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相手の迷惑も考えて

 昼休みがそろそろ終わるので、教室の中は人いきれでムッとしていた。冷房がないのでどうしても熱気が籠もりがちになるのだ。
 前方の入り口からひょいっと顔を覗かせたのは隣のクラスのデンで、彼はそのまま部屋に入ってまっすぐノボルの席へ向かっていく。
「何?」ノボルは自分の席について、広げたノートに何やら複雑な数式を書き込んでいるところだった。
「な、これどうする?」
 デンがチラリと見せたのは一枚の安っぽいチラシで、空飛ぶ円盤から放たれた光線に吸い上げられた牛が、ふんわりと宙に浮き上がっている絵が雑なタッチで描かれていた。胡散臭いにもほどがある。
「ああ、キャトルミューティレーションか」
 鉛筆を置いてノートを閉じたノボルは呆れた顔で言った。まったくこいつは中学二年にもなって、まだこんな子供だましに夢中なのか。
「チッチッ、それが違うんだな」
 ノボルの机に置いたチラシを見ながら、デンはニヤリと笑う。
「キャトルミューティレーションってのは動物が内臓を抜かれた状態のことで、これはただ宇宙人に連れ去られようとしているだけだから、アブダクションって言うんだよ。みんなよく間違うんだよね」
「知ってるけど、そんなのどっちでもいいだろ」
「よくないよ。ぜんぜん違うんだからさ」
 デンは両方の掌をグイと机に押しつけた。明け放れた窓から流れ込む風がカーテンをひらひらとさせ、そのたびに差し込む夏の日差しが教室の中を明るくしたり暗くしたりする。
「内臓を抜かれるのがキャトルミューティレーションで、誘拐がアブダクション。出会うのはエンカウントで、あと宇宙人に体を乗っ取られてしまうのがボディスナッチ」
「なんで体を乗っ取られたってわかるんだよ。自分で言うのか? 私は宇宙人です、こいつの体を乗っ取りましたって」
「言うわけないだろ。こっそり乗っ取ってるんだから。でも、ボディスナッチされると性格も能力もまるで変わっちゃうんだって。それに」
そこで、デンは声を潜めた。
「瞳の色が白っぽくなるらしいよ。それで見分けられるんだって」
 ノボルは大きな溜息をついた。宇宙人に乗っ取られたかどうか見分ける方法か。いったいどこでそんな知識を手に入れてくるのか。だいたいの想像はつくが、聞く気にもなれない。                                                                                                                         
「で、このチラシは何?」
「例の空飛ぶ円盤を呼ぶ会だよ」
「ああ」
 気のない返事をしつつ、ノボルは壁の時計を見た。そろそろ昼休みが終わる。ノボルは教科書を取りだして机の上に並べ始めた。
「本当に来るらしいよ、円盤」
「はいこれ」
 素っ気ない態度でチラシをデンに突き返す。
「え? いっしょに行かないの?」
 デンはノボルの顔を覗き込んだ。
「行くわけないだろ、バカバカしい」
 きゅっと肩をすくめたノボルはデンに向かって大きく首を左右に振る。
「なんだよ。ノボルも行きたいって言ってたじゃん?」
「気が変わったんだよ。だって円盤を呼んで何がしたいんだよ。内臓を抜かれたいのか?」
「とりあえず見たいじゃん」
 デンはチラシに描かれた空飛ぶ円盤を指差す。ノボルは顔を上げてデンを正面から見た。 
「あのさ、見世物じゃないんだよ。用もないのに呼ばれる円盤だって困るだろう。なんで向こうの迷惑を考えないんだよ」
 ティントンタンティン。
 昼休みの終了を告げる五分前のチャイムが鳴り始めた。教室の中で自由に過ごしていた生徒たちが、それぞれの席に着いていく。それまで机に手をついていたデンもすっと立ち上がった。そろそろ自分の教室に戻らなければならない。

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