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[エモい名盤シリーズ] NUMBER GIRL 「School Girl Distortional Addict」

こんちわっす。

今日も今日とてエモい名盤シリーズやっていきたいと思います。

8月も後半に差し掛かり、うだるような暑さに拍車がかかる今日この頃にぴったりなエモい名盤です。

福岡市博多区から来ましたナンバーガール

今回紹介するエモい名盤はナンバーガールのメジャーデビュー作となった、2枚目のフルアルバム「