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国境の外

illustrated by スミタ2022 @good_god_gold

 空から電子走査のビームが同時に何条も照射されると、ひっそりと闇に包まれていた深夜の森は、あたかも爆発したかのように白く目映い光を放った。眠っていた動物たちが一斉にガサと音を立てて首を起こす。
 無人探索機はしばらくその場でホバリングを続け、登録外の生命体がエリア内に存在しないないことを確認したあと、高速で回転するローターのわずかな音だけを残して次のエリアへ向かって去っていった。
 国家安全法の成立と、それに伴う領土法の改正が行われて以降、国境地帯にはこうした無人探索機が何百機も投入され、不法に越境する者がいないかを二十四時間体制で監視している。法律上、領土内への不法侵入は一切の警告なしに即時対処して構わないことになっているが、今のところそのような事態に陥ったことはなかった。
 無人探索機が縦横無尽に空を飛び回る国境から五百キロほど離れた都市部の地下では、壁一面を埋めるモニター群の前で、三人の男が顰め面をして黙ったまま腕を組み、中央の巨大なモニターを見つめていた。探索機から送られてくる映像は、そのほとんどが森林地帯のもので、画面の隅に表示されている地図情報がなければ、どこの映像なのか区別がつかないほどどれも似通っていた。
 画面に映し出される映像は刻々と切り替わっていくが、どれも特に三人の気を引くものではないようで、ときおり画面に赤いアラート表示が出ても誰も反応しようとはしなかった。
「まだまだ監視できる範囲が狭いようじゃな」
 一人が嗄れた声を出した。かなり年老いた声だ。
「お言葉ですが、国境の九十七%は対象になっているのですから、けっして狭くはありません。ただ同時に把握ができないだけです」
「いいか、それが問題なのじゃ、大佐」
「確かに将軍の仰るとおりです」
 男は体を硬直させ頭を下げた。
 将軍と呼ばれた嗄れ声の男は、首を捻るようにして斜め後ろにいるもう一人の男に目を向ける。
「君はどう思うかね?」
「はい。すべてを同時に監視できなくとも、一定の間隔で走査すれば問題はないかと」
 ほかの二人と同じように軍服を身につけているが、彼には軍人らしさがなかった。おそらく学者なのだろう。
「ふん、今の間隔でいいと言うんじゃな?」
「いいえ。完璧な監視をするには、理論的にはおそらく無人探査機の数を今の三倍にしなければならないかと」
「そうじゃろう、そうじゃろう」
 将軍は満足そうに頷いた。

 もともと国家安全法も領土法の改正による無人国境警備も将軍の発案によるもので、当時の国会は軍部からの法案提出を認めるかどうかで大いに荒れたが、隣国が長距離弾道ミサイルの発射実験を度々行ったことで脅威論が高まり、やがて不安に覆われた世論に押し流されるようにして一気に可決されたのだった。
 漠然とした不安を解消するには、力による自信を持つしかない。
 かねてより毎年のように軍事費は少しずつ増額されていたが、この法案成立をきっかけに多額の軍事費が予算に計上され、たちまちのうちに無人探索機だけでなく、さまざまな兵器や装備が取り揃えられた。
 だが、力は持てば持つほど、さらに不安が増すものなのである。考え得る限りの防衛力と攻撃力を備えても、一度頭の上を覆った不安の雲が取り払われることはない。
 やがて国家予算の大半が軍事費に当てられるようになった。増税が繰り返され、国債が際限なく発行された結果、国民生活は破綻し、人々の多くが路頭に迷うことになったが、それでも政府は軍備の増強をやめようとはしなかった。
「国民の生活を守るべきだ」
 ついにそんな声を上げる人々も現れたが、不安と恐怖に支配された世論に対抗する論理を彼らは持ち得なかった。
「その通り、まさに仰る通りです。そして、これこそが国民の生活、生命、財産を守る唯一の方法なのです。隣国に攻め込まれたら国民を守れません」
 誰もが日々の暮らしに困窮しながらも、首長の声に納得し、大きく頷いたのだった。
 社会や経済といった国内の話題よりも、隣国の動向や国際的な危機ばかりが大きく報道された結果、人々は攻め込まれることへの恐怖にばかり苛まされ、自分たちの将来や生活の不安を忘れた。
 すべては国民を守るため。すべては国境を死守するため。大いなるスローガンと共に立案者の将軍たちは、ますます軍備を増強し続けた。

