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0-4: ここではないどこかへ行きたいから


公園に座って、私はただ、木の梢を眺めていた。
月がちょうど、木のてっぺんにかかろうとしていた。

何の予定もない金曜日の夜だった。正確には、数時間前までは予定があったのが、なくなった夜だった。デートを直前になってキャンセルされたのだ。
私のことをその程度にしか考えていない人に対して、笑ってしまうくらい過度に期待していたという事実に、私は愕然としていた。

どうして私はモテないんだろう。
いや、そもそも、モテたいとは思ってない。ただ、私を好きだと言ってくれる人と出会いたいと思っていた。
たった一人、そういう人がいればいいだけの話なのに。
そう考えると、心臓のあたりがぎゅっと痛くなった。

アプローチしてくる人は何人かいた。けれどその人たちはそれぞれ、すでに結婚していたり、結婚する気がなかったり、「人間としては好きだけど、友達としか見れない」と言ってきたりした。心を差し出さないくせに、手だけを私の身体に伸ばしてきた。

私は、うんざりしていた。それらの手を払いのけることにも、男性に対して心を開いてまっすぐに向かい合うことにも、出会う異性に対して「もしかしたら」という希望を持ち続けることにも。

深くため息をつくと、涙が目に滲むのがわかった。
「異性に求められない」。
こんなバカバカしいことで涙をこぼすなんて、そんな自分がさらに惨めで、情けなくなってまたひとしきりぐすぐす泣いた。

私は自分のひざを眺めた。まっすぐ伸びた脚。どこにも問題なんてない。
私は自分の両手を眺めた。10本の指はそろっており、爪も綺麗に切りそろえられている。
目を閉じて呼吸すれば、自分の胸が静かに上下するのがわかった。
私の身体には、悪いところなどひとつもないように思えた。

それなのに、なぜ誰一人として、私に触れようとしないのだろう?
私の性格によほど問題があるに違いない、と私はひとり自嘲した。それくらいしか理由が思いつけなかった。けれどそんな乾いた笑いも、重苦しく沈んだ心を慰めるには足りなかった。

もったいない、と私は自分でつぶやいた。私は自分が、自分の心と身体が、誰か異性を性的にも精神的にも、満足させられるであろうことを知っていた。誰か一人を愛し、その人の心と身体を受け止め、交わり、何か新しいものを作り出せることを知っていた。

けれど私の周りには、それを理解してくれる異性がまるでいないように思えた。
彼らは遠巻きに私を眺めては、まるで気の進まないパーティから帰る時のように慇懃に立ち去るか、場違いな店に足を踏み入れてしまったような表情で、私と距離を置こうとするのだった。あるいは、まるで発展途上国の子供に同情する程度の訳知り顔で、私がなぜ「問題」なのかを親切そうにアドバイスしては、彼の「問題のない」妻や彼女を自慢するのだった。

おそらく彼らの大多数はそれなりに平穏で安寧な人生を歩んできたのだろう。あるいは彼ら自身の人間に対する無理解に気づくことなく、これまで好運にやってこれたのだろう。私はそんな”しあわせな”男性たちとは、分かり合えないものを感じていた。

『少しの欠点やすれ違いはあるけれど、大きな問題もなく、自分のことを受け入れてくれそうだから結婚した』。
そんな理由で伴侶に選ばれたくはなかったし、選びたくもなかった。

私は恋に落ちなくてはならなかった。心の底から、絶対にこの人と生きていくのだと確信できるほどの強さを持つ恋に落ちなくてはならなかった。自分と同じだけの熱量を持つ人と出会いたかった。
そしてそれだけの心の強さを持つ人は、当然のことながら合コンやアプリには現れなかった。そして、今夜も。


月は明るかった。
――あと何回、満月が見られるだろう。

自分の体に毎月起こる変化のことを、私は思った。それは生理的な痛みと精神的な不安定さを引き起こす、生物としての反応だった。
30歳を過ぎて、自分の残り時間が少ないことを意識せざるを得なかった。

――出会えないかもしれない。

絶望が私の呼吸を苦しくさせた。女性の年齢に対する、蔑みや哀れみの言葉が頭から離れなかった。そしてそれらの差別に反論し、固定観念をくつがえすには、私はあまりにも自信がなかった。

――出会えなかったら、どうしよう?

私は月を見上げた。

――もしもこの先一生誰とも出会えず、たったひとりで生きていかなくてはいけないのだとしたら、今この時間を苦しみながら生きていくことにどれだけの意味があるのだろう? 異性に期待し、彼らの評価に振り回され、自分の価値をそこに見出すことにあくせくすることに、自分の人生を使いたいか?

もう一度深呼吸すると、涙が止まったことに気づいた。私はもう一度自分の手を眺めた。ふだんしないマニキュアを塗った爪は、自分のものではないようだった。この手を取り、どこかへ連れて行ってくれるだれかを、私はずっと待っていた。そしてもう、待ちくたびれたことに気がついた。

――そんなことに人生使いたくないわ。

「恋愛-結婚-出産」というタスクを自分の人生のやるべきことリストから外した途端、ふっと心が軽くなった。

――いいや、好きなことしよう。

旅を決めた瞬間だった。


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