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初心者必聴!洋楽名盤10選 90年代編

みなさんこんにちは。

まさかの4か月のブランクが開いてしまいました、洋楽名盤普及委員会です。今回の記事ではオルタナティブロックの台頭でそれまでのシーンの様相がガラッと変わり、グランジやパンク、ミクスチャー、メタル、インダストリアルと様々な方面から素晴らしい作品が登場することになる。そして80年代に勃興したヒップホップは次第にシーンで大きな影響力を持つようになり、黄金期と東西抗争という大きなターニングポイントを迎えることとなった。


1.Nirvana 「Nevermind」

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その時、世界が変わった

80年代を目途にメジャーな音楽シーンとインディーシーンにおける乖離は日に日に大きくなり、その中でインディーシーンで流行ではなく自分たちのやりたい音楽を鳴らしていた彼らのことを、もう一つ~や別の~といった意味を持つalternativeという単語を付けオルタナティブロックと呼ばれるようになった。

あくまでも我流を行くオルタナシーンの盛り上がりはハードロックやLAメタルの商業性にうんざりし、冷戦末期で社会情勢に暗い影を落としたアメリカ多くのリスナーを惹きつけた。遂にはいくつかのバンドはメジャーレーベルへの移籍でさらに大きなマスへと請求性を持つこととなり、R.E.Mはワーナー移籍を機に一時はU2を脅かすほどの存在と言われ、あのソニックユースもゲフィンへと移籍し傑作「GOO」をリリースした。

そんなソニックユースに憧れ同じくゲフィンへとメジャー移籍したのがシアトルのニルヴァーナであった。前年に「Bleach」でデビューしたニルヴァーナはカートコバーンの荒々しくも請求力のあるボーカルと、静と動を活かしたダイナミックな曲で注目を集めていた若手バンドであった。そしてドラムにデイヴグロールが加入したことで、カート、デイヴ、そしてクリスノヴォセリックの不動の3ピースが揃い満を持してメジャーへと移籍したわけだ。

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こうしてメジャー移籍を契機にして製作がスタートした来るべき2作目のアルバムは、カート自身が「トップ30にパンクアルバムを入れる」と意気込んでいたように、中音域に音を集めラジオにてクリアに聴こえやすいミックス、また前作で示した静と動の起伏をより明確にした構成、そして何よりも荒々しくも耳馴染のポップなメロディを持った楽曲を多く作られることとなった。

このようにして完成した2枚目のジャケットは本人たちが目論んでいたトップ30はおろか、ビルボード1位で最終的に全世界で4000万枚のメガヒットとなった。清涼剤のCMからインスパイアを受けタイトルにしたという「Smells Like Teen Spirit」は、その一度聴いたら耳を離れない強靭なイントロでまさしくそのタイトルに名前負けしない若者たちの一大アンセムとなった。それ以外にもパンキッシュな「Breed」、「Stay Away」や、「Come As You Are」、「Lithium」などのメタルの重たさも兼ね備えた素晴らしい楽曲たちの数々。クリスとデイヴのToo Heavyなリズム隊、カートの狂ったように歪むギターと説得力溢れるボーカルは、ロックどころかポップミュージックという全てのフィールドに置いて新たなる景色を見せつけた。

ヘヴィメタルなどの産業ロックからインディーシーンを中心としたオルタナティブロックへの切り替わり、揺れるアメリカの社会情勢。そんな時代の折り返し地点で登場したニルヴァーナは音楽シーンのみならず、時代を象徴するカリスマとなった。しかしヒットチャートを意識した作りは、ある種インディーズの精神を持った自分の理念に反したとしてカートを苦しめることとなる。3年後カートは自らの手で引き金を引き、27歳という短い命に終止符を打った。

<ネクストステップ>
ニルヴァーナは「Nevermind」を含めて3作のオリジナルアルバムを残しており、「Bleach」、「In Utero」はどれも非常に聴きごたえのある作品だ。また「MTV Unplugged In New York」はアコースティックライブであるものの、カートコバーンがどれだけ凄いボーカリストであるかがわかる一枚だ。また当時彼らのライバルと称されたPearl Jamの「Ten」、クリスコーネル率いるSoundgardenの「Superunknown」、ドラムのデイヴがニルヴァーナ解散後に結成したFoo Fightersの「The Colour And The Shape」もおすすめ。


2.Oasis 「(What's The Story) Morning Glory」

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紛れもない僕らの歌

1991年にニルヴァーナが「Nevermind」をスマッシュヒットさせグランジが一大ムーブメントを巻き起こした一方、海の向こうのイギリスはぱったりとロックシーンの元気がなくなってしまう。同年にマイブラッディバレンタインが「Loveless」、プライマルスクリームが「Screamadelica」という傑作を通じて、当時隆盛を極めていたシューゲイザーとマッドチェスターの総括を果たしてしまったことも原因であるが、翌年92年はマニックスのリッチーがキレて腕を切り刻んだこと以外はほんとにこれといったトピックが無かった。

