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季節の変わり目。

最近、季節の変わり目という言葉をよく聞くようになった。
体調不良や肌荒れ、体がまだ慣れていない故に起こるネガティブなことばかり。
そんな季節の変わり目ですが、この時期でないと撮れない写真というものもある。
それが、生物の写真。
生物というのは、植物もその一種である。もちろん動物も。
こんな季節の中、選挙が行われていて、投票に行った。
会場は学校で、そこにはビオトープがあった。
子供の頃のビオトープのイメージは、虫が飛び回っていたり、転んで落ちたり、良いイメージはなかった。
ですが、大人になると、ビオトープにはいろいろな生物が生きていることに気づき、つい子供に戻ったように、カメラ片手に足を走らせた。
そこには既に、先客がいて、僕と同様、カメラを片手に何かを撮っていた。
僕は気になり、「何を撮られているんですか??」と一言。
彼は「足の生えたオタマジャクシを撮っていました」と、そして「もう夏が来るんだなって、季節の変わり目をぜひ写真に収めたいなと思って」そう言った。
不意にも、素敵だなと感じた。
それを聞いて、僕も真似をするように、その季節の変わり目とやらをみるために、水面を覗きこんだ。
するとそこには、懐かしさと新しさのような感覚を感じた。子供の頃には感じなかった、何かがそこにはあった。
僕は夢中で、季節の変わり目を追いかけては、シャッターを切って、じっくりと感じ取った。
その日は、朝と夜は涼しく、日中は暖かい天気だった。
まさにこの季節の変わり目に相応しい天気。
なんとも言えない、むしろ気難しい季節感。
写真を撮るようになって気づいたことはたくさんある。
昔だったら、水面を見た時、中にいる生物だけを見ていただろう。しかし今の僕は、生物だけでなく、水面に写る景色を見たり水面に浮かぶヒツジグサとその影を見たり。
日が指している部分とそうでない部分。
そこにはいろいろな情報があって、何かがなくなってしまうと、少し物足りない気がしてしまう。
あって当たり前と思っていた物がなくなってしまったような、なんというか。
どこか寂しさまでも感じる。
何かに似た、寂しさのようなもの。
一体それはなんだったのだろうか。

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