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上の人のやりかた

illustrated by スミタ2022 @good_god_gold


 家電量販店の広い店内に陰湿な怒鳴り声が響き渡ると、買い物を楽しんでいた客たちは、驚いて首をすくめた。おもちゃ売り場で遊んでいた子供たちもピタリと動きを止める。
「あんたじゃ話にならん」
 店の制服を着た女性に向かって、男が再びしわがれた声を上げた。声にあわせて弛んだ顎がぶるんと揺れる。でっぷりと太っているが、乾燥して粉吹いている肌に張りはなく、爬虫類の皮膚を思わせた。長く伸ばした顎髭は白く、どうやらかなり年配のように見える。
「いいから、上の人を出しなさい」
 そう言って男はパナマ帽の縁を指先で二度擦った。二度目はゆっくりだった。
「えっ、上の」
 女性店員はそこで言葉を失った。瞳の中に驚愕と怯えの色が浮かんでいる。わずかに口を開けたまま、失った言葉を探すようにキョロキョロと周囲を見回したが、適切な言葉はどこにも見つからなかった。
「はん」
 パナマ帽の男は鼻で笑うような音を立てた。顎を突き出すようにして店員をじっとりとした目で見下ろす。いつもそういう仕草をしているのだろう。男の動きにはある種の型のようなものが感じられた。
 残酷さを伴う冷たい視線で凝視され、店員は全身を氷の槍で貫かれたような気がした。
「どうなさいましたか?」
 つい今まで隣のブロックで客の対応をしていた男性店員が、明るい声を掛けながら二人に近づいてきた。黒いフレームの丸眼鏡をかけている。助けを求めるように女性店員が胸元で小さく手を上げた。
「ああ? なんだ、君は?」
 パナマ帽は女性に体の正面を向けたまま、声の聞こえた方に視線をやった。
「何か失礼がございましたか?」
 男性店員はすっと両手を前に組み、軽く首を曲げた。どんな質問にも答えられそうな雰囲気だった。
「ふん。君たちじゃダメだ」
「それで、上の人をと」
 女性店員がメガネ店員にそっと耳打ちすると、彼もまた怯えたような表情になった。
「上の人を?」
 メガネは反射的に激しく首を振った。ずれたメガネを直してからもう一度両手を体の前で組み直した。男に向かってにこりと笑うが、あきらかに不自然な笑みだった。
「私どもでご対応いたしますので」
「いいか、私はゴールド会員なんだぞ」
「はい。当店にはゴールド会員しかございませんので」
 メガネ店員は男性を刺激しないよう丁寧な口調を崩さなかった。
「わかったら、ほら、今すぐ上の人を出しなさい」
「ですがそれは」
 二人の店員は困ったように顔を見合わせた。
「ほう。この店は、客の希望が聞けないのですね」
 パナマ帽はさらに声を張り上げた。声は大きかったが口調は妙に丁寧で、それがかえって不気味な印象を与えた。
「私が何か理不尽なことを言っていますか?」
「本当に上の人を?」
 メガネの眉がギュッと鼻に寄った。口の端が下がってへの字になる。隣では女性店員が視線を床に落としたまま唇を硬くすぼめていた。
「さっきからそう言ってるだろう」
 やっと理解したか。パナマ帽は横柄な笑みを浮かべた。
「かしこまりました」
 メガネは女性店員に顔を向け、そっと頷いた。その顔を見上げた彼女もまた小さく頷く。二人は何かを諦めたような表情のまま、しばらく見つめ合った。
「まったく何をしているんだ。さっさと上の人を出しなさい」
 女性店員が意を決したように制服の内ポケットにすっと手を差し込み、紙を取り出した。一枚の紙を何回も折ったもののようで、表には黒々とした毛筆で「上」と書かれていた。
