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存在は光か:カメラという筆

「光の光(スフラワルディー)」

光の光。修行の末に得られる真理の姿。イマージュは「光」。しかしそれは感覚器官によらない無媒介的なもの。存在モデルの三角形の頂点に何を据えるか。老荘なら「道」、「空」や「無」も可能。

スフラワルディー[1]では、「光の光」つまり、絶対純粋な光。イブン・アラビー[2]では「存在」、絶対不可視(ガイブ)状態における存在。 

絶対的一者(アハド)と多(カスラ)

スフラワルディーでは、「この「光の光」がだんだん根源的な純粋性を失って、つまり次第にそれに闇が混じって、ついにすべてが完全な闇の中に消え失せる。光の消えることがすなわち現象的事物の現われである。したがって、スフラワルディーの証明学的象徴体系では、闇は物質性、感覚性を意味する。光と闇の相克、完全な古代のゾロアスター的に言論のイスラーム化である。」(井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』122頁)

 イブン・アラビーでは、頂点に「三角形の全体を生命的エネルギーとしての「存在」の自己展開の有機的体系と見る。この頂点をイブン・アラビーは術語的に、絶対的一者(アハド)と呼ぶ。アハドとはアラビア語で一ということ。しかし、イブン・アラビーの考えでは、これは数の一ではなくて、むしろゼロ。これが(イブン・アラビーの「存在のゼロ・ポイント」。

すべての対立項を超えたところに超越的に成立するゼロ・ポイント(対立し拮抗する両極の中間に、それらを壊滅を契機として成立するロラン・バルトの「存在の零度」とは、まったく意味が異なる)。

この存在零度、存在のゼロ、零度の存在性とは、「形而上的な意味での絶対の無。しかし、絶対の無ではあるが、そこから一切の存在者が出てくる究極の源としては絶対の有。大乗仏教で言うところの真空が妙有に切り替わるところ、あるいは中国の宋代の易学で周濂渓が立てた無極―太極の区別の朱子的な解釈において無極即太極とされたところなどに該当すると言いうる。」((井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』122頁以下。図は、同123頁)

スフラワルディーと、彼の「光」のスーフィー修行については、以下の記述がある。

「隠れた真理はその姿をスーフィーの心の中で開示する。「スーフィーの心は鏡のごとく、真理の顔はその中で開示される」。真理の顔が心の鏡で開示されたとき、スーフィーと真理には同一性の関係が生じる。換言すれば、スーフィーは感覚器官によらず無媒介的に真理を把握する。無媒介の把握がまさにスーフィーの精神的体験である。スーフィーが無媒介的に真理を把握する際、真理は「創造的」イマージュの形でスーフィーの心に開示される。最も一般的なイマージュは「光」の像である。スフラワルディーも自分の主著である『黎明の叡智』の最初で、修行によって真理の顔を無媒介的に把握して、真理の顔が自らを「光」の心象で開示したと述べる[3]。」(ザキフール・バフマン「井筒俊彦の東洋哲学とスフラワルディー哲学」) 

神の知の再現としての芸術

イスラームにおいて書は「霊魂の幾何学」であり、見えない神的生成の流れを筆を通じて「見えるもの」へと結晶化させたものであると言われる。さらに、ある中世ペルシアのスーフィーによると“至高の筆”は光そのものであるという。つまり「眼によって知覚しうるもの全てが(神による)カリグラフィーということだ。ここにおいて世界は神的な筆によるphoto”「光」“graph”「描かれたもの」の不断の運動というヴィジョンが到来する。闇夜を疾駆する光の筆の運動。それは闇を引き裂き、神的生成の光子を放電する、速度であり、線分であり、痕跡の結晶なのである」[4](下川晋平)。

下川晋平 写真集『Neon Calligraphy』ふげん社、2023年


 恐らく、光そのものが至高の筆だとすると、至高の筆を見ることはできない。光が闇を切り裂くときあるいは、光が闇を照らし出す時に限り、光は筆になりうる。スフラワルディーの神秘体験によれば、光の光は真理そのものであり、それは感覚を超えるものだ。

アッラーは、筆を創造したが、書き手は、必ずしも神ではない。筆で切り取っていくのは、それが、ペンであろうがカメラであろうが、つねにアッラーの創造との差延、差異、遅延に、その創造の偉大さを思い知る人間の側である。

闇を引き裂くネオンは、存在のゼロ・ポイントからの世界の現前化の追体験だ。そこでは、存在が語る。存在が自己(の痕跡)を開示する。

絶対零度の自己展開を、文字であれ画像であれ、切り取ろうとする営みが芸術ということでもあろう。アッラーフ・アアラム。



脚注


[1] Šihāb ad-Dīn Yaḥya Suhravardī; c. 1154 - c. 1191)は、12世紀イスラーム圏の哲学者。アリストテレスの哲学をイブン・スィーナーの注解に基づいて学び、後に独自の哲学を展開した[1][2]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%95%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC

[2] イブン・アラビー(アラビア語: ابن عربيي‎ Ibn al-ʿArabī, アラビア語: محي الدین أبو عبد الله محمد بن علي بن محمد بن العربي الحاتمي الطائي‎ Muḥī al-Dīn Abū ʿAbd Allāh Muḥammad ibn ʿAlī ibn Muḥammad ibn al-ʿArabī al-Ḥātimī aṭ-Ṭāʾī 生没年 1165年7月28日 - 1240年11月10日[1])は、中世のイスラーム思想家。存在一性論・完全人間論を唱えてイスラーム神秘主義(スーフィズム)の確立に寄与し、後世に影響を与えた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%BC

[3] アラビア語文献と英訳を参照。Suhrawardī, The Philosophy of Illumination, English Translation, Notes, Commentary, and Introduction by John Walbridge and Hossein Ziai, Provo, Utah: Brigham Young University Press, 1999, pp.1-5.
[4] https://shimpeishimokawa.com/projects/neon-calligraphy


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