そんな中で長いサッチャー政権が終わり「イギリスらしさとは?」という、ある意味アメリカ文化と対抗するように自国の独自性と、そして自国のカルチャーを牽引するスターを模索する時代へと突入する。その中でもいち早く口火を切ったのがグラムロックから影響を受けた耽美な世界観を展開するスウェード、そしてキンクスの黄金のメロディとXTCのユーモアを兼ね備えたブラーが追従する形で彼らの音楽はブリットポップと呼ばれるようになった。

しかしこのムーブメントの真の主人公はカートコバーンが死んだ1週間後に現れることとなる。俺は俺自身でいる必要がある、という力強い歌詞で始まる「SuperSonic」でデビューしたオアシスだった。同年8月にリリースした3rdシングル「Live Forever」では自己嫌悪と死への願望を歌ったニルヴァーナなどのグランジ勢に対して、生きることの美しさを煌めくようなギターサウンドで強く歌い初のチャートトップ10入りを果たす。

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天才的なメロディメイカーであるノエルと、圧倒的なカリスマ性を持つリアムのギャラガー兄弟という、サッカーと音楽を愛するマンチェスターの労働者階級の若者たちで結成されたバンドだ。そんなどこにでもいそうな若者たちがシーンの中心に躍り出て、まるで普段家でテレビを見ながら言うような感覚で暴言を吐きまくり、そして兄弟げんかをしていた。ステージ衣装が普段着と変わらないようなジャージであったように、彼らの立ち振る舞いはごく普通なイギリスの若者のリアルだった。

オアシスの快進撃は留まることを知らず、翌95年にはブラーとの同時シングル対決が行われ、中流者階級のブラーと労働者階級のオアシスの対決はイギリス全土を巻き込んだ文化的トピックとなった。そんな中でリリースされた今作は全曲シングルカットされてもおかしくないほどの高いクオリティを持った12曲が収録された。ブラーとのシングル対決になった「Roll with It」、アコースティックな名バラード「Wonderwall」、ノエルがボーカルを取った第二のイギリス国歌「Don't Look Back In Anger」、そして有終の美を飾る「Chanpagne Supernova」など、どれも普通のバンドだったら一曲あったら万々歳な名曲がこれでもかと収録されている。

誰もが口ずさみたくなるような美しいメロディでクールブリタニアの象徴となったオアシスは、ブリットポップ終息後も最前線で活躍をするも2009年にギャラガー兄弟が袂を分かちあったことで解散する。しかし今でもその黄金のメロディは流れ続けており、2017年のマンチェスターのテロ事件での追悼集会では突発的に「Don't Look Back In Anger」の合唱が始まったことが話題となった。それは今でも人々の生活に寄り添う普遍的な歌として、彼らの楽曲が愛されていることの一つの証明となったような出来事だった。

<ネクストステップ>
デビュー作「Definitely Maybe」も今作同様、完全無欠の名曲揃いの傑作なので要必聴。またこれ以外だと3rdの「Be Here Now」、シングルのカップリングの人気曲を集めた「The Masterplan」はオススメ。他のブリットポップ勢ではBlurの「Parklife」、Suedeの「Suede」、Manic Street Preachersの「Everything Must Go」も聴きごたえのある名盤だ。


3.Bjork 「Post」

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自由・奔放・アート

アイスランドという小さな島国がある。イギリスやアイルランドのさらに先にあり、どちらかと言えばグリーンランドの近くにあるようなところだ。面積は北海道と四国を合わせた程度の小さな島国であるが、多くの火山が存在しその広大な自然の原風景が見る人を圧倒し多くの人を惹きつける土地でもある。

このアイスランドという土地は音楽の歴史においても不思議な土地であり、首都のレイキャビクですら12万人程度の規模感であるにも関わらず、多くの素晴らしいアーティストが生まれているのだ。ポストロックとアンビエントが織りなす雄大な音を鳴らすシガーロスを始め、アウスゲイル、オブモンスターズアンドメンなど、どれもアイスランドの自然を彷彿させるようなダイナミックな音楽性が魅力だ。

その中でも傑出した存在であるのがビョークである。母音を声帯を震わせるようにして揺らぎを生み出し、ポップミュージックの規範に乗っ取られないその独特の歌唱法でダイナミックな世界観を構築する。またボーカルだけでなく常に様々な音楽性を作品ごとに落とし込んでいき、万華鏡のようにきらめくサウンドで多くのリスナーを魅了し、その独特なステージ衣装も含めてポップミュージックのみならずアートの世界にも大きな影響を与えた。

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12歳にして天才少女という触れ込みでデビューすると、いくつかのパンクバンドでのキャリアを経て21歳の時にシュガーキューブスを結成。デヴィッドボウイやイギーポップなど多くの大物を虜にした斬新な音楽性を持つこのバンドはアイスランド史上最高のバンドと称され、そこで高い評価を得たビョークは92年の解散後満を持してソロデビューを果たすこととなった。

そんなビョークの名声を確立したのが今作であり、アルバムはセールスと評価の両面で賞賛を浴びることとなった。前作からのネリーフーパーに加え808ステイトのグラハムマジーや、マッシブアタックのトリッキーがプロデュースに参加したことで、ハウス食の強かった前作から一転しより多彩な楽曲群が並ぶこととなった。インダストリアルな「Army Of Me」、ビッグバンド風味の「It's Oh So Quiet」、トリップホップ的なサウンドにエモーショナルな歌唱が乗っかる「Hyper-ballad」など彼女の代表曲が数多く収録された。

当時の最新鋭とも言えるありとあらゆるサウンドプロダクションを導入しながらも一貫して芯がぶれないのは、まさしくビョークの声が中心に位置しているからであろう。どこまでも自由で不規則なほど読めないその奔放なボーカリゼーションで、空気を揺らぐその唯一無二の声はまさに現代アートとも言える。そしてこの後も「Homogenic」という傑作を生み、映画「Dancer In The Dark」への出演を通じてセンセーショナルな存在へと進化していくことになる。

<ネクストステップ>
ビョークはこのほかにも「Debut」、「Homogenic」などがおすすめ。また同郷のSigur Rosの「Ágætis byrjun」、「Takk…」などを聴いてアイスランドの地に思いを馳せるのもいいだろう。彼女が主演を務めた「Dancer In The Dark」は胸糞映画の金字塔なので、気分がすぐれないときに見るのだけは絶対おすすめしません。


4.Chemical Brothers 「Dig Your Own Hole」

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力強いダンスフロア

ダンスミュージックを論じることは非常に難しい。というのもリズムに特化した音楽であり、そこが生身の人間ではなくデジタルなビートで鳴らされているわけで、そのビートの強弱やバリエーションからどのような意図をくみ取るかというのは、明確なメッセージのあるロックやヒップホップなんかと比べたらとても曖昧である。ただ一つどの作品にも通ずるのは、作り手側は受け手をどうやって「躍らせるか」ということだけは絶対意思であることだ。

クラフトワーク、YMO、デヴィッドボウイらが電子音楽のポップスへの転化という試みを行い、やがてそれがシカゴのDJたちによってハウスとして面白がられ、この流れが80年代末期のイギリスのマッドチェスターシーンに受け入れられたことでテクノという呼称が生まれることになる(ここら辺の説明は端折ってる部分があるので悪しからず)。

そして90年代に入りレイヴカルチャーが落ち着き始めたタイミングでテクノグループとして再始動し始めたアンダーワールドを筆頭に、トリップホップのマッシブアタック、アンビエントをテクノに織り交ぜたエイフェックスツイン、プロディジー、ファットボーイスリム、オービタルなどのダンスアクトが台頭することとなる。その中でも破格の成功を収めたのがケミカルブラザーズであった。

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マッドチェスター真っ盛りの89年、まさに震源地でありストーンローゼスの熱狂に揺れていたマンチェスターで結成されたケミカルブラザーズは、ニューオーダーが経営していたクラブ、ハシエンダのDJとして名を挙げた二人組だ。このハシエンダには当時シャーランタンズやマニックストリートプリーチャーズといったマッドチェスター・ブリットポップシーンで活躍していたバンドも出入りしており、このようにロックとクラブカルチャーの間で密接な関係を築いたことが、ロックとダンスミュージックの架け橋としての彼らの立ち位置を築くきっかけとなったのは言うまでもない。

今作「Dig Your Own Hole」は前作「Exit Planet Dust」で衝撃のデビューを果たした彼らが、よりロック寄りのアプローチへと接近した一枚だ。ロックが持つダイナミズムと、とにかく前掛かりな鋭いブレイクビーツが合わさった楽曲は非常に殺傷能力の高いクラブビートだ。その中でも当時ブリットポップの中心にいたオアシスのノエルギャラガーが参加した「Setting Sun」は特筆すべき出来で、力強いビートとノエルギャラガーの気怠いボーカル、摩訶不思議かつ迫力のあるサウンドでコラージュされたこの楽曲は全英1位のヒットを記録し、そのクオリティの高さから「現代のTomorrow Never Knows」とまで称されることとなった。

「Setting Sun」のヒットに続くようにしてこのアルバムも大ヒットを記録し、当時隆盛を極めつつあったビッグビートの立役者としてのケミカルブラザーズの地位を不動のものにした。これまでロック側からダンスミュージックの要素を取り込むことはあったが、ケミカルブラザーズが成し遂げたのはクラブミュージックを基調としながらいかにロックのダイナミズムを落とし込むかということだった。それはマッドチェスタームーブメントの爆心地から飛び出した彼らだからこそ成し遂げたことであり、以後彼らに続くようにダンスアクトが大きなステージで輝く機会が増えることを考えると歴史というものは確実に繋がっていることを痛感させられる。

<ネクストステップ>
Chemical Brothersは他にも「Surrender」、「Push The Button」、「No Geography」なんかがおすすめだろう。他にも同時期に活躍したビッグビート・テクノ系のアーティストの名盤としてThe Prodigyの「The Fat of the Land」、Daft Punkの「Discovery」、Underworldの「Dubnobasswithmyheadman」、Aphex Twinの「Richard D. James Album」なども要必聴だろう。


5.Nas 「Illmatic」

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ニューヨークから見える景色

80年代からシーンに面白い音楽として登場したヒップホップは政治的なメッセージを歌うパブリックエネミーや、西海岸のゲットーで暮らすリアルな日常を描くN.W.A.の登場により、黒人コミュニティの誇りや団結を促す音楽として文化に完全に溶け込むだけでなく、シーンにおいてもより強い請求力を持つこととなった。

1990年代に入るとヒップホップは西海岸と東海岸という構図に分かれることとなり、その中でも西海岸は目覚ましいほどの隆盛を見せることとなる。N.W.A.が見せたギャングスタラップというスタイルは、メンバーであったドクタードレが名盤「The Chromatic」において一気に主流へと押し上げた。その後スヌープドッグ、ウォーレンG、2パックなども多くのヒット曲を飛ばし、Pファンクのサンプリングを多用しながらも生楽器の導入で楽曲に緊張感をもたらすその音楽性はGファンクと呼ばれるようになる。

一方の東海岸でもニューヨークを中心に激しいドラムとリリックを信条としたエリックB & ラキムらによって、都市部の荒廃を生々しく描いたハードコアヒップホップを基調とする形で発展していった。そしてよりカンフーからの影響を受けたウータンクラン、西海岸のギャングスタラップの要素も取り入れヒットを飛ばしたノトーリアスB.I.G.らが東海岸の音楽的特色が形成される中に、若干20歳のナズがいたのである。

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ナズが育ったニューヨークのクイーンズ地区は、レーガノミクスとブッシュの福祉政策による経済格差から治安悪化を恐れた白人住民たちが郊外へ脱出し、いわば黒人住民たちは半ば隔離された状態であった。コカインとクラックが蔓延する殺伐とした環境において、8年生で学校をドロップアウトしたナズも例に漏れずドラッグの売人をする傍らラップへとのめり込むこととなった。

ITバブルによる好景気に浮かれる1994年に、ナズはこの「illmatic」において荒廃した街に取り残された若者たちのリアルを描き鮮烈なデビューを果たすこととなる。ヒップホップ史上最高のリリシストとも称される通り、その直接的というよりはリスナーの想像力に委ねるような巧みな詩的表現でゲットーのリアルを暴く。そして何と言っても抜群に聴きやすいトラックも特筆すべき点であり、「Life's a Bitch」、「The World Is Yours」などのジャズ、ソウルといった音楽に乗っかるタイトなビートはリリックと相反して心地良さすら感じさせ、ラストの「It Ain't Hard to Tell」でのマイケルジャクソンのサンプリングなんかは圧巻。

かくしてナズは若干20歳にして最強のリリシストの座を手にし、「illmatic」はヒップホップ史に残る名盤としての立ち位置を確立することとなる。一方西海岸と東海岸におけるヒップホップ東西抗争が本格化するのも、「illmatic」がリリースされた頃と同時期であり、最終的に西海岸の2Pac、東海岸のノトーリアスB.I.G.がそれぞれ射殺されたことで抗争は終結、時代は大きな分岐点を折り返すこととなった。

<ネクストステップ>
Nasは次作「It Was Written」と「God's Son」あたりがおすすめだろう。またこの時代のヒップホップの傑作としてはDr. Dreの「The Chronic」、Notorious B.I.G.の「Ready To Die」、Wu-Tang Clanの「Enter The Wu-Tang」、2Pacの「All Eyyz On Me」などがある。


