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就職を考えていなかった世界一周貧困支援男がアトラエに入社を決めたわけ

2021年7月から株式会社アトラエにて、YentaのAndroidアプリの開発・運用・保守を担当している23卒の浅田悠太です。
※ちなみに社内や社外のエンジニア界隈ではブルと呼ばれています。

初めて出社した日から今日でちょうど1年が経ち、YentaのAndroid開発全てを任されるくらいになりました。最近では技術記事も書いたので興味ある方はご覧ください。

本noteを読んで、学生の時に

お店を経営したい
・社会問題を解決したい
・世の中を良くする仕組みを作りたい

このような純粋な心があったにも関わらず、 社会人になって社会に揉まれてその情熱を失った、 もしくは就職のせいで夢を諦めざるを得なかった、 そんな自分の人生の生きる道に迷ってしまった人にとって、その道を見つけるきっかけになると嬉しいです。

貧困解決

私の夢は貧困問題を解決することだ。

突然こんなこと言っても
何言ってんの?漠然としすぎじゃない?
と思った方もいると思う。

そこでこの経緯についてこれから説明したい。

貧困解決に興味を持ったきっかけ

これは主に2つ挙げられる。

土砂災害の経験

1つ目は土砂災害の経験だ。

私が高校生の時に起きた災害で、広島土砂災害と呼ばれている。

この災害は、私の住む広島ではもちろん、全国的にも連日報道され、 近所の方や私の1歳上で、まだまだ若かった方までも命を落とすほどの大規模土砂災害だった。

この災害を受け、私は部活を休み、 毎週のようにボランティアに取り組んだ。特に理由はなかったが、 ボランティアに行かないといけないという精神に自然となっていた。

ここで「何かを救いたい」という自分の思いに気づくことになった。

両親の離婚

2つ目は両親の離婚だ。

私の大学受験期に両親が離婚した。 母が泣きながら「離婚することになった。」 と言ってきたことが今でも忘れられない。

当時、公民館で泣きながら受験勉強をしていたことを覚えている。母は当時パートとして働いていたが、生活のために転職し派遣社員となった。 そして、そこから私はいわゆる日本の貧困層となった。

志望校もお金のことを考え、実家から通える公立大学を選んだ。 それをきっかけに、より貧しいということを実感するようになった。

この2つの出来事から生活に苦しんでいる人を支援できることはないのかと思うようになり、SNSでボランティア団体を探したところ、海外の貧困支援をしている団体と出会った。

引用: ハビタット・フォー・ヒューマニティ・ジャパン

海外ボランティア

そのボランティア団体では、Habitat For Humanityという母団体の元で、家がない人々のために家を建てる活動をしており、海外の現地に赴き、実際に私も活動した。

