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クリスマスのアルバイト

illustrated by スミタ2023 @good_god_gold

 チラシには有名デパートの名が書かれていたが、訪ねてみると担当者はチラリと木寺を一瞥して、すぐに窓越しに見える裏の雑居ビルを指差した。
「そのアルバイトの応募はここではなくあちらで行っています」
 教えられたビルの前に立った木寺は手元のチラシを見直した。
――クリスマスシーズンだけの特別なアルバイト。ちょっとした仮装をして子どもたちを喜ばせませんか?――
 エレベーターのないビルの四階まで上がると、いくつかあるドアの一つにデパートの名前が書かれたプレートが貼られていた。デパート名の下には第二人事部・補完分室とある。きっと本社で扱いたくない種類の業務はここが担当するのだろう。美しい光の当たる舞台の裏には必ず暗い影の落ちる場所がある。
 ドアを開くと受付カウンターも何もなく、いきなり雑多な事務所が目の前に広がった。部屋の半分ほどは事務机が四つずつ島になったオフィススペースで、向こう半分ほどはただの空きスペースになっていた。
 その空きスペースを十人ほどのサンタクロースたちがウロウロと歩きながら壁の鏡に向かって楽しげなポーズを取る練習をしているが、動きが妙にぎこちない。サンタというよりはサンタの格好をした不審者のようだった。
「応募の方?」
 入り口すぐの席に座っていた女性がこちらに顔を向けた。赤いフレームの眼鏡をかけている。
「ええ、この案内を見て」
 木寺は手にしていたチラシを軽く掲げて見せた。
「ああ、じゃあ向こうへ行ってください」
 女性はサンタたちがウロウロしているスペースを指し、大きな声を上げる。
「井間賀さん、クリスマスのバイトですよ」
 井間賀と呼ばれた男性が弾かれたようにこちらを向き直り、木寺に向かって手招きをした。
「着ぐるみに入った経験はある?」
 渡された紙に木寺が住所氏名を書き終えるのを待って井間賀は聞いた。
「ええ、学祭の出し物で」
「木寺くんは大学生なの?」
「はい」
「着ぐるみは得意?」
「得意?」
「だから、役になりきれる?」
「どうでしょう」
 木寺は首を傾げた。
「高校時代は演劇部だったので、それなりに演じられるとは思いますけど」
「じゃあ安心だな。あと、携帯は持ってる?」
「はい」
「じゃあ、その紙の端っこに携帯の番号を書いたら、向こうの隅で待ってて。いま着ぐるみを持ってくるから」
 木寺は所在なくサンタクロースたちをぼんやりと眺めた。どのサンタクロースの衣装も数年使い回しているのだろう、赤い服も黒いベルトも白い裾も、どことなくぼんやり薄汚れていて、くすんだ色になっていた。
 子どもたちを喜ばせたいなら、もっときれいなサンタクロースを毎年用意するべきだろうと思うが、どの街でもこんな風に薄汚れたサンタが、歪んだプラカードを手にしたまま背中を丸めて立っているのが実情だ。汚れたサンタたちは夢を配る代わりに安売りを案内している。
「はいこれ」
 ゴロゴロと音を立てながら井間賀が転がしてきたのは直径二メートルほどの大きな白い球体だった。これもやっぱり色褪せていて、真っ白からグレーに変わりかけている。球の片側には天辺から底までファスナーがついていた。
「これは?」
「だからクリスマス用の着ぐるみだよ」
 サンタの以外の衣装もあるのか。
 井間賀に促されるまま木寺は球体の中に入った。着ぐるみだと言われたものの、どこかに手足を出す穴があるわけでもなく、ただ球の中に立っているだけだ。ファスナーを閉められると完全に閉じ込められる形になったが、壁の所々は薄いメッシュ状になっていて外の様子を見ることはできた。
 ファスナーのない側へ回り込んできた井間賀が球体に顔を近づけた。ニコニコしているのがわかる。
「じゃあ、つけるから」
 井間賀がそう言った途端、ガクンと球体が大きく揺れて木寺は尻餅をついた。
「うわっ。何なんだよ」
 しばらく足元がぐらぐらと激しく揺れ続けていたが、やがて振動は収まって静かになった。
 ようやく立ち上がった木寺は壁に顔を押しつけ、メッシュ越しに外を見た。視線を下の方へやって思わず息を飲む。
 空中にいる。
 どういうわけかはわからないが、球体はかなり高いところにあるようだった。振り返って反対側の壁に顔を押しつける。視界全体が緑色に覆われて、いったいそこに何があるのかはわからなかった。なんなんだよ。何が起きているんだよ。俺は何をやらされているんだよ。
 不意に尻のポケットで携帯電話が鳴った。
「木寺君、平気だよね?」
 電話に出ると井間賀の嬉しそうな声が球体の中に響く。
「いちおう平気ですけど」
「うんうん。こっちから見ると、けっこういい感じだよ。さすがは演劇部だな」
 ほらあれ見ろよすばらしいぞと電話の向こうで井間賀が誰かに言っている。パチパチと手を叩く音も聞こえた。
「あのう、ちょっとこれどういうことですか? いま俺はどこにいるんですか? え? こういうの聞いてませんけど?」
 怒っていることがわかるように、木寺はわざと刺々しい口調で尋ねた。
「つけたんだよ」
「はい?」
「だから本店ビルの横に立っている巨大ツリーだよ。ツリーにつけたんだよ」
「俺をですか?」
「そう。まあ、厳密には木寺君じゃなくて、木寺君が演じているオーナメントだけどな」
 木寺はもう一度、壁に顔を押しつける。この緑色はツリーの葉なのか。その向こう側にチラリと見えているのは木の幹らしい。
「俺が入っているのはオーナメント?」
「そうだよ。今さら何を聞いてんだ。入る前に自分の目で見ただろう」
 電話越しに井間賀がムッとした口調になる。
「あのう、これって、人が中に入る必要があるんですか?」
「ええっ!?」
 井間賀が素っ頓狂な声を上げた。どうやら思いも寄らない質問だったらしい。
「サンタならわかりますけど、ツリーのオーナメントって、わざわざ誰かが演じないとだめなんですか? だって、ぶら下がっているだけですよ」
――ツー――
 いきなり通話が切れた。あわてて木寺は着信履歴から井間賀に電話を架け直す。
――この電話はお客様のご都合によりおつなぎすることができません――
「おい、ちょっと待ってくれよ! どういうつもりだよ」
 木寺は床を強く蹴った。球体がぐらりと揺れる。
 これだ。こうやって揺すれば電話を架けてくるに違いない。
 床に転がると全身を使って球体を揺らし出した。最初は不規則だった揺れが、次第に一定のリズムを取って大きく左右に揺れ始める。
 どうだ。オーナメントがこんなふうに揺れたら誰かがおかしいと気づくはずだ。木寺はさらに身体をくねらし、球体を大きく揺すり続けた。

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