6.Weezer 「Weezer」

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アフターニルヴァーナエイジ

"アフターニルヴァーナエイジ"、これはちゃんとした業界用語とかではなく僕が昔勝手に作った造語であり、その字面の良さから気に入って使っている呼称である。1994年、ニルヴァーナのカートコバーンが死んだ。ロックのスタービジネスに苛まれた男の死は当時の音楽業界に大きな影響を与えたわけだが、この年は不思議なことに数多くの素晴らしいアーティストがエポックメイキングな傑作をリリースした年でもあるのだ。

一例を挙げるとすれば先述のオアシスなんかも1994年にデビュー作をリリースしており、当時のグランジムーブメントとは真逆の生命賛歌を高らかに歌いブリットポップムーブメントをこじ開けた。そしてノトーリアスB.I.G.、ナズといった東海岸のヒップホップの主要なスターもこの年にデビュー作をリリースし、東西抗争のきっかけとなった2パック銃撃事件もこの年の終わりのことである。

しかしその中でも特筆すべきなのは、カートコバーン亡き後のアイコン探しに奔走し始めた本国USオルタナシーンだ。ブルースとラップを折衷した「Loser」で登場した新感覚の天才肌ベック、攻撃的なインダストリアルサウンドと抒情的な展開で名盤「The Downward Spiral」をリリースしたナイン・インチ・ネイルズ、後のインディーロックに大きな影響を与えすぎたローファイの雄Pavement、極上の歌声を武器にキャリア唯一のアルバム「Grace」をリリースしたジェフバックリィ、そして「Dookie」で破格の成功を収めたグリーンデイ。どのアーティストも後のシーンに大きな足跡を残しており、尺さえあれば全員紹介したいところなのだが、この枠で紹介するのはこの面々の中ではちょっと地味かもしれないバンドである。

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リバースクオモは眼鏡をかけたどこにでもいるロックを愛する少年だった。メタルを愛する彼は18歳の時にロックスターを夢み、ロサンゼルスに出るもののすぐに挫折、同じようにロスに来たものの挫折したもの同士で結成されたのがウィーザーというバンドである。パワーポップを基調としたシンプルかつメロディアスなギターロックは評判を呼び、93年に念願のデビューアルバムの制作に取り掛かることになる。ここにプロデューサーとしてパワーポップの大御所カーズのリックオケイセクが担当したことが功を奏する。

こうして完成したデビュー作「Weezer(通称ブルーアルバム)」は、ラジオでのヘビーローテーション、スパイクジョーンズがMV監督をした名曲「Buddy Holly」のヒットなどにより大ヒットを記録することになる。先述の通りパワーポップがベースなのだが、メタルとグランジを通過してきたその程よい強靭さのあるサウンドがグッドメロディを際立たせ、楽曲にエモーショナルな印象を与えた。「Buddy Holly」や「No One Else」のようにどの楽曲も小細工一切なしのストレートなギターロックを奏でており、そこに「Say It Ain't So」などのスローかつ爆発力に長けたアンセムを潜ませているあたりも憎らしい。

ウィーザーは確かにルックスはどこか普通の冴えないオタクみたいな風貌だし、楽曲に革新性やひねりのあるような派手さは皆無だし、それこそカートコバーンのようなカリスマ性がリバースクオモにあるわけがない。だけどこんな地味で冴えなくても本質的な楽曲の強さと、剥き出しのエモーションさえあればロックを出来ることを証明して見せた。それはメタルにもグランジにもどっちによることが出来なかったウィーザーだからこそ成し遂げたられたことであり、彼らは今も最前線で力強いロックを鳴らし続けている。

<ネクストステップ>
Weezerは2001年リリースの「Weezer(Green Album)」、2016年リリースの「Weezer(White Album)」、2019年リリースのカバーアルバム「Weezer(Teal Album)」などがおすすめだ。またここでは同時代のUSオルタナの傑作にも触れてもらいたいと思っており、インダストリアルロックの巨匠Nine Inch Nailsの「The Downward Spiral」、USオルタナシーン最大の天才Beckの「Odelay」、90年代のUSロックシーンを代表するメロディメイカーであるビリーコーガン擁するThe Smashing Pumpkinsの大作「Mellon Collie And The Infinite Sadness」などは要必聴だ。


7.My Bloody Valentine 「Loveless」

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甘く儚い渦の中で

シューゲイザーという音楽ジャンルを知っているだろうか?フィードバックノイズやディレイ/エコー、リバーブなどのエフェクターを駆使した残響感のあるサウンド、甘くどこかふわふわしたような印象があるポップなメロディ、そして大音量のギターサウンドに相反するように俯き囁くように歌うその姿から、靴を眺める人という揶揄を込めてそう呼ばれるようになった音楽だ。

60sのUSポップスをノイジーなギターサウンドで奏でたジーザス&メリーチェインの「Psychocandy」が85年にリリースされたのを皮切りに、マッドチェスターのように踊れるわけでもなく、かといってグランジのようにはっきりと鬱屈感を体現できるわけでもないリスナーたちは、ある種の現実逃避のようなこのサイケデリアに没頭することになる。

黎明期のシューゲイザーシーンにおいて、その明確な指標を示したのがダブリンで結成されたマイブラッディヴァレンタインであった。1988年にシングル「You Made Me Realise」でその名を轟かせると、男女ツインボーカルによる幽玄的なボーカルワークと、幾重にも重ねられたノイジーで幻想的なギターサウンドで、ライド、チャプターハウス、スロウダイヴなどの多くのフォロワーを生み出しシューゲイザーをさらに大きなムーブメントになることに貢献する。

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1stアルバム「Isn't Anything」などのリリースを通じてシーンの中心に躍り出たバンドではあったが、続く2ndアルバムの制作は大きく難航することとなる。中心人物であったケヴィンが求めた完璧な美しいノイズへの探求は2年半の歳月を要することになり、膨れ上がった製作費は所属レーベルを倒産寸前まで追い込み、またドラムのコルムはこの時期困窮のあまりホームレスになるなどメンバー自身も限界と隣り合わせの状況の中制作された。

こうして完成された「Loveless」は一曲目の「only shallow」のイントロが鳴り響いた時点でリスナーの脳を混乱に陥れ、ギターロックで表現できる新たな世界を示すこととなる。「to here knows when」や「blown a wish」などで見られるホワイトノイズが立ち込める重厚なギターはノイズ=不快な音という概念を180度ひっくり返し、そこに「when you sleep」や「what you want」というエバーグリーンなナンバーや、「sometimes」という至極のラブソング、そしてラストの「soon」で永遠の陶酔のダンスフロアへと堕ちていく脳内快楽とも言える音楽が鳴り響く。

まるで僕らは夢を見ていたのか?はたまた幻想の中で踊っていたのか?多くの人々が「Loveless」の虜となり、このアルバムだけが持つサイケデリアを追い求めて、結果として10年代まで続くドリームポップ・シューゲイザーの聖典のような作品として今日まで愛されることとなる。同年海の向こうでニルヴァーナが「Nevermind」というギターロックの新たな形を示したように、イギリスとアメリカで1991年にそれぞれ大きなターニングポイントとも言える作品が出たことは非常に興味深い出来事である。

<ネクストステップ>
マイブラは寡作なバンドであり、「Loveless」以外だと「Isn't Anything」、「m b v」、「ep's 1988-1991 and rare tracks」だけではあるがどれも名曲揃いなので要必聴作品だろう。またそれ以外のシューゲイザーで言うとRideの「No Where」、Slowdiveの「Souvlaki」、Cocteau Twinsの「Heaven or Las Vegas」などがおすすめ。


8.Lauryn Hill 「The Miseducation」

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いま彼女が求められている理由

この初心者必聴!洋楽名盤10選シリーズを始めるきっかけとなったのが、2020年に改定版が出たローリングストーン誌のオールタイムベストアルバム500がきっかけであるのは最初の60年代編を読んでもらえればわかると思う。というのもその時の改訂版の内容が、アメリカのポピュラー音楽評論において軸としてロック史からヒップホップ史に切り替わったことが明確に示されていたもので、ある意味論争を生み出すようなものだった。その中でも印象的だったのがマイケルジャクソンやアレサフランクリンらを抑え、この作品がトップ10入りを果たしたことだ。

ローリンヒルのキャリアはハイチ系移民のワイクリフ・ジョンと彼の従兄弟のプラズの3人で結成したフージーズを語ることを避けて通ることは出来ない。1994年にアルバム「Blunted on Reality」でデビューを果たすと、その2年後にリリースされた「The Score」が全世界で1700万枚を売り上げ、90ねんだいに最も聴かれたヒップホップアルバムとしてヒップホップの普及に大きく貢献する。

フージーズは当時のヒップホップシーンにおいて特殊な立ち位置にいたグループだ。というのもいわゆるこの時期に語られるヒップホップの正史という観点では、東西抗争やギャングスタラップなどと言った要素は無く名前が挙がることは稀であると言える。しかしながら中南米にルーツを持つ彼らの楽曲はレゲエなどの影響も随所に見られ、ジャズやソウルの誰もが知る名曲を大胆にサンプリング、そして何よりワイクリフとローリンの二人がラップだけでなくシンガーとしても才能があったことが、精神性以上に純粋に音楽として惹きつけるヒップホップとして支持された要因だろう。

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「The Score」発表の翌年、ボブマーリーの息子との間の子供を妊娠したローリンヒルは、産休を機にソロアルバムの制作に着手する。「レゲエの高潔さ、ヒップホップの強さ、そしてソウルのような奏法を盛り込む」ことが念頭に置かれ、可能な限りセルフプロデュースにこだわり、ディアンジェロやメアリーJブライジ、ジョンレジェンドなどの豪華な客演を呼んで制作されることとなった。

愛をテーマに問いかけが進行していくアルバムは、フージーズ時代に培ったヒップホップやR&B、レゲエだけでなく、ファンク、ソウル、ドゥーワップ、ジャズ、ゴスペルなど、豪華な客演を駆使した強靭な生演奏でブラックミュージックの総括を果たすこととなる。ヒップホップやネオソウルの名盤としてカテゴライズされるが、名盤的な重厚な風格というよりはイージーリスニングとして気軽に聴ける親しみやすさを持っていることもこの作品が多くのリスナーの支持を集めた要因であろう。

結果としてこのアルバムはフージーズ時代の「The Score」を上回るセールスを記録し、グラミー賞5部門を制する社会現象クラスのヒットとなる。当時22歳の等身大の若き一人の女性として、一時の母として彼女が歌うそのメッセージは多くの共感を獲得しカルチャーアイコンとして注目されることとなる。そしてその精神性は時代を経るごとに説得力が増し、ビヨンセなどの強いメッセージを持った女性アーティストが台頭した現代において、ローリングストーン誌のランキングにトップ10入りしたことは必然の結果なのかもしれない。

<ネクストステップ>
ローリンヒルはこれ以降アルバムリリースが無く、The Fugeesの「The Score」などを聴くといいだろう。また同世代のネオソウル、R&Bの傑作としてTLCの「CrazySexyCool」、Janet Jacksonの「The Velvet Rope」、Mary J. Bligeの「What's The 411?」、Erykah Baduの「Baduizm」などがおすすめ。


9.Radiohead 「OK Computer」

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夢が色あせてしまった瞬間

1992年からブリットポップが本格化する94年までのUKロックシーンは類を見ないほど元気が無かった印象がある。マッドチェスターもシューゲイザーの狂騒も嘘みたいに消え去り、アメリカで台頭したニルヴァーナを筆頭にグランジの波が押し寄せる。レディオヘッドはそんな狭間の年である92年にデビューした。

93年にはバンドの代表曲である「Creep」がリリースされる。日陰のようなところにいる僕があまりも完璧な君の恋をするというベタではあるもののエモーショナルな詞、ジョニーグリーンウッドのエフェクティブなギターを活かした緩急のある楽曲はバンドのブレイクのきっかけとなっただけでなく、90年代オルタナティブロックシーンを象徴する一曲となった。

しかし当時のイギリスのカルチャーシーンにおいてレディオヘッドの居場所など無かった。オアシスやブラーを中心としたブリットポップが台頭したことで若者のリアルを明るいポップセンスで吹き飛ばす曲が街には流れ、そしてスパイスガールズが「Wannabe」でワールドクラスのヒットを飛ばしたりしていた。クールブリタニカの名のもとにイギリスらしさを追い求めた当時のシーンにおいて、アメリカのオルタナを取り入れたレディオヘッドは異端でしかなく、"「Creep」の一発屋"という不名誉な烙印を押されることとなる。

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続く2ndアルバム「The Bends」ではあまりにも無謀なツアーやプロモーションの甲斐あってロングヒットを記録するものの、既にギターバンドとして彼らは完成されてしまい、さらなる音楽性の拡張性を図るためナイジェルゴッドリッチをプロデューサーに招聘し偏執的なほどサウンドの追求を図ることとなる。しかしながら当時ライブで数回披露し評判が良かった名曲「Lift」を「Creep」の二の舞になるということから外したりしたことや、そのあまりにも難解な内容が災いしリリース前から一部のレーベル関係者からは難色を示されたという。

1997年3枚目のアルバム「OK Computer」はその大衆受けを無視した難解な内容にも関わらず、全英初登場1位、アメリカでもヒットを記録し世界中で780万枚以上売り上げバンドの世界的な出世作となってしまう。トリップホップ、環境音楽などのデジタルな要素を取り入れたサウンドはどこまでも隙が無く、まさに鳴るべきタイミングで正確にその音が鳴っている完璧なプロダクションが施されている。抗生物質漬けの豚~や俺が王ならお前らは真っ先に銃殺だ~などと物騒なリリックでトムヨークが当時のイギリス社会を糾弾するかと思えば、「Let Down」、「Karma Police」、「No Surprises」という美しいアンセムをぶち込んでいく。

あまりにも暗く陰湿でひねくり回しながらも、一筋の救いようのない光に全てを賭けたようなこの作品のヒットにより、飽和状態に陥りつつあったブリットポップはトドメを刺され、クールブリタニカという言葉は瞬く間に色あせた。「Creep」で日陰から眺めていた決して主人公になれなかったバンドは、この年のグラストンベリーフェスのトリとして眩いばかりのスポットライトを浴びることとなる。しかしシーンの主人公になった彼らは3年後、さらなる創造的破壊を行い世界を180度ひっくり返すこととなる。それはまた別のお話で。

<ネクストステップ>
90年代のRadioheadはこの「OK Computer」とギターロックバンドとしてのお手本を示した「The Bends」で大体は理解できるだろう。他にも同年その耽美かつスケールのでかい音像で大ブレイクを果たしたThe Verveの「Urban Hymns」、ブリットポップ路線から端正なアコースティックナンバーで成功したTravisの「The Man Who」、そして派手なポップスターとなった今とは考えられないほど素朴なColdplayの「Parachutes」もおすすめ。


10.Red Hot Chili Peppers 「Californication」

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敗北の焼け野原にて

今日本において洋楽、特に洋楽ロックと言われるもので入門編として適したバンドと言えば何が該当するだろうか?個人的な持論としては三種の神器と呼ばれるバンドがいて、まずはビートルズ由来の安定のグッドメロディが武器のオアシス、疾走感とエモーショナルな楽曲で日本のメロコアシーンに大きな影響を与えたグリーンデイ、そして各楽器パートごとにスター性のあるメンバーがいて多くのバンドマンが楽器を手にするきっかけを作ったレッドホットチリペッパーズの3組だ。

レッドホットチリペッパーズ、通称レッチリのキャリアは意外と長く80年代中盤にデビューしメキメキと頭角を現すものの、88年にリーダーのヒレルスロヴァクの死とそれに伴うジャックアイアンズの脱退により窮地に立たされることとなる。翌89年に新体制としてボーカルのアンソニーキーディス、ベースのフリーというオリジナルメンバーに、ドラムにチャドスミス、そしてギターにジョンフルシアンテが加わり最強のラインナップが揃う。

91年リックルービンを迎え制作された「Blood Sugar Sex Magic」では濃厚なファンクのグルーヴにパンクの攻撃性、ハードロックの厚み、そしてラップを織り交ぜたレッチリの音楽性が完成し、アルバムは世界的な大ヒットを記録する。レイジアゲインストザマシーンと共にミクスチャーロックの代表格として不動の地位を確立するも、ジョンフルシアンテが突如脱退。バンドは後任のギタリストが中々定着しない状況が長年続くことになる。

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95年のハードロック色を強めた「One Hot Minute」以来バンドは迷走状態に入り、アンソニーのバイク事故とヘロイン中毒というごたごたがありつつも、再起をかけるバンドは7年ぶりにジョンフルシアンテをバンドへ復帰させる。脱退後ドラッグに溺れ廃人同然の生活を送っていたジョンは、ギターもドラッグ代に充てたため長年プレイしてない状態だった。

「Californication」はそんなボロボロの状態だった彼らが音楽に真摯に向き合った作品であり、文化産業として消費されていくカリフォルニアの悲哀を皮肉ったタイトルを冠することとなった。それまでのレッチリ作品にみられた怒涛の勢いや特濃なグルーヴといったものはあまり感じられないが、乾いたサウンドとどこかソリッドな質感がある楽曲が多く並ぶこととなった。「Californication」、「Scar Tissue」などの楽曲ではよりメロディアスな面がクローズアップされ、これらのヒット曲などによりアルバムはバンド史上最大のセールスを記録する。

このミクチャーロックシーンを見てみるとレイジは「The Battle of Los Angels」で妥協なき姿勢を見せつけ、リンプビズキットやスリップのっとが過激さを前面に押し出す中で、レッチリはバンドとしての総合力を高め少しレイドバックしたスタンスに落ち着いたのは興味深い事実である。しかし誰よりも荒れた道を突き進み再び最強の布陣で戻ってきたレッチリにもう怖いものなど無く、以後アメリカを代表するモンスターバンドとして多くのバンドマンに夢を与えることとなる。

<ネクストステップ>
Red Hot Chili Peppersは出世作となった「Blood Sugar Sex Magic」、ジョンフルシアンテのメロディアスな一面が花開いた「By The Way」、ジョシュクリングホッファーをギターに迎えた「I'm with You」などがおすすめ。またその他のミクスチャーロックの名盤としてRage Against The Machineの「The Battle of Los Angels」、Kornの「Follow The Leader」なども聴いてみるといいだろう。

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