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やさしさと繊細、そして白城

共感性が高く、何かにつけ感じ入ってしまう自分を「繊細」だと思っていた。その繊細さをなくして、傍若無人な誰かになってしまうくらいなら死んだ方がましで、不安定な繊細さ、それ自体を「感受性」と捉えていた頃があった。…というか、いまだって共感性が高いのは変わらずで、揺らいだらすぐ、そういう自分が現れる。

大前粟生『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を読んで、そんなことを思った。

主人公の男性・七森は、京都の大学生。ぬいぐるみサークルに入っていて、そこには外の世界では言えないようなことを、ぬいぐるみに対してだけしゃべる人たちが集まる。

七森は、「男性」として生きることの加害性をものすごく認識している。それゆえに恋愛そのものにして悩んだり、友達の麦戸ちゃんのやるせない経験・ひょんな流れで彼女になった白城のひとことにも思いを巡らせる。

生まれたら簡単に男・女で分けられてしまうこの世界の生きにくさと、マジョリティの加害性について…感覚的にめちゃくちゃ重要なことを捉えられる。そんな作品だったので、フェミニズムに影響をバリバリ受けている自分にも刺さった。

けど、やっぱり1番に感じたのは、「やさしさ」と「繊細さ」のこと。

ぬいぐるみサークルにはとにかく「やさしい」人が多い。そのやさしさについて、

みんな、個人的なことを聞いたり話したりするのを、やさしくて避けてる。軽薄さや無関心と間違えやれてしまうようなやさしさ。(P26)

と書かれている部分が、読み終えてからもずっとずっと心に残った。身に覚えがあったから。

例えば、髪を切った人に「髪を切ったね」って言えない。「本当は後悔していたらどうしよう」「"変だったかな…"と気にしちゃったら申し訳ない」みたいなことを思ってるゆえなんだけど、体杞憂に終わる。周りの人が身軽に「髪切ったね! かわいい!」とか言っているのをみて、「触れて大丈夫だったのか」と思う。そういうのを何べんもくりかえす。

自分からすると気をつかった結果なんだけど、それは誰かからみると単なる「無関心」。人に頓着がないやつだって思われたりする。

「ぬいサー」に集まるそんな繊細な人たち。いろんな澱をため込んで、ぬいぐるみだけにしか吐き出せない人たち。じゃあ繊細に見えない人ってやさしくないのかな? って思わせてくれたのが、サークルに入りながらもぬいぐるみとしゃべらない女の子・白城だった。

白城は、ぬいサーの他にイベントサークルに入っている。彼氏も何人か作ってる。先輩たちの恋人関係にずけずけと踏み込める。七森や麦戸ちゃん、他のぬいサーの人たちとはちょっと違うさっぱりした空気感を持っていて、属性だけで判断されてしまうこの世を「それはもうしょうがない」と言い切ることができる。

そんな白城のラストの行動が、とにかくすごい。

高すぎる共感性は、ときに自分への暴力になる。麦戸ちゃんも七森も、やさしすぎる繊細さゆえに何もできなくなる瞬間がくるのだけど…、最後の最後で、わたしには白城に希望を持ってしまった。

繊細さゆえに踏み込めずにいる人たちの横で、軽々と他人と関係性を作れる白城。そんな白城は白城で、自分の持てるやさしさで、七森と麦戸の救いになっていくのでは…って。

共感性が高く繊細であることは、他人を傷つけないけど、「その悲しみ」しか癒せないのかもしれない。ただ、そんな人たちの生きづらさを、誰かが引き受けることはできるのかもなぁ。なんて。

当事者意識を持てるひとだけの問題ではなく、身近にふりかかっている問題として捉えて、強度を持って担っていくようなイメージ。

わたしは七森や麦戸ちゃんが気持ちよく生きてくれる世界のために、白城の「やさしさ」を支持したいと思いました。

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