ただ、そこで見たのは、住む家がないとはいえ最低限の生活ができている人たちがほとんどだった。

私たちのような組織化された団体として参加しているボランティアは、劣悪な環境にいる貧困層とは交わらないよう安全面が考慮されていたらしい。

それを知り、劣悪な貧困地域に住んでいる人たちには、ボランティア団体からの支援の声すらかからないということが脳裏をよぎった。

つまり、貧困であればあるほど支援の手が届かないのだ。

これらのことから、支援も行き届いていないレベルの貧困地域を確かめたい。実際に足を踏み入れて自分にできることが何かを鮮明にしたいという思いが増していた。

世界一周の決断と準備

私は支援も行き届いていないレベルの貧困地域を訪れる手段として、世界一周に出ることを決めた。

その理由として、世界一周であれば多種多様な貧困地域を訪れることができ、旅や英語、写真や動画撮影など自分の好きなこと全て同時に実現できると確信したからだ。

これらの実現のために、撮影機材を揃え、英語の勉強のために世界一周前にセブ島での語学留学に3ヶ月間行くことを決めた。

また、旅しながらただ貧困地域を見て回るだけではなく、実際に何かを支援したいという気持ちがあったので、世界一周をしながらできる貧困支援を考えた。

衣食住で考えてみるとどれも難しい。

・衣は持ち運びが難しい
・食は検疫で引っかかる
・住は比較的長期の滞在が必要、もしくはお金での支援

バックパックに入れて持ち運びができるもので何かないかなと考えていたところ、授業を受けていた時に文房具が最適なのではないかとふと思った。

しかし、大量の文房具(ペン)を購入するにはある程度のお金が必要だ。

ペン代を自分で全額負担も考えていたが、既に留学、世界一周などで大量のお金を使う予定があった。

そして、大学生1人では限界があると感じ、私の支援を応援してくださるところからスポンサー支援をいただけないかと考えた。

そして私は、応援してくれそうな企業数十社に書類を送った。ほとんど返信が来ない中、2社だけが反応してくれた。

どちらもスポンサーには至らなかったが、その内の一社から有意義な情報をいただいた。

株式会社モンベルであれば、挑戦を応援してくれるスポンサープログラムを提供している、と。

それを聞いて連絡して、いくつかのフローを踏んだところ、なんとスポンサー支援を受けることができた。

また、とある団体さんからイベントで余った大量のタオルハンカチがあるというお話があり、それも持っていくことに決めた。

それでもお金はギリギリだったので、居酒屋のアルバイトを頑張り、

・旅の宿泊費を1日600円以下に抑える
・旅券は現地で最安値で買う
・朝はバナナ
・昼夜は安い屋台で食事する

このような節約を意識した旅程を組んだ上で、私は出発した。

大量のペンを手に。

貧困支援のターゲット設定

世界一周を経て、感じたこと。

それは「貧困」はあまりにも巨大な社会問題であり、長い期間で見ると少しずつ改善されていくのかもしれない。しかし、私が生きている間に全てを解決するのは難しい、ということだ。

その中でも私にできる支援をするためにはターゲットを絞るべきなので、世界一周を通して私にできることは何か考えた。

そして、旅の途中で見た多種多様な貧困について改めて考えてみることにした。

・ペンすら足りておらず、勉強ができない
・ペンはあっても紙がないので地面が黒板代わり
・病気で苦しんでいるけど、治療ができない

ペンは足りていなかったが、なんとか地面に書くなど工夫して勉強できている人もいた。

だが、ペンはあっても先生がいないことも多い。また、中には文字の読み書きすらできない人もいた。

病気で苦しんでいる人は、治療方法があるとしても、お金と治療できる人(医者)がいないことから必要な医療にアクセスできない。

ならば、そのいずれかを私が支援すれば良いのかと支援の方向性が見え始めた時、これらの考えを覆すほどの衝撃を受けた貧困地域があった。

そこはエチオピア北部の火山地帯で40℃後半の暑さの場所。
多くの場合、貧困に苦しむ人たちはこれまで、お金を求めてきた。
だがそこは想像の斜め上の世界だった。

Water...Water…

観光客を目撃すると、これを子供たちが連呼していた。
食糧どころか水も足りていないのだ。
40度後半の暑さの中、水が足りない世界を想像できるだろうか?

