海へ行こうよ
夏休みも半ばをすぎて、学生会館のロビーを行き来する学生の数もずいぶんと少なかった。幅広の階段を三階まで上がると人の姿はほとんど消えて、あきらかに時間を持て余した学生がダラダラと雑談をしているだけだ。窓の向こう側では夏の真っ白な雲が、青い空の中でどこまでも高く立ち昇っている。
通路に並び置かれたベンチにごろりと寝そべったまま治夫が眠そうな声を上げた。
「なんかおもろいことないんか?」
軽く起こした顔から汗が垂れ落ちる。直射日光を避けられるだけましだが、空調が切られているせいで学生会館の中にいても暑さからは逃れられなかった。
「じゃあ海鴎島にでも行こうぜ」
治夫の足の先で、滑り落ちそうなほど浅くベンチに腰を掛けていた敏夫が、まるで覇気のない声を出した。
「あれ? 敏夫、今日って車なの?」
向かい側のベンチから建萌が聞く。その隣で缶ジュースを飲んでいるのは風介だ。
「うん。下に駐めてる」
「駐禁大丈夫?」
「先生のところに駐めたから」
敏夫はそう言ってニヤリと笑った。
「なんで島なん? 海やったら志延海岸でええやんか?」
治夫はいきなりガバッと起き上がった。開け放たれた窓から線香の香りが漂っている。キャンパスの立ち木からは蝉の鳴き声が合唱のように聞こえていた。
「あそこ、灯台があって超見晴らしがいいんだってさ」
「敏夫、お前それってこの間のデートマップに載ってた奴じゃね?」
風介が缶から口を離して言う。
「それ僕も読んだよ。カップルで行ったら絶対に上手くいくってあれだろ」
「いやちょっと待てや。そんなところに男同士で行ってどうすんねん」
「下見だよ」
建萌が当然とでも言いたげな口調で答えた。
「下見? 下見ってなんのや?」
「そりゃ彼女が出来て連れて行くときのシミュレーションだよ」
「おいおいおい」
風介が苦笑いをする。
「そんなシミュレーションする前に建萌は彼女をつくれって」
「なんだよ。だったら風介は彼女いるのかよ」
「いたらお前らと一緒にこんなところにいるわけないじゃん。今ごろ一緒に映画でも観てるよ」
「何観る?」
敏夫が聞いた。
「え?」
「彼女がいたら一緒に何観る?」
「そんなのわかんねぇよ。相手に合わせるだろ」
「そういうものなの?」
建萌が首を横に向けて風介を見た。風介が得意げに頷く。
「ああもう、そんなんやからお前らには彼女ができへんねん。ええか。チャンスがあったら攻める。それがすべてやで。とにかく攻めるしかないんや」
「何言ってんだよ。治夫だってこの間別れたばっかじゃん」
「あのな。最初からできへんのと、できてて別れるのはぜんぜんちゃうんや。野球で言うたらファーボールと敬遠くらいちゃうねん」
「なんでも野球に喩えんなよ。おっさんかよ」
全員が怠そうに笑ってから、しばらく沈黙が続いた。さっきよりも線香の香りが強くなっている。窓のすぐ外でミンミン蝉が大きな音で鳴き始めた。
「いいよ。行こうよ」
ぽつりと建萌が言った。
「灯台にか?」
「イヤならやめるけど」
「行こうぜ。せっかく車もあるんだし」
「別にオレは嫌じゃないよ」
風介も首を軽く縦に振る。
「まあ、どうせ俺らみんな暇やしな。ほな行こか」
治夫はベンチから足を降ろして立ち上がり、大きく伸びをした。
ぞろぞろと四人で向かったものの、午前中ずっと陽の光を浴び続けていた車の中はまるでサウナのようで、すぐに乗り込むことはできなかった。交互にドアをバタバタと開け閉めして中の空気を入れ換える。オレンジ色の小さな車は七十年代のオンボロで、四人どころか二人で乗っても狭苦しく感じる代物だった。
「うわあ、オレが後ろかよ。めちゃくちゃ狭いんだよなあ」
お座なり程度の後部座席に体を縮めてようやく乗り込んだのは風介と建萌で、それぞれ半分横向きにならないと体が収まらない。
「俺のほうがでかいからしゃあないやろ。何ごとも我慢や」
助手席で偉そうに言ってから治夫はシートベルトを締めた。
「じゃあ行くか」
敏夫がエンジンをかけるとポンポンポンポンと空冷エンジンの呑気なリズムが尻の下から伝わって四人の体の芯に響き始めた。もちろんクーラーなどないから窓は全開にしてある。
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