停車。「ここはなんて寒いんだ」と言いながら出てきた3人。真黄色なミイラのような顔。生きていることすら疑われる状態。「6分もかかっていない」と主張するアブ=ル=ハイズラーンに3人の反応は薄い。辛うじて。6分だったはずだと60秒ずつ数えていたというアブー・カイス。

「遅くとも」

地獄の焼けるような暑さから解放されたものの鍬で畑仕事をしている者も容赦なく打ちのめし死に至らしめる「太陽」が「聞きしにまさる地獄(ジャハンナム)を演出する。ただ、この太陽のおかげで昼間は二つの検問所の間のパトロールもない。そうして、4人は覚悟を決める。一人一人給水孔に入っていく。最後になったアブーカイスは、アブ=ル=ハイズラーンにもう一度確かめた。

「七分だね」
「遅くてな」

ここのくだり、単行本版と日本語訳が底本にしている作品集版を比較してみると、「遅くてな」にあたる部分は、作品集に収められる際に、加筆されたものであることがわかる。

加筆された部分の原文は「على الأكثر」(いちばん多くて、最大限で)となっている。この場合は、絶対守られるべき限度、生存の限度を示しているため、「どんなに遅くなったとしても」という意味で、「遅くともな」あるいは、いっそ「最大限でな」とするとより明確に、アブ=ル=ハイズラーンの発言とその緊迫感が表せるように思える。

21分

さて、このやり取りのあったのが11時半。アブ=ル=ハイズラーンの爆走給水車は、クウェイト側の検問所へ。ところが、その日に限って、検問所内の職員にからまれる。バスラの踊り子の話。アブ=ル=ハイズラーンにほれ込んでいるとかでいらぬ詮索をうける。お茶でも飲んで行けなどともいわれてしまう。何とか振り切り、ようやく二つ目の窓口へ移ったのが、11時45分。署名ふたつを2分かからずとって、車へ。そこから飛ばして、急停車。タイヤに足をかけてタンクの上に飛び乗り、開蓋。時計は、12時9分前。タンクの中に声をかけるが応答はない。はたして彼が発見したのは、冷たくなった3人の姿であった。(因みに、2つ目の窓口から開蓋までに6分が経過している。1つ目の窓口が1分で済むことはあり得ず、ましてや、2回目の中の3人は、激しく消耗していたに違いない。そうであるとするならば、計画自体に無理があったと言わざるを得ない。)
アブ=ル=ハイズラーンはとっぷり日が暮れると給水車を走らせ、やがて町はずれに塵埃処理場を発見する。3つの墓に埋葬したいという思いを政府の塵埃処理に託した格好だ。砂漠は谺(こだま)した。「なぜおまえたちはタンクの壁を叩かなかったのか。なぜタンクの壁を叩かなかったのか。なぜだ。なぜだ。」

戦争は何も守らない

「太陽の男たち」とは、オリーブの樹々に囲まれた故郷へかえることはもちろん、子供に教育を与えることも、2本の若苗が育つのを見守ることのできる我が家も、妻子と暮らす本のささやかな暮らしも、太陽によって奪われた男たちである。彼らはエネルギーも、情熱も、強い意志も、カリスマ性も、健康も、活動も、明るさも、そして何よりわずかな「希望」さえも完全に打ちのめされたのである。

「7分だね」では足りずに「最大限でな」を付け足したカナファーニーと彼の抱くパレスチナ問題の危機感を知れ。これは決して他人事ではない。パレスチナで、イスラエルで、ウクライナで、ロシアで、あるいは、戦争、紛争、内乱、飢餓、貧困、抑圧により、つまり、大人たちの都合で、今なお数知れない「カイス」と「ウンム・カイス」(「ウンム」とは「母」の意。つまり「カイスの母」)が生み出され続けているからだ。国際社会にしても、地球沸騰化の時代が始まったとの認識は共有しつつも、各国軍隊の温室効果ガスの排出量の概数的な把握すらままならないのが現状だ。太陽が牙をむいたとしか説明できないような豪雨、暴風、干ばつ、山火事、そして直近では、メッカ巡礼者の500人超の死亡などいくつもの事象が思い当たる。
7分はとっくに過ぎているのに、そのことに気づこうとせず、一向に戦争をやめさせられないこの時代。せめて子供たちにとっての太陽が、希望とエネルギーの象徴であり続けるために、アブー・カイスの鎮魂を祈り、彼の遺した無念、たしかに届いた。アッラーフ・アアラム

参考文献

ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』(訳:黒田寿郎/奴田原睦明)、河出文庫、河出書房新社、2017年

タイトル画像:

photo by shion 11
Special thanks to しおん


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