私はこの衝撃が頭から離れない。

そして、私は貧困支援のターゲットをこう結論づけた。

生死を彷徨う人を『生きる土台』まで引き上げたい。そして彼らが何か生きる希望や夢を持って一生懸命何かに取り組める環境を整える。と。

そこからの学び、方向転換

これを掲げ、私はどう行動していくべきなのかを考えた。

生死を彷徨う人を救うには、医療的な補助をする方法や、現地に行って何か物品を支援したりする方法がある。

前者については医療技術がないと不可能だ。

後者については、青年海外協力隊やNPO団体であれば達成できる。

ただそれで良いのか。そうすることで彼らの孫の世代まで救うことはできるのか。いやできない。

直接現地に赴くような支援ではなく、循環して救える仕組みを作れないか。

そして一つの結論に至る。

テクノロジーを用いて仕組み化を実現できないか。

テクノロジーを用いて何か有用なサービスを作る。そして貧困地域の各村から優秀な人を招き、社会貢献できる人材に成長できるまでサポートし、その村に還元する。

そのような仕組みができないかと考えた。

1社目の会社

テクノロジーを用いて有用なサービスを作るには、まずは自身も技術領域を理解する必要がある。

そこでプログラミングを本気で始めた。私はプログラミング経験は学校で習ったくらいしかなく、好きじゃないし向いてないともよく言われる。

だが、覚悟した以上はやるしかない。途中で諦めたら私が私ではなくなる。そんな気がした。

そこからインターン先を探した。まずは自己分析。面接対策。これらを短期集中で行った。そして、広島県で唯一のエンジニアインターンシップ募集を見つけて応募した。クランチタイマー株式会社という名の会社である。

当時のその会社の環境は、社長とインターン生6人という珍しい構成だった。インターン生しかいない受託開発の会社だったが、決められた納期までにプロダクトを完成させる必要があった。

大学の授業の関係上、出社できる日が不規則だった学生の私たちに、そこまでの責任感を感じて業務を遂行するというのはかなりの緊張感だった。また、分からない箇所があっても質問する人もいないので、自身を限界まで追い込むことができ、短期間で急成長できたのだと思う。

本当にクランチタイマーの社長、そして一緒に働いていたインターン生には感謝の気持ちでいっぱいだ。

ただ、この会社で働き始めて1年が経ち

・ここにいても貧困問題を救える可能性は極めて低い
・求めていた技術領域ができなくなった

このような理由から、次のインターン先を探すことにした。

次のインターン先を探すに当たって、これまでの実務経験を基に、エンジニアとしての環境がどれに適しているのかを考えた。

・CSSが苦手すぎたのでフロントエンドは向いていない
・インフラは良設計にはならずとも1アプリの設計、構築くらいはできる
・貧困地域ではAndroid端末しか使われていない
・バックエンドは触ってみたが、面白みを感じなかった

自身の人生と向き合い続けたからこそ、Android開発が近道だということに行き着いた。

アトラエとの出会い

そしてWantedlyを探していたら、とある企業を見つけた。

そう、それが今いるアトラエである。

はじめは「Android開発」と検索したら出てきたので、なんとなく応募してみた程度だった。

就職するのかすら迷っていた私だったが、アトラエは社風がかなり特殊で、ここであれば合うのではないかと直感的に感じ、インターンの選考に挑んだ。

アトラエでの面接は初めての感覚で、ただ面接するのではなく、私の人生のことを一番に考えてくださり、手厚くフィードバックされた上で、アトラエとマッチするかを考えてくれる面接だった。

そこでは私の興味関心の強い「貧困問題」や「世界一周」について話した。特に、貧困問題に対する熱量はそれなりにあると思っていて、これまで説明したようなことをひたすらに熱く語った。

「貧困とアトラエの重なり」についても熱く語ったことを覚えている。

熱量、野心は伝えられて、自己表現できたが、こんな世界一周貧困支援男を入れるわけないか。普通の企業であれば、私のような貧困問題一筋な人をインターン生として迎え入れないよな。笑

そう思って落とされる覚悟はしていた。

だが、インターン選考の最終面接である岡さんとの面接が終わった後、合格!とのお言葉をいただいた。

そう、迎え入れてくれたのだ。

まさか選考を突破できると思っていなかったので、東京に3ヶ月間滞在するのは想定外だったが、すぐに準備して東京に行った。広島からほぼ休憩なしで13時間バイク運転で東京に向かった。そして、そんな私をアトラエの皆さんが暖かく迎えてくれた。

会社の中にバーがあり、そこで事業の話や、アトラエのこだわりについての話など様々な話が展開されていた。こんな会社があるのか。知らなかった世界を目の前にし、私の中の常識が覆された。

インターンを通しての思考の変化

私が実際にアトラエにインターン生としてジョインしてから感じたギャップがいくつかある。

文化

大抵の場合、会社は楽しくない、自分の生活のために働いているというこの世の中で、アトラエの社員は全員生き生きとしており、思考のベクトルが自分ではなく、外に向いていた。

