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あれが部長

illustrated by スミタ2023 @good_god_gold

 二軒目になってようやく酔いが回って来たらしく、若手の二人も次第にリラックスし始めたようだった。
「ねえ、井間賀いまがさん」
 絡むような口調で言ったのは三葉さんば里桜りおだ。
「なんだ?」
 さっきから井間賀は小鉢のアサリを箸で摘まみとろうとしていたが、なかなかうまく摘まめずにいた。
「私たちうちの部に配属されてからもう二カ月です」
「そうだな」
 なんとか一つだけ摘まむことのできたアサリを口に放り込んで井間賀が答える。
「なのに僕たち一度も部長に会ったことがないんですよ」
 横から口を挟んだのは砂原さはら早麦さばくだ。
「おうおうおう、バカを言うな」
 井間賀は箸を置くと、二人のグラスを手元に引き寄せた。
「いいか、このグラスのビールが君たちだ」
「はあ」
 二人は困惑したような顔つきになる。
「で、こっちの水割り」
 そう言って自分のグラスを横に並べた。
「これがオレだ」
 三つのグラスを満足げに眺めてから、井間賀は二人に目をやる。
「どうだ? わあったか?」
 どことなく呂律が回らなくなっている。
「まったく」
「ぜんぜん」
 二人が同時に答えた。
「ああ、もう。だから最近の若い奴はダメなんだよなあ」
 井間賀は肩に力を入れて一度高く持ち上げたあと、大きな溜息とともにがくりと肩を落とした。
「あのな、このビール。炭酸がピチピチ跳ねているだろ。つまり君たちだ。ピチピチの新人。わかるか?」
 ビールの入ったグラスを箸の先で叩くとチンと高い音が鳴った。
「で、これだ」
 こんどはウイスキーのグラスを箸で叩く。
「こっちは十二年ものだ。熟成した味わい。これがオレだ」
 そう言ってグラスをつかむと僅かに残っていた薄い琥珀色の液体をグイと飲み乾した。
「すみません、水割りもう一つ」
 厨房に向かって言ったあと振り返って聞いた。
「君たちは? おかわりは?」
「私はまだ大丈夫です」
「あ、じゃあ僕は生をもう一杯」
 砂原の答えに大きく頷くと
「あと、生をもう一つ。とれたての生きのいいやつで」
と、大きな声を出してから、何がおかしいのか井間賀は一人でくくくと笑い声を上げた。
「でも、それと私たちが部長に会えないのと何の関係があるんですか?」
 三葉が首を傾げる。
「ああ、わかってないなあ」
 井間賀は肩をほぐすように首をグルリと回した。
「これが君たちで、こっちがオレなんだよ」
「はい」
 砂原は躊躇いつつも同意する。
「お待たせしました、水割りと生ビールです」
 店員が運んできたグラスを受け取り、井間賀はそのまま口をつけた。

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