 メガネ店員も同じように「上」と書かれた紙を手にしている。
 息を揃えた二人は天井に向けて紙を高く掲げた。
 たん、たんたんたん、たん、たたん、たたん、たたたん、たん。
 どこからともなく鼓を打つ音が流れ始め、天井の一部がゆっくりと左右に分かれて開いた。滑らかな動きで開き切るとぽっかりと開いた穴から眩いほどの光が差し込んだ。まるで、それまで長く空を覆っていた厚く暗い雲が風に流され、急に出来た雲間から地上へ届いた日差しのようだった。
 たん、たんたんたん、たん、たたん、たたん、たたたん、たん。
 再び鼓の音が鳴り響くと、天井の穴から巨大なカゴのようなものが現れ、そのままゆっくりと店内へ下がり始めた。光に包まれて降りてくるそのカゴは一台のゴンドラだった。ピカピカと派手な電飾を光らせながらゴンドラはするすると静かに下がり、床から二メートルほどのところで静止した。
「なんなんだ?」
 パナマ帽の男は唖然とした顔つきでゴンドラを見上げていたが、やがてカゴの中に一人の男の姿を見つけ、目を丸くした。
 ゴンドラの上には、金糸をふんだんに使った豪勢絢爛な着物をまとった男性が乗っていた。手には開いた扇子を持ち、頭は髷を結っている。
「ああ、上様」
「上様じゃないか」
「上様だ」
 店内にいた客たちは感嘆の声をあげると一斉にその場にひれ伏した。伏せたまま誰も身じろぎ一つしない。
「どういうことだ?」
 パナマ帽の男は唖然とした顔つきで伏せた客たちを見回していたが、ふと思い出したかのようにゴンドラに向かって声を上げた。
「あんたが上の人か?」
「控えろッ! 頭が高いッ!」
 二メートル近くある長い木の丸棒を持った制服姿の警備員が二人、いつのまにか男の背後に近づいていた。棒で背中を押されるようにして、強引に床に膝を落とされる。上半身を押さえつけられながら、顔だけを無理やり前を向かされた。息ができなかった。
「苦しゅうない」
 上様がそう言うと、背中を押さえている力が少し緩み、パナマ帽はなんとか息を吐くことができた。
「わしを呼び出したのは、そのほうか?」
 いきなり上様が尋ねてパナマ帽は口篭った。なんと答えればいいのかわからなかった。たしかに上の人を出せとは言ったが、上様を呼び出されるとは思っていなかったのだ。まさかこんな店に上様がいるとは。うっかり余計なことを口にすれば、いったいどうなるか見当もつかない。
「どうなのじゃ?」
 ゴンドラから身を乗り出すようにして上様が尋ねた。
「いや、あの、私はですね」
「さては直訴か? 何か苦情があるのだな?」
 パナマ帽は口の中でモゴモゴと何か言おうとするが言葉が出てこなかった。
「ふむ?」
 上様はしばらく首を傾げていたが、やがてすっくと姿勢を正すと扇子を持ったまま、パンッと両の手を叩いた。
 ピーッ。
 天井から甲高いホイッスルの音が響くと、店のバックヤードへつながるスタッフ通用口から、ポンポンを手にしたチアガールたちが二十名ほど店内へ駆け込んできた。そのままゴンドラを取り囲む。
 ドンタタ、ドンタタ、ドンタタ、ドンタタ。
 鼓がさっきとはまるで違うリズムを奏で始めた。
 ドンタタ、ドンタタ、ドンタタ、ドンタタ。
 ピーピーピピー、ピーピピー。
「これは?」
 上半身を押さえつけられたまま、男は女性店員を見た。
「サンバです」
 パナマ帽の男は大きく頷いた。そうだ。このリズム。サンバだ。
 ドンタタ、ドンタタ、ドンタタ、ドンタタ。
 ピーピーピピー、ピーピピー。
「皆の者、踊るぞ」
 ゴンドラの上で上様が腰を激しくくねらせ始めた。

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