ラベル
慎重な動作で便座に腰を降ろした飯尾はホッと息をついた。額にじっとりと浮かんでいた汗をシャツの袖で拭い取る。
「ふうう」
外回りの途中で猛烈な腹痛に襲われたが、近くにあったコンビニまでなんとか耐え抜いたのだ。
「お手洗いを」
「どうぞ」
店員の返事を聞くより先に、すでに個室へ飛び込んでいた。
ようやく周囲に気を配る余裕が生まれた飯尾は手洗いの壁に埋め込まれたボタンに目をやり、怪訝な顔つきになった。二つあるボタンにはそれぞれプリンターで印字された小さなラベルが貼られている。
――おしり――
――俊哉――
「ん?」
自然に首が傾いた。
「おしりは解るが俊哉ってのは何だ?」
最近のシャワートイレにはいろいろな機能がついているが「俊哉」が何を意味しているのか、いくら考えてもよくわからない。
飯尾は当然ながら「おしり」とラベルの貼られたボタンに手を伸ばし、そこでふと手を止めた。彼の手を止めたのは好奇心である。二つのボタンの間を指が何度も行き来する。
「いや、わからないことはやめておこう」
しばらく迷ったが、飯尾は結局「おしり」のボタンを押した。が、何も起こらない。もう一度押すが、やはり何も起こらなかった。
「壊れているのか?」
だったらしかたがない。飯尾は躊躇うことなく「俊哉」のラベルが貼られたボタンを押した。
「はい」
いきなり若い男性の声が聞こえた。寝起きのような気怠い口調だった。
「何だ?」
飯尾は個室の中を見回すが、どこから声が聞こえてきたのかよくわからない。もう一度ボタンを押す。
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