 そして、十五年の月日が流れた。
 
「まだまだじゃ」
 将軍は首を振った。
「監視体制が完全になってこそ、防衛力と攻撃力は活きるのじゃよ」
「それではやはり無人探査機を三倍に?」
「うむ、そのつもりじゃ」
「ですが、将軍。おそらく我々には財源がもう……」
 学者がポツリと言った。
「なあに、増税すれば良いだけのことじゃろ」
 そう言って将軍は膝をポンと叩く。
「ですが、これ以上はもう無理でしょう。おそらく富裕層でさえ困窮し始めているでしょうから、さすがに全国民から反対されるのではないかと」
「バカを言うな!」
 将軍の顔が真っ赤になった。
「隣国に攻め込まれたらどうなると思っておるのじゃ。生活が破綻するどころではすまんのだぞ。貴様ら、それくらいのこともわからんのか」
 周囲を見回しながら怒鳴り散らしたが、室内には大佐と学者しかいない。
「将軍の仰る通りです」
 大佐はパンと音を立てて踵を揃え、直立不動の姿勢になった。
「けしからん話です。こうして日夜休むことなく監視を続けている我々の苦労も知らず、国民は勝手なことばかり言うのです」
 大佐は難しい顔つきで首を左右にゆっくりと振って見せた。
「そうじゃろう。十五年もここでがんばっているわしらのことを、誰も知ろうともしないのじゃからな」
「はい。まったく失礼な話です」
 ドサと音を立てて大佐が椅子に座るのを待っていたかのように、いきなりポーンと高い音が鳴って、再びモニタに赤いアラートが表示された。画面の端に映し出されたデータは国境の近くで何者か動いていることを示している。
 大佐は腰を掛けたまま画面前のパネルへ手を伸ばし、いくつかのスイッチを操作した。
 複数の無人探査機から送られた映像を結合して一つの映像に変換し、中央のモニタに映し出す。
「エリア八〇七のB、中北部の国境です」
 地図情報を読み取った学者が画面に近づき、映像の一部を指差した。画面には国境がコンピュータグラフィックスの白い線で重ねられている。
「ちょうどこの国境周辺に人々が集まっていますね」
「内側に入ろうとしているのか?」
 大佐は思わず椅子から腰を浮かせた。声が上ずっている。ついに不法に越境する者が現れたか。いよいよ無人攻撃機の出番か。
「いえ、国境のすぐ外にいます」
 拡大された映像には数百人ほどの人影がぼんやりと白く浮かび上がっている。
 学者は素早く画面の数カ所に触れ、いくつかの情報を取り出した。
「ここに映っている全員が、登録されている生命体です」
「つまり?」
「我が国の国民ということじゃな?」
「はい、そういうことになります」
「なぜ国民が国境の外に出ているんだ? いったいどういうつもりだ?」
 映像に映し出された人影は走り回ったり、数人でゆっくり歩いたりと、まるで遊んでいるかのようだった。中にはテニスラケットを振っているように見える者もいる。
 ポーン。大佐が首を傾げるのと同時にまたしてもアラーム音が鳴った。
「エリア九一四五の西側です」
 学者がいくつかのスイッチを操作すると中央のモニタに新しい映像が映し出された。
「ああ、ここは最近、新たに監視対象になった地域ですね」
「ふむ」
 大佐は鼻を鳴らし、モニタに目を凝らした。
「なんだこれは?」
 呻くような声を上げる。
 画面に描かれた国境の線にぴったり沿うようにして建物が並んでいる。
「これは、その……街のようです」
「街だと?」
 大佐の顔が曇る。
「ええ」
「ふうむ、かなり大きな街のようじゃが、はて、いつの間にこんな街がつくられたのか。いや、何のためにつくられたのか」
 将軍が怪訝な顔で大佐を見る。
「おそらくこれは隣国が我が国へ攻め入る準備として、国境付近に街をつくったのでしょう。いわば前線基地です。これはすぐにでも対処しなければ。攻撃される前に反撃しましょう」大佐がすっくと立ち上がった。
「いいえ、それがですね」
 学者が躊躇いがちに声を出した。
「何だ。言ってみろ」
「この建物の中にいる生命体も、すべて登録済みでして。つまりは」
「我が国民だというのじゃな?」
「ええ」
「国民が国境の外に街をつくったというのじゃな?」
「はい。しかも解析データによれば、どうやら十年ほど前からこの街の建設は始まっていたようです」
 そう答えたところで学者は急に何かを思いついたらしく、部屋の隅に置かれたコンピュータ端末に駆け寄り、夢中でキーボードを叩き始めた。
「ええい、わけがわからん。こんなにも安全な国の内側から、わざわざ国境の外へ移るとは。国民たちはいったい何を考えているのか」
 大佐は困惑した顔を将軍に向けた。
「我々がこれほどまでして守ってやっているのに、なぜ彼らは国境を越えるのでしょうか」
「わしにもわからん。まったく愚かな国民どもだ。生活が破綻したくらいで何を甘えたことを言うのか。そんなことだから隣国に舐められるのだ。我慢が足りぬわ」
「これほど苦労して国民を守っているのに、恩知らずもいいところです」
 ひとしきり悪態をついたところで、二人は大きな溜息をついて椅子に深く掛け直した。
 そう、すべては国民を守るため。すべては国境を死守するため。
「それでは次のエリアを確認しましょう」
 気を取り直した大佐がパネルから指示を出すと、遥か国境地帯の空に浮かぶ数機の無人探索機がすっと向きを変え、地上に向けて電子走査のビームを照射した。エリア内に登録外の生命体はいない。だがその国境のすぐ向こうには登録済みの生命体たちが暮らしている。

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