拾ったときは
カチリと鍵を回す音がしたあと玄関の扉が静かに開いた。扉の隙間から夕陽が差し込んで土間に並んだ靴を明るく照らす。
外からそっと顔をのぞかせたのはリオで、玄関や廊下に誰もいないことを確かめてからゆっくりと扉を開けて家の中へ入ってきた。背中の青いランドセルと同じくらいの大きさがある古いダンボール箱を胸の前に抱えている。
音を立てないようにこっそり靴を脱ぎ、片方の足を上がり框に乗せた。
ギーッ。床が鳴る。
あわてて足を戻すがもう遅い。
「リオ、帰ってるの?」
台所から母の声が聞こえた。
「あ、うん」
適当な返事したが、声が妙な具合に上ずる。
「どうしたの?」
母が廊下の端からひょいと顔を見せた。
「なんでもないよ」
リオは急いで体の向きを変え、ダンボール箱を母の目から隠そうとしたが、隠すには遅かった。
「何、その箱は?」
「え、これ?」
リオはとぼけるように首をちょこんと曲げて見せた。
「えーっと、捨ててたの」
「捨てて?」
母の顔が曇る。
「うん。丸古さん家の角のところに」
そう言ってリオは箱を持ったまま自分の部屋へ入ろうとしたが、すっと目の前に母が立った。
「中は何なの? 見せなさい」
「何でもないって。ただの箱」
できるだけ母の目に入らないようにリオは体の脇へ箱の位置を変えようとした。
ガサッ。箱の中で何かが動く音がした。
「いいから見せなさい」
強い口調で母に言われて、リオはしぶしぶ箱を床に降ろすと上目遣いで母を見ながら指を箱の隙間に差し込んで、そっとふたを開いた。
箱の中では一人のお爺さんがニコニコと優し気な笑みを浮かべてちょこんと座っている。
「ちょっとリオ!」
母が困惑した声を出した。お爺さんを指差して首を大きく左右に振る。
「もう、どうして拾って来ちゃったのよ」
「だって」
リオは口を尖らせた。箱の中のお爺さんをかばうようにそっと手をかざす。
「いいから元の場所に戻してきなさい」
しばらくじっと顔を伏せていたリオはやがておずおずと切り出した。
「飼っちゃダメ?」
とっておきの甘え口調だったが、父親ならいざ知らず母にはさすがに通じなかった。
「ダメに決まってるでしょ」
「ちゃんとお世話するから」
目が赤くなっている。
「何言ってんの。ミーちゃんのときもタローのときもそう言ったけど、結局ママとパパが面倒を見てるじゃない」
「今度はちゃんとするから」
「その前にミーちゃんとタローのお世話をしなさい」
「そうしたらこの子も飼っていい?」
リオは両手をぐっと力強く握りしめ、まっすぐ正面を見た。
母はじっと箱の中を見つめてからリオに視線を戻した。
「いい。これはあなたが飼えるようなお爺さんじゃないの」
「飼えるよ。お願いだから」
「見た目とはちがうの。ママにはわかるの」
そう言われたお爺さんの目に一瞬浮かんだ鋭い光にリオは気づかなかった。
「お願い。ちゃんとするから」
母はしばらく何かを考えていたが、やがて大きな溜め息を吐いた。
「だったらまずはミーちゃんにごはんをあげなさい」
腰に手を当てて言う。
リオの顔がパッと明るくなる。
「はーい」
元気良く返事をして床から箱を拾いあげると、リオは軽やかな足どりでリビングへ向かった。テーブルにそっと箱を置いて、中のお爺さんに話しかける。
「ここにいてね」
お爺さんは相変わらずニコニコと笑っている。
「あ、そうだ」
リオは箪笥の引き出しからペンを取り出し、ダンボール箱の内側に窓とドアの絵を描いた。
「ほら、ちょっとお家っぽくなったでしょ。これで待ってて」
リビングの端に置かれた小さなベッドの上ではミーちゃんが丸くなって眠っていた。
「ミーちゃん」
リオが声をかけるとクイッと首を持ち上げこちらを見上げた。
「ごはん、どうする?」
「そうねぇ」
ミーちゃんはゆっくり起き上がると、きちんと座り直してから小首をかしげた。濃い紫色の着物に黄土色の帯を締めている。
「私は何でもいいのよ。タローさんは?」
寝起きとは思えないしっかりとした声だった。
「タローは夕方にお饂飩をたくさん食べたから、夕飯は要らないんだって」
「あらあら、困った人ね」
難しい顔をして肩をすくめる。
「歳は取りたくないものねぇ。だんだんごはんの時間がおかしくなっちゃうもの」
「お野菜を煮たのと、お魚の切り身があるけど、どっちがいい?」
「それじゃあ、お魚をいただこうかしら」
ミーちゃんは上品な笑みをリオに向けた。ミーちゃんがここに来てから三年ほどになる。もうすっかりお婆さんだけれども、その笑顔はとてもかわいかった。
「うん、わかった」
リオは台所に入ると、小さな盆に夕飯を乗せリビングの端へ運んだ。
「ご飯は軟らかめだから」
「ああ、リオちゃんありがとうね」
ミーちゃんは軽く頭を下げたあと、すっと手を伸ばし、優雅な仕草で箸を持った。
「ごめんね、待たせちゃったね」
テーブルに戻って箱の中を覗いたリオは思わず目を丸くした。
リオの拾ったお爺さんの向かい側に、いつのまにかもう一人のお爺さんが座っていて、二人で将棋を指している。その横でさらにもう一人のお爺さんが二人の退局を眺めていた。三人ともビールを飲んでいる。
ガチャリ。
さっきリオの描いた絵のドアが小さな音を立てて開いた。
「いやいや、すっかり遅くなったわい」
ドアの向こうからお爺さんが箱の中に入ってくる。さらにその後ろに続いてもう一人お爺さんが入って来た。二人はコンビニの袋からあれこれと食べ物を取り出し、床に並んだビールの横に置いた。そのまま最初のお爺さんの横にどっかりと腰を下ろして、自分たちで持ってきた将棋盤を広げる。
いったいどうなってるんだろう。リオは将棋を指すお爺さんたちをしばらく見つめていた。
いま箱の中にはお爺さんが五人いるけど、うちにはミーちゃんとタローがいるから、あと五人なんてぜったいに無理だ。
リオは啞然とした顔つきでしばらく箱の中を見つめていたが、やがてふと我に返って台所へ駆け戻った。
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