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閉じかけた扉から

illustrated by スミタ2022 @good_god_gold

 急いでいるときほどエレベーターはやってこない。甲斐寺は意味がないとわかっていながらも、すでに黄色いランプの灯っている丸い呼び出しボタンを指先で忙しなく何度も繰り返し押した。オフィスビルに入っている会社のほとんどが昨日で仕事納めだったらしく、ガランとしてどこか寒々しい年の瀬のエレベーターホールには、甲斐寺のほかに誰もいない。
「早く来いよ」
 四基ずつ向かい合わせに並んだ八基のエレベーターには現在位置を示す表示がなく、到着するのをただ待つしかないから余計にイライラさせられるのだ。オシャレなデザインにするのはいいが、何が重要なのかはよく考えて欲しいものだ。
 甲斐寺はポケットからスマートフォンを取り出しメールを確認した。
――こちらは準備できております。いつお越しいただいても大丈夫です。お待ちしております――
 柔らかな書き方だが、明らかに早く来いと催促する文面だ。取引先の担当者だってさすがに年末ギリギリまで会社にいたくはないのだろう。
 ピン。
 どこかで鳴った電子音が耳の奥に残っていた。
 ハッと気づいて甲斐寺が顔を上げたときには、もう一番端にあるエレベーターの金属扉は閉まり始めていた。
「ああっ! すみません、乗りまああすううッ!」
 叫ぶように声を上げてエレベーターに駆け寄ったが、ホールの照明を受けて鈍い銀色に光る扉は、無情にも甲斐寺の目の前で閉じていく。閉じかけた扉の僅かな隙間から、困惑した顔でこちらを見ている人たちと目が合った。
「ああああ」
 甲斐寺の口から悲鳴にも似た声が漏れる。
 と、ガクンと機械的な音がして閉じかけていた扉がいきなり開き始めた。濃紺のスーツを着た男性が扉のすぐ内側へ片手を大きく伸ばしている。扉を開くボタンを押してくれたのだろう。扉が開き切ると、甲斐寺は自分の顔がパッと明るくなったのを感じた。エレベーターの中にいた人たちもホッとした表情になる。
「ありがとうございます」
 甲斐寺は飛び込むようにエレベーターへ乗り込んだ。すぐにくるりと体の向きを変えて扉側に向き直る。扉横の小さなモニタには自分の後ろ姿が映っていた。
 扉はすぐには閉まらなかった。男性が開くボタンをまだ押し続けているのだ。だが誰も乗ってくる気配はない。
――なんだよ。早くしろよ。こっちは時間がないんだ――
 甲斐寺は内心で毒づくが、男はじっとボタンを押したまま指を離そうとしない。
 やがて甲斐寺の周りにいた人たちが順番に、開いたままになっている扉からエレベーターを降り始めた。これはいったいどういうことなんだ。不思議に思っているうちに、みんなどんどん外へ出て行き、残ったのは甲斐寺とボタンを押している濃紺スーツの男性だけになった。どうやら男性は甲斐寺以外の全員がエレベーターを降りるのを待っていたようで、甲斐寺に向かって軽く頭を下げると、彼もまたエレベーターから降りていった。
 中に一人残された甲斐寺の目の前で扉がゆっくりと閉じていく。まもなく扉が閉まり切ろうというところで、たったいまエレベーターを降りた人たちが一斉にこちらを振り返った。
 ほとんど閉まろうとしている扉の隙間から甲斐寺に視線を向けた。そうして、全員が同時にニヤリと笑ったのだった。

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