画期的な仕組み
ショーケースに並んだ菓子をいくつか選び終えたところで、飯尾は壁に貼られた小さなメモに気づいた。
「あ、現金だけなんですね」
確かめるようにメモを指しながら店員に聞く。
「ご不便をおかけして申しわけございません」
カウンターの向こう側で濃茶に白いフリル襟のついた制服を着た女性店員が三人、揃って困った顔になったあと丁寧に頭を下げた。
どんどんキャッシュレス化が進んでいる世の中でクレジットカードさえ使えないとは、さすがは高級菓子店だな。何がさすがなのかわからないが、とにかくさすがだなと飯尾は思った。
確かにクレジットカードや電子マネーでの支払いにはどこか幻想のようなものがつきまとうが、現金には単なるデータのやりとりにはない物質としの手応えがあるから、現金しか受けとらないというこの店の方針もわからなくはない。
「今、現金の持ち合わせがないので、ちょっと銀行へ行ってきてもいいですか」
「もちろんです。その間にお箱にお詰めしておきますので」
三人の店員は、こんどは揃ってにっこりと笑うと、またしてもさっきと同じように丁寧に頭を下げた。
肌寒いほど冷房の効いている店内から一歩外へ出ると、むせ返るような熱気が飯尾の身体にじっとりとまとわりつく。近くの銀行までほんの数分歩くだけだが、それでもATMコーナーに立ったときには、シャツが汗でぐっしょりと濡れていた。
四台あるATMにはどれも人が並んでいて、飯尾の順番が来るまでには少々時間がかかった。
カードを機械の口に差し入れ暗証番号を入力する。
そう言えば最近はATMの手数料がやけに高くなったよな。この手数料だってデータのやりとりだから何となく受け入れているけれども、いちど引き出した現金からわざわざ手数料を支払ったり、手数料の引かれた金額しか現金が出てこなかったら俺たちはもっと手数料を意識するかもしれない。やっぱり現金の物質的な力は侮れない。
飯尾はそんなことをぼんやり考えながら、引き出し希望金額を入力し、最後に決定ボタンを押した。
画面の中央に飯尾の口座残高が表示されると、軽快な音楽とともにスロットマシーンのようにくるくると回転し始めた。
「なんだこりゃ」
やがて数字の回転がゆっくりになって止まった。あらためて表示された口座残高は、当然ながら飯尾が引き出そうとした金額ぶんだけ減っている。
が——
それだけだった。現金の出納口はぴたりと蓋が閉じたまま何も起こらない。出てくるはずの現金はどこにも見当たらなかった。
「どういうことだ?」
飯尾の顔が曇った。
ブップップップー。ドン。
突然、ATMから奇妙な効果音が流れると、画面に悲しそうな顔をした犬のキャラクターが表示された。キャラクターの口から出ている吹き出しの中には、残念、また挑戦してねと書かれている。
「えっ?」
思わず飯尾の口から大きな声が漏れた。わけがわからない。いや、何となくわかる。何となくわかるが納得はできない。これでは俺の金がただ取られただけじゃないか。飯尾は眉をギュッと寄せた。手数料どころか引き出したはずの金をぜんぶ持って行かれてしまった。
どうすればいいのかわからず、飯尾は銀行員を探してキョロキョロと辺りを見回した。
パラパッラッパッパー。
いきなり隣のATMから派手な音楽が鳴り渡り、飯尾はついそちらへ目をやった。
「やったぞ」
初老の男性が両腕を高くつき上げて叫んでいる。
「おおおおお」
ATMの列に並んでいる客たちからも、どよめきの声があがった。
ターララーターラー。
やがて、のんきなワルツの調べとともに現金出納口から大量の硬貨が吐き出され始めた。
ジャラジャラジャラジャラ。
床に溢れ落ちた硬貨が甲高い金属音を響かせる。
「おめでとうございます」
銀行員が慌てて大きなバケツを持ってきた。
「お引き出しご希望額をそのままお渡しします」
ジャラジャラジャラ。
バケツが一杯になってもまだ硬貨は出続けている。
「すげぇ、引き出したぶんが全額出てきたっぽいぞ」
並んでいる客の一人が呆然とした声を出した。
「それどころか、大当たりだから手数料も取られていないみたいだ」
「普通はなんだかんだ言って引かれるのに」
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