それだけでなく、私はアトラエを知った当初、例えその企業が目標(ビジョン)を持っていても、社内に浸透しておらず、幹部クラスの人くらいしか意識してないのが一般的だと思っていた。

アトラエに入る前から、ビジョンを皆が考えて体現しようとしていることを伝えられてはいたが、実際に働いたこともなかったため、最初は半信半疑だった。

しかし、私は確信した。アトラエは、個々がこのビジョンを達成しようと自律的に動いている組織だということを。

このビジョンを掲げ、会社のためにできることは何か。このビジョンを実現するにはどう動けばいいのか。

それを個々が判断し、動いていた。

このビジョンの達成のために「アトラエらしさとは何か」を問い続ける。そして、個々の思う「アトラエらしさ」の解像度は異なるにせよ、険しい山道を進み、アトラエらしさを体現していく。

こうあるからこそ、イキイキとしたやりがいのある企業なのだと思った。

裁量の幅

やはりアトラエでの裁量の幅はかなり大きい。インターン生であるにも関わらず、様々な領域に挑戦可能なのだ。

エンジニアとしても、開発だけでなく、運用と保守も経験できている。

インターン生がプロダクトのリリースなど全てを管理できるような企業は、この規模感の企業ではなかなかない。その分プレッシャーではあるが、この緊張感を新卒にもなってない人が体験できるのは魅力的である。

まだまだできる領域は狭いが、どんなに小さなことでもいいので、こいつに任せればここは何とかなる、くらいのできる領域を少しずつ増やしていこうと思う。

貧困支援との重なり

アトラエにいて、貧困問題を解消できるのか。これは私の中でずっと悩んでいた問いだった。

他にも貧困問題を解決しようとしている会社はある。そちらに入った方が結果的に多くの支援ができるのではないか。

エンジニアという領域で解決しようとしているとはいえ、考えている暇があったら、海外に学校を建てて支援した方がよっぽど社会貢献になるはずだ。

このままでは、将来的に結局何もできず、エンジニアを選んだ理由がなくなった。という事にもなりかねない。

そんな中、私はここでいいのか。

アトラエ選考の覚悟

最終選考に進むかと何度か聞かれたが、「貧困」との重なりでまだ迷いがあり、スキップしていた。

そしてある時、私の中での考えがまとまった。

これからアトラエ以外の次の企業を探すとする。果たして、アトラエ以上に私の条件に合う企業がすぐに見つかるだろうか。いや、すぐには見つからないだろう。

自分だけで現地に行ってそれを解決するのも良いのではないか。いや、私は既に世界を旅したし、コロナで貧困地域に行くことができない。

仕組み化すると決めたのに、再度直接的な支援する方向でいくのは違う。

くよくよ悩んでいる時間があったら、アトラエに決めて、圧倒的に成長し、私がアトラエの中でそれを体現できるように動けばいいのではないか。

もしそれがアトラエでも実現できなかったのなら、その時は、個人でもいいから学校を建てるなどして、何かしらの形で貢献する形もある。

今の私にはアトラエしかない。そんな覚悟を持ち、最終選考に進んだ。

最終選考は社長との面接だ。社長とは以下のような話をした。

・ここは貧困を救う会社ではない
・他にも貧困問題を解決する会社はいくつかあるからそちらじゃダメなのか
・貧困解決という課題は想像以上に根深い
・会社を経営するよりも難易度が高い

正直一方的だとも言えるくらいボコボコにされた。それでも私は突き進んだ。私はここで解決できると信じている。迷いはないと。

アトラエが世界中を魅了する企業に近づいていく過程で、間接的にでも貧困問題を解決できればそれでいい。それらを私の力で体現できるように自らが動き続けるという私の中での考えを全力で伝えた結果、なんとか内定をいただけた。

