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機種変更

illustrated by スミタ2022 @good_god_gold

 売上税の税率が上がるという噂があるからか、新型機種がニュースで話題になったからなのか、今月に入ってから機種変更を希望する客がやけに増えたような気がする。忙しいのは別に構わないのだが、客によっては自分の契約している料金プランさえよくわかっていない者もいて、契約内容をあれこれ説明するところから始めなければならないので時間がかかってしまう。
「お客様。お待たせいたしました。それでは、こちらをご確認ください」
 キデラはタブレットに契約内容を表示させると、画面の向きを変えて、カウンター越しに客へ提示した。
「本当に待たせるね」
「すみません」
 年配の男性は、ずれた眼鏡をかけ直して画面をのぞき込んだ。
「字が細かくて見えないな、これじゃあ」
「申しわけございません」
「もういいよ。とにかくこれで新しい機種に変えられるんだろ?」
 男性は画面を見るのを諦めたらしく、キデラに顔を向けた。
「はい。お選びいただいた機種に、現在のお客様の情報をすべて移します」
「そんなことはわかってるから、早くやってくれ」
 男性は面倒くさそうに手を振った。
「ただ、こちらをご確認いただかないと機種変更ができませんので」
「そんなのは、そっちの都合だろ。いいから早くしろよ」
 そう言って、手にした杖でコツコツとカウンターの足下を叩く。
「ああ最近の若い連中はトロいな」
 わざと吐き捨てるように言ったのは、キデラに聞かせるためなのだろう。
 キデラも相当ウンザリしているが、ここは我慢だ。ゴクリとつばを飲み込み、ゆっくりとタブレットの画面をスライドさせた。
「ここに右手の親指を当ててください」
「なんだ、今時まだ指紋認証を使ってるのか」
 男性は小馬鹿にしたように口の端を歪めつつ、タブレットに指を触れる。
「ありがとうございます。それでは、機種変更の際にデータが失われないよう、あらかじめバックアップを」
「いらない」
「え?」
「今まで何度もやってるんだ。初心者じゃあるまいし、そんなのはいらんよ」
「ですが、万が一ということも」
「ああ、ああ、そういうのは大丈夫だから。あのね、こっちはもう何十年もやっているんだ。キミなんかよりもずっとよく知っているんだよ」
 この店に機種変更をしに来る年配の男性の多くは、現役時代に社会的な地位が高かったせいか、どうもキデラたち従業員に対して横柄な態度をとることが多かった。何かを説明しようとすると「それは知っている」「そんなことはわかっている」と繰り返し、挙句の果てに「オレが現役だったころはな」などと自慢話を始めるのだ。
「それでも一応ですね」
そう言いかけたキデラを男性は遮った。
「オレが構わないと言ってるんだから、キミはオレに言われたとおりにさっさと機種変更すればそれでいいんだ」
「はあ」
 ああもうどうにでもなれ。キデラは男性から視線を外して自分の足下を見た。汚れた革靴の両端がすり減って靴底が薄くなっている。
「こちらの機種に変更でお間違えありませんね」
 電子カタログの中から一枚の写真を指さす。
「なんだ? オレが間違うとでも思っているのか?」
「いや、そういうことではなくて」
「だったら、さっさとやれ」
「はい。それでは念のためこちらの端末で登録パスワードの確認をお願いします」
 キデラはタブレットにパスワード確認用の画面を表示させ、男性に向けた。
「いいよ、いちいち確認なんかしなくてもオレはちゃんと覚えてるから」
「ですが、もしも登録パスワードが違っていたらデータを正確に移すことができなくなる可能性もございますので」
「ああ、うるさいな。オレのパスワードはいつも同じだから違ったりしないの。昔から登録パスワードだろうが何だろうが全部いっしょなんだよ。だいたいキミらはいちいち騒ぎすぎなんだ」
 男性にそう捲し立てられ、キデラはグッと唇をかんだ。どうしてこの人たちはいちいち偉そうなのか。
「かしこまりました。それでは機種変更をいたします」

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