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豆電球

illustrated by スミタ2023 @good_god_gold

 町の電球大会が終わったあと、モロコは家に向かう山道を一人でトボトボと歩いていた。
 涙は出ていなかったけれども、足先の地面をぼんやりと見つめるモロコの目は真っ赤になっていた。
 村のみんなから期待されていたのにモロコはいい成績を出すことができなかった。さっぱりだった。小学校の代表になれるどころか、隣の村で今年の春から電球を始めたばかりの二年生に二回も負けてしまうほどで、途中からモロコはすっかりやる気をなくしたのだった。
 五年生になってからモロコはなぜか生き物が苦手になっていた。木箱と机ではうまくいくのに、ハムスターやカエルではどうやっても電球が灯らない。先生はとにかくがんばって灯しなさいとしか言わないから、どうすればいいのかモロコにはさっぱりわからない。
「もうやめたい」
 いつだったか、そう言ったら母さんは
「せっかくここまで続けてきたんだから勿体ないでしょ。アカリちゃんだって、がんばってるんだから、モロコもがんばりなさい」
と言うばかりだし、お父さんは
「モロコがやめたいならやめればいい。お父さんは何も言わないから自由にしなさい。でも何だってすぐに諦めるのは良くないと思うぞ」
と、スマートフォンでネットのニュースを見ながら言う。
 でも、モロコが「やめたい」というのは本当は電球をやめたいからじゃないのだ。お父さんもお母さんも、モロコの気持ちなどお構いなしにやめろとかやめるなって言うけれども、モロコはもっと自分の話を聞いてほしいだけだったのだ。もっとちゃんと話してほしいだけだったのだ。
 林の間を抜ける坂道は下りながらゆっくりと右に曲がっている。
「あれこれ言うくせに、お父さんもお母さんも応援には来てくれないじゃん」
 モロコは足元の石を蹴った。転がった石が草叢の中へ飛び込み、カサッと音を立てた。
 カーブを歩きながら、ふと何かが目に入った気がしてモロコは顔を左側へ向けた。大きな木と木のすきまからは白い原っぱが見えている。とんこつ岩へ続く原っぱだ。ゴールデンウィークくらいまでは緑色だった原っぱは、すっかりクリームがかった白になっていた。少しの間その場に立ち止まって原っぱを見ていたモロコは、何かを思い出したようにいきなり駆け出した。そのまま古い大きな木の間を抜けて原っぱの入り口に立つ。
 早く帰らないと日が暮れる。わかっているけれども、モロコはこの白い原っぱが見たかった。
 黄色い小さな豆をつけたモヤシが風にそよがれてふわふらと揺れていた。ずっと向こうに見えているとんこつ岩のあたりまで、一面ぜんぶモヤシで埋まっている。ところどころで高く飛び出しているのは白アスパラガスだ。モヤシは白いけれど豆が黄色いので、全体的にはクリーム色になっているのだ。空の上から見れば、濃い緑色をした山の一部分だけがペンキで塗られたように見えるに違いなかった。
 パタパタと大きな羽音を立てて数羽の山鳩がモヤシ原に降りてきた。首をクイックイッと前後左右へ動かしては黄色い豆をついばんでいく。首をあんなに細かく動かしているのに体はほとんど動いていないのが不思議だった。
 強めの風が吹いてモヤシが一斉に揺れると、独特の匂いが林と土の香りに混じって風下へ流れていった。
「あれ?」
 モロコは目を凝らした。原っぱの中に小さな丸いものが落ちていた。白い原っぱに黒いものが落ちていれば目立つ。正体を確かめようとモロコは原っぱの中へ足を踏み入れた。足を一歩踏み出すたびにパキパキとモヤシの折れる音がする。折れたモヤシはあとで採って帰ろうとモロコは思った。
 丸いものは直径が三センチほどの大きさで、近づいてよく見ると黒ではなく暗い赤色をしていた。しっとりと濡れている。
 指先で突いてみるとブヨンと揺れた。
「うわっ」
 思ったよりも柔らかくて、モロコはびっくりした。つまみ上げて手のひらに乗せる。手のひらに顔を近づけてじっくり観察すると、丸いものは規則正しく大きくなったり小さくなったりしているのがわかった。
 これは心臓だ。モロコの目が丸くなった。何かの心臓が落ちていたのだ。
 キョロキョロと周りを見回すと、さっきまでモヤシの豆をついばんでいた山鳩が、じっとこちらを見ていた。
「これ、誰の心臓かわかる?」
 モロコは聞いた。
「俺の心臓だよ」
 山鳩の答えにモロコは首を傾げた。この辺りの山鳩はみんな機械鳥のはずだ。
「でもあなた機械鳥でしょ? 心臓なんかないじゃない」
 山鳩はぷいっと顔を横へ向けた。くちばしの先をずらしてカチカチッと奇妙な音を立てると、向こう側にいたほかの山鳩たちもカチカチッと音を立て始めた。最初はバラバラだった音がだんだんそろって、最後には大きな大きなカチカチになった。
 最初の機械鳥が羽を広げて飛び上がると、ほかの機械鳥たちも一斉に飛び立った。
 機械鳥の群れはカチカチ音を立てながら山の向こう側へ飛んでいく。遠くの空から聞こえてくるカチカチは原っぱを越えてどこまでも広がり、やがて山の間でこだまになった。
 カチカチカチッ。
 カチカチカチッ。
 カチカチカチッ。
 音は何度も何度も響き続ける。
 なんだか山全体が大きな時計になって音を立てているみたいだとモロコは思った。
 手のひらが温かくなっているのに気づいて、モロコは慌てて心臓に目をやった。小さな心臓は機械鳥の奏でるカチカチのリズムに合わせて大きくなったり小さくなったりしている。嬉しくてドキドキしているみたいだ。
「ねえ、これって誰の心臓なの? こんなところに落としちゃダメでしょ」
 モロコは誰もいない原っぱに向かって大きな声を上げた。誰も何も答えない。ただモヤシが風に揺れているだけだった。
 後ろから誰かが見ているような気がしてモロコは振り返った。古くて大きな木が立っているだけで、モロコはその木のすきまから林の中を見ようとしたけれども、暗くて何も見えなかった。雲が太陽の光を隠すと急に寒くなった。モロコはブルッと体を震わせると、心臓を手のひらに乗せたまま林まで駆け戻った。
 息が切れたので木にもたれかかって、もう一度手のひらの心臓を見る。さっきはあんなにドキドキと激しく動いていた心臓は、もうゆっくりした動きになっていた。
「どうしよう、これ」
 元の場所に置いていったほうがいいのか、警察に届けたほうがいいのか。モロコは困って古い木を見上げた。
「モロコはどうしたいのかな?」
 それまでもたれかかっていた大きな木が低い声で尋ねた。声は木の中でブワブワと響いていて、いつだったかホルンに口を当てて声を出したら、こんな感じの声がしたっけとモロコは思った。
「わかんない」
 首を振る。
「私の中に入れなさい」
 古くて大きな木が言った。
「これ、あなたの心臓なの?」
 木は何も答えない。ゴツゴツとした木肌は硬く乾いていて、何だかおじいさんの顔のようだった。
 モロコはちょうど頭のすぐ上の辺りに小さな穴が空いているのに気づいた。キツツキが空けた穴だ。キツツキも機械鳥だから、あっという間に穴を空けてしまうけれども、空けたあとは特に何もしないのだ。穴を空けるようにつくられた機械だからそうするだけなのだ。
「ここに入れるの?」
 背伸びをして中をのぞきこむ。けれども真っ暗で何も見えない。
「誰かいますかあ?」
 モロコは穴に向かって大きな声を出してみた。ブワブワと響いた声は地面を伝わって、どこか遠くへ消えていくようだった。
 もう日が暮れてしまう。
 しばらくじっとしていたモロコは、片方の手で心臓をそっと握ると穴の中へ手を差し込んで、ゆっくりと開いた。手のひらから心臓が落ちたのはわかったけれども、音は何一つ聞こえなかった。
「ねえ」
 モロコは木に話しかけた。やっぱり木は何も答えなかった。
 本当にこれでよかったのかな。モロコは首をブルブルと左右に振った。もし誰かがあの心臓を探しに来たらどうしよう。心臓がないまま暮らさなきゃならない。もうドキドキもできないじゃん。
「やっぱり返して。元の場所に戻すから」
 古くて大きな木は何も言わずに根元から先っぽまで、ぜんぶの枝をバサバサと激しく揺らした。何枚かの葉っぱが落ちてくる。葉っぱの一枚がモロコの肩に乗ってから、ふわふわと左右に揺れながら地面に落ちた。
「もう。なんで返事してくれないの」
 この古い大きな木も機械の山鳩も、お母さんもお父さんも先生も、みんなちゃんと返事をしてくれない。モロコは木の幹を足で強く蹴った。足の先がじんと痺れる。そのまま木の根元に座り込んだ。
 もうすっかり日は暮れて、林の中は暗くなっている。見上げると重なり合った枝の間から暗い灰色の空が見えていた。
「どうしたらいいのかわからないの」
 モロコはカバンから電球を一つ取り出した。大会や練習に使う大きな電球ではなく、遊びで灯す小さな豆電球だ。
 電球をそっと手のひらに乗せた。さっきまで小さな心臓が動いていた場所で、同じくらいの大きさの電球は動かずにいる。モロコは電球の丸いガラスを指先でつまむと、鈍く金色に光っている口金の底を木の幹に当てた。ギュッと指先に力を込める。
 ポッ。
 電球が灯った。たいして強い光じゃないけれど、それでもちゃんと周りが明るくなる。
 ふいに頭の上がぼんやりと明るくなった。
「え?」
 モロコは顔を上げた。葉っぱだった。木の枝の先で葉っぱが小さな電球のように光っている。一つ一つの光は弱くてもたくさん集まるとこんなに明るくなるんだ。
 モロコは口を開けたまま光る葉っぱを見続けていた。
 なんとなく足元も明るくなった気がした。顔を降ろすと木と木の隙間から、ぼんやりとした光が見えている。あれは原っぱだ。
 思わず指先から力が抜けて豆電球がポロリとこぼれ落ちた。地面に転がったあともなぜか電球は灯り続けている。もう自分が灯しているのか勝手に灯っているのかもわからない。
 モロコは木々の隙間を抜け、ゆっくりと原っぱの前に立った。
「うわあ」
 モヤシの先についた小さな黄色い豆電球に微かな光が灯って、原っぱ全体が光っていた。たくさんの豆電球が風に吹かれて揺れている。まるで星空がゆらゆらしながら地上へ降りてきたようだった。
 遙か向こうまで、何万もの光の粒でいっぱいになった原っぱを、モロコはただじっと見ていた。暗くなった山の中をほんのりと明るく染める豆電球の揺らめきは、キラキラと光る朝の海よりも、ずっと静かで優しくて、モロコは悲しくないのになぜか涙が出そうになった。
 いつまでもこの光の原っぱを見ていたかった。

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