もちろんその場で承諾した。

朝一の時間だったにも関わらず、私を祝福しようと、沢山の人がオフィスに来てくださり私は感謝感激だった。

裏話メガベンチャー

実は私の中での覚悟が確立するまではメガベンチャーも視野に入れていた。そしてこの目で確かめたかったこともあり、実際にメガベンチャーでのインターンシップにも参加した。

私は、メガベンチャーに以下のような漠然としたイメージを持っていた。

・とても生き生きとしている
・意見が飛び交っている
・裁量が大きい
・成長重視

ただ、実際に働いてみて、メガベンチャーのエンジニアは基本的にエンジニア領域しか経験できないと知った。少しはビジネスサイドに関わることができてもガッツリ関われることは少ないと。

その中でビジネスサイドなどの他領域にも携わっている人はほんの一部しかいなかった。

私は貧困支援をする上でエンジニア領域だけを極めれば上手くいくとは思っておらず、ビジネスサイドの力も必要だと考えているため、メガベンチャーは合わないと思った。

また、挑戦環境もアトラエ以上のものを感じなかった。

ビジネスサイドがめっぽう弱い私でも、アトラエであれば、エンジニアはもちろんビジネスサイドにも挑戦できる。それだけでなく、やりたいことの一つであるカメラマンへの挑戦も可能だ。

そう、裁量が大きすぎるのである。私はもうアトラエしか考えられなくなった。

今後挑戦したいこと

私の今期の目標は、Android開発を1人で全てやれるようになることだ。

スピードはまだまだ遅く、未だにもう一人のAndroid開発者であるむつみさんに頼ったりすることもあるが、最近になってそれが現実的になってきている。

ここまで成長できたのは、むつみさんのご指導、そしてチームの全員が私を信じてくれたからこそだと思う。

まずはこれを完全に自走できるようにしたい。

そして、徐々にエンジニアとしてカバーできる範囲を広げ、先程も少し触れたようにカメラマンとしてのスキルアップ、そしてビジネスサイドで活躍する力も身につけ、マルチに対応できる人材になる。

全てが一気にできるようにはならないので、山登りのように1歩1歩前に進んでいこうと思う。そしてその過程で、間接的な貧困解決も視野に入ってくることを信じている。

余談

これはアトラエバーでCTOの岡さんと話していて気づいたことだ。

私の視野は狭かった。海外の貧困はもちろん救おうと思っている。

ただ、海外の貧困にばかり目を向けていたが、私の周りを見るとどうだろう。貧困ではなくとも、何かしらで困っている人たちがいた。この気づきから私は以下のように決心した。

友達や家族などの周りの人たちも助けたい。
それは仕事なのかもしれない。
就職活動なのかもしれない。
人間関係なのかもしれない。
どの領域であっても、お世話になった人への感謝を忘れず、困っていたら力になりたい。

真っ直ぐな私の姿を見てあの人が頑張ってるから自分も頑張ろう。そう思ってくれる人が増えてくれると嬉しい。そして、その頑張っている人を見て、私自身も感化され、最大限の努力をする。これもとても素敵な仕組みではないだろうか。

最後に

私はレベルの高い人間ではありません。臆することなく夢に向き合い続けた結果として今の自分があります。

就職するにあたって自分のやりたいことを失うのは勿体無いです。社会人という枠組みに囚われるのではなく、敷かれたレールから脱線する勇気があれば誰でも変えられます。

まだ少しでもその情熱があるのであれば、夢を達成するためにどう行動していけば良いかを改めて考え、一生懸命に取り組んでみてください。

一歩踏み出すだけであなたの知らなかった世界が切り拓けるかもしれません!

私はこれまで関わった人たち、そして家族にも感謝を忘れません。

これからも自分らしく全身全霊で仕事を全うし、アトラエの1社員として当事者意識を持って、後悔のない道を歩もうと思います。

もし、この記事を読んでアトラエに興味が湧いた人がいればお気軽にご連絡ください!オンラインでお話も、オフィスで気軽に交流もできますのでお待ちしております!

最後までお読みいただきありがとうございました!

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