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アラカルトの話

illustrated by スミタ2022 @good_god_gold

 会見場の袖まで足を進めたところで、ふと振り返った官房長官は、静かに微笑んでいる人物に向かって力強くうなずいてみせた。
「ふふふ」思わず笑みが浮かんでくる。袖のテーブルに置かれた大きな花瓶にそっと手を触れた。青磁に金が遇われていて一見豪奢に見えるが実はかなり安物らしい。
「今日の会見は楽しみだ。無敵の感覚とはこういうことなんだろうな」
 官房長官は強い確信とともに会見場に足を踏み入れた。
 バシャバシャバシャ。
 地面に水を撒くような音を立てるのは、カメラのフラッシュだ。もう今や誰もがデジタルカメラを持っている時代なのに、なぜ未だにフラッシュを炊くのかさっぱりわからない。
「ふん。あれは誰かがフラッシュを炊くから瞬間的に影ができるのであって、誰もフラッシュを使わなければ全員がきれいに撮れるはずなのに、そうしないのは記者連中がバカだからなんだよ」一度スタッフにそう説明したことがある。官房長官はカメラマニアなのだ。
「それでは官房長官の会見を始めます。ご質問のある方は挙手にて願います」
 司会の官邸報道室長はニヤニヤしながら会場をゆっくりと見渡した。
「申しわけありません。幹事社のシノブテレビ、井塚です」
「はい。井塚さん、どうぞ」
「すみません。あのう、現在、急激な円安によって多くの企業が苦境に立たされていると思うのですが」
 ビクン。
 いきなり井塚の体が硬直した。目の焦点が合わなくなり、口元がだらしなく緩む。だらりとぶら下がった四肢は、空中から糸でつられた操り人形のように見えなくもない。
「あ、長官は……、その……、円高……、えー、今朝の朝食はなんでしょうか?」
 井塚はおっとりとした口調になったまま質問を続けた。
「今朝の朝食をお答え下さい」
「パンケーキです」
「本当にすみません。ありがとうございます」
 そう言い終わると、全身の力が抜けたかのように椅子にドサリと座り込む。
「次のご質問は?」
 記者たちの手が一斉に上がった。
「どうぞ」
「海外で再び急激な感染拡大をみせている例の病気ですが、ほかの感染病とは違ってこれにはまだ特効薬がありません」
「ええ」
「そこでお聞きしたいのですが、この感染症のですね、感染の……えーっと」
 と言ったところで記者の体が固まった。数秒ほど焦点の合わない目で空を見つめたあと、顔がぎこちなく長官に向く。
「えー、官房長官は夏バテ防止のために何をなさっていますか?」
「乾布摩擦ですね。あとは水を多めに飲んでいます」
「なるほど、ありがとうございます」
 言い終えると、先ほどの井塚と同じように椅子に倒れ込んだ。
 長官は水差しの水をグラスに注いで一口飲んだ。自然に笑みが浮かんでくる。今日の会見は楽だ。こういう会見が続いて欲しいものだ。
「長官! いいですか長官!」
「はい、どうぞ」
「まもなく国政選挙が行われますが、長官ご自身の選挙対策は何かございますか?」
「この会見で、私個人の選挙対策についてお答えするのはふさわしくないかと考えます」
「そこをなんとか、一言だけ……、あのう……ですから、選挙……、選挙には行ったほうがいいですよね?」
「もちろんです。国民の重要な権利ですから。みなさんの一票が国を変えるのです」
 質問が終わるたびに記者たちは力尽きたように椅子の上に座り込んだ。
 長官は楽しそうに次々に記者を指していく。
「現在、憲法改正に向けて与党では様々な動きがありますが、憲法の勉強会がいろいろと開かれる中で、そのですね、長官にとっての憲法は……け、拳法は……やっぱりジャッキー・チェンでしょうか?」
「いやいや、私はほら、世代ですからね。ブルース・リーです。アチョーッ!」
 長官はそう言ってポーズを取ってみせた。
 バシャバシャバシャ。
 再び地面に水を撒くような音が一斉に湧き起こる。
 一通り質問が終わったところで、記者たちの手が上がらなくなった。全員がぼんやりとした目をして正面を見つめている。
「ほかにご質問はありませんね。それではこれで今日の会見を」
 室長がそう言うのとほぼ同時に、
「はい」一人の記者が大きく手を上げた。
 丸々と太った男でこれまでの会見では一度も見たことがない。
「あれ、まだご質問?」
 室長が驚いた顔になる。
「ええ、しのぶニュースの木寺です」
 記者が名乗った。
「えー、はいはい、どうぞ」
 長官は記者に顔を向けて質問を促した。
「ふふふふふ。何でも聞くがいい」
 官房長官はちらりと室長と目配せをしながら内心でほくそ笑んだ。今日の私に怖いものなどない。
「えー、社会的に非常に問題のあるカルト団体が、政府与党と蜜月の関係にあるとの一部報道があります」
「ほう」
「この問題についての統一の見解をお聞かせ下さい」
 木寺はきっぱりそう言うと席に腰を下ろした。
「ど、どういうことだ?」
「あら? カルトの話ですよ。当然おわかりですよね?」
 官房長官は壇上で転げ落ちそうになった。それまで堂々としていた目が急にキョロキョロと忙しなく動きだす。
「えーっと、あー、それはだな」
 長官は額に手を当てて、一瞬、何か答えようとしたが、すぐに言葉を止めて会見場をぐるりと見回した。ほかの記者たちはメモさえ取ろうとしていない。
「あ、すみませんが、もう一度質問をしてもらえますか?」
 長官は会場の袖をチラチラと見ながら木寺に言った。質問をさせればいいはずなのだ。そういう取り決めなのだ。

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