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関係者限定

illustrated by スミタ2023 @good_god_gold

 研究所の前に大きな黒いセダンが停まったのは、夜もかなり更けてからのことだった。
「どこかで見覚えがある気がするな」
 部屋に入ってきた男の顔をよく見ようと、丸古博士は目をキュッと細くした。白衣の首元に細い筋が数本浮かぶ。
「こんばんは、博士」
 やけに枯れてガラガラになっていたが、男の声は無駄に大きかった。
 丸古が口を開く前に、男は研究室の中央にあるソファにどっかりと腰を落とし、足をテーブルの上に乗せる。全身から威圧感が漏れ出しているようだった。
「博士に頼みがある」
「あなたは?」
 男の迫力に圧倒されて、丸古はおずおずと尋ねた。銀縁の眼鏡がずり落ちそうになっているが直そうともしない。
「オレを知らんのかね」
「ああ、あなたは」
 不快そうに口を歪めた男を見て、丸古は思い出した。
「そういえば昼のニュースで拝見しました」
 都市開発事業への参加を口利きした謝礼として、複数の建設業者から現金を受け取ったと告発されている地元選出の国会議員だった。さらにその現金を開発事業を担当する役人たちへ配った疑惑も同時に浮かんでおり、まもなく地検の捜査が入るだろうとの観測が広まっている。
「ふん。ニュースか」
 議員は鼻を鳴らした。
「報道の連中は正義ぶるばかりで、オレが舵を取らんとこの国がどうなるかわかっとらんのだ。オレが議員を続けることが何よりも大事なんだ。そうだろ?」
 丸古博士は黙ったまま男を見つめた。
「もちろんオレは賄賂なんぞ受けとっちゃいないぞ。だが万が一ってことがある。報道陣も検察も何を言い出すかわからんからな。捏造されるかもしれん。あいつらはいつも捏造するんだから、ニュースなんぞ信じちゃいかんぞ」
 議員はでっぷりとした体をソファの背もたれに預け、顔を天井に向けたまま目だけで丸古を見る。
「当然、不起訴になるに決まっているが、もしも変なイメージが残ったら次の選挙に影響するだろう。それは避けたい」
 左側の頬がビクッと引き攣った。
「そこであんたの出番だ、博士。あんたは記憶を消せると聞いている」
「ええ。あのシステムを使えば特定の記憶を消すことができます」
 得意げに大きく頷いてから、丸古は研究室の隅に置かれている巨大な装置に体を向けた。白衣の裾がふわりと揺れる。
「ただし、それなりに費用はかかりますが」
 そう言ってニヤリと頬を緩めた。この研究所へ来る者はたいてい困っている。困った挙げ句に何らかの記憶を消してほしいと頼みに来るのだ。
「ふん。カネならいくらでも出すぞ。世の中のことは、なんだってカネで済むはずだ」
「ええ、ええ。そうですとも」
 丸古は大袈裟に相槌を打った。相手が困っていればいるほど高い費用をふっかけられるのだ。ぐふふと喉の奥から妙な音がなる。
 ソファに沈み込んだまま議員は首だけを横に倒した。
「ふん。たとえば、オレが賄賂を受けとって逮捕されたってニュースを見た連中から、そのニュースの記憶だけを消せるのか?」
「いいえ。先生に関する記憶をまるごと消すことはできますが、そういう細かいものはダメですね」
 さすがに無理だと苦笑しながら丸古は首を小刻みに振る。
 しばらく天井を見つめていた議員は、やがてガバと体を起こし、テーブルから足を降ろしながら、丸古を指で差した。
「よし。だったらオレに関する記憶を消すんだ」
「先生に関する記憶をぜんぶ消していいのですか?」
 丸古は驚いたように目を丸くした。
「そうだ。ただし事件に関係がある連中だけだ」
「たとえば建設業者?」
「そうだ。あとは役人たちだな。いや、もちろんオレは何も受けとっていないし、何も渡していないぞ。だが、あいつらは根性がないから検察に絞られたら噓を言いかねない」
「なるほど。端から先生のことを知らなければ、本当のことも嘘も言えない」
 議員は大きな目でジロリと丸古を睨み付けてから、のっそりと立ち上がった。座っていると巨体に見えるが、立つとそれほど身長は高くないのでダルマのように見える。
「どうだ。いいアイデアだろ? わははははは」
 議員は枯れた声で大笑いを始めた。
 でへへへへへと丸古も調子を合わせて笑う。
「カネを渡しただの渡されただの、オレが議員を続けられるかどうかに比べれば、どうでもいい些末なことだからな」
 ひとしきり笑い終えたところで、議員は額の汗を拭い取った。
「いいか。事件の関係者からオレの記憶を消すんだ」
 腕を組み、ひょいと持ち上げた顎の先で丸古を差す。
「わかりました。関係者全員から先生の記憶を消しましょう」
 丸古が答えると議員は満足そうに頷いて研究所を出て行った。

 翌日の深夜、再び研究所の前に大きな黒いセダンが停まった。運転席から転がるように降りてきたのは議員だった。どうやら自分で運転してきたらしい。
「どういうことだ!」
 怒鳴りながら入って来た議員を見て丸古は首を傾げた。
「失礼ですが」
「まさか博士までオレを覚えていないのか? 国会議員のオレを?」
「ええ。たいへん申しわけありませんが」
「一部の人間からオレの記憶を消せと頼んだのに、あんたは全員から消しやがったんだぞ」
「それは失礼いたしました。ですが、私がそんなミスを犯すとは考えられません」
 丸古は怪訝な顔つきになった。記憶は人の人生を形作る重要な要素だから、消去するときには慎重の上にも慎重を期している。それにたいていの場合、特定の人物から記憶を消せば問題は解決する。総ての人から記憶を消すなどまったく無意味な行動だ。
「だが実際に全員から消えているんだ。それも地元の支持者だけじゃない、秘書や家族もオレを知らんと言うのだぞ。こんなんじゃ次の選挙に通らんだろう! この役立たずが!」
 顔を真っ赤にして口から泡を飛ばす様子はまるでダルマのように見えた。
「先生は、いったい誰の記憶を消すように仰ったのでしょうか」
 そう言って丸古は胸のポケットからペンを取り出しメモ帳を手にした。
「もちろん関係者だ。関係者だけにしろと言ったんだ」
 しばらく議員の説明を聞いていた丸古博士は、やがて納得がいったように大きく頷いた。

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