ペダルを踏み込む
男の子たちは一列になって懸命にペダルを漕いでいた。最後を走る建萌から見ると全員がぴったりと重なって、まるで一台の長い長い自転車に乗っているようだった。
カタン、カタン。
脚に力を込めれば込めるほど自転車は加速する。道行く人も電柱も見慣れた薬屋の看板も、視界に入ったとたん左右に分かれ、たちまち後ろへ流れていった。
カタン、カタン、カタン、カタン。
何かに追われているかのように男の子たちは自転車をこぎ続けた。
線路沿いの道は、街の外れで緩やかな坂を登ったあと大きくカーブする。坂に差し掛かると一気にペダルが重くなったので、建萌はすっとサドルから腰を浮かして立ち漕ぎに切り替えた。体が左右に大きく揺れる。
やがて列の先頭が坂の上に達し、順番にカーブを曲がった。磯の香りが体の周りにふわりと広がる。
誰かが大きな声を上げた。
「おおおお」
すぐに建萌も大声を上げた。坂の下に広がる松林の向こうには海が広がっていた。真っ青に晴れ渡った空は海と区別がつかず、何隻もの船が空中に浮かんでいるように見えた。
少しだけ坂を下った路肩に自転車を倒し置いた男の子たちは、ガードレールを乗り越えて崖の上に立った。海から吹いてくる風は松林をゆっくり揺らしたあと、熱を帯びた彼らの体を冷やしてくれた。
「あれ、島だよな」
誰かが言った。
「うん」
遙か沖に見える島は濃緑色をした饅頭のようだった。
「みんなで島に行っちゃおうか?」
囁くような声で言ったのは先頭を走っていた敏夫で、けれども本気でそう言っているわけでないことは、建萌にもわかっていた。
「行けたらいいのになあ」
体を大きく伸ばしながら一人が言うと、みんなも口々に賛同の声を上げる。
そうして、誰もがそのまま黙って海を見つめていた。行けないことはわかっている。好きなことができるのは今日までだ。
「でも僕たちが逃げたらママやパパが」
一人がおずおずと口に出した。
「捕まっちゃうだろ」
「そんなことわかってるよ」
振り返った敏夫が険しい目で睨みつける。
「わかってんだよ」
また風が吹いた。ヒューイと高い音を立てて松林を抜けてきた強い風が、男の子たちの体を道へ戻そうとするように押す。
建萌が地面に座り込み脚を崖下にブラブラと垂らすと、みんなも同じように座った。横一列になって黙ったまま海を見つめる。
敏夫が傍らの小さな石を拾い、座ったまま松林に向かって投げた。石はすぐに小さな点に変わり、深い緑色に溶けて見えなくなった。
気がつけば、あれほど青かった空がいつのまにかうっすらと紫色に染められている。
「帰らなきゃ」
建萌がポツリと言った。
「うん」
「帰って、母さんや父さんと一緒にご飯を食べなきゃ」
「うん」
建萌はゆっくりと立ち上がって尻をはたいた。白い砂埃がパッと散って、柔ら中磯の香りに土臭い埃の匂いを足した。島に目をやったあと空に浮かぶ船を見た。傾いた陽の光を受けて船は銀色にキラキラと輝いていた。
「なんで行かなきゃなんないんだろ」
敏夫が隣に立ち建萌と同じように海に目を向けた。
「決まりだから」
誰かが言った。
「でもさ、そんなの誰が決めたんだよ」
不貞腐れた口調で言う。
「偉い人じゃん」
「わかんない」
海を見つめたまま建萌は首を振った。両手をぎゅっとズボンのポケットに突っ込む。
「僕にはぜんぜんわかんないよ」
「オレだってわかんないよ」
「俺も」
建萌はみんなを振り返った。
「そうだよね」
唇を尖らせている。
けれどもこれが決まりなのだ。みんなわかっている。偉い人が決めたことだから。わからなくてもわからなければならないのだ。
男の子たちはガードレールを乗り越えて元の道に戻った。決められた道に。
路肩に倒してあった自転車を起こし、サドルに跨がる。
んふうっ。
建萌は鼻から長く大きな息を吐いてから、先頭の敏夫に声をかけた。
「僕たちまた会えるかな」
「そりゃ会えるだろ」
振り返った敏夫がニヤリと笑った。
「じゃあ、そのときはみんなで島に行こうよ」
「うん」
「それいいね」
「行こう」
口々にそう言ったあと男の子たちは約束をした。帰ってきたら、いつか一緒に島へ行こう。
一列になった自転車がゆっくりと走り出す。
カタン、カタン、カタン、カタン。
それはまるで一台の長い長い自転車にみんなで乗っているようだった。そう、この自転車に乗っている限り、誰もが同じ道を進むしかない。
来たときと同じように最後尾を走る建萌が疲れた脚でペダルを漕ぎながら顔を上げると、夕陽を背景にして自転車の列はすっかり真っ黒なシルエットになっていた。
きっと僕たちは二度と会えないのだ。建萌は奥歯を強く噛んだ。明日になればそれぞれの行き先へ送られる。みんなで島へ行く日など来ない。それがわかっているのに、僕たちはこの道を通って帰ろうとしている。
「うおおおおおお」
建萌が叫び声を上げた。叫ばずにはいられなかった。
「おおおおお」
「うおおおおおおお」
みんなも一斉に遠吠えのような叫び声を上げる。
どこまでも響き渡るその声を追い越そうとするかのように、建萌はペダルを強く強く踏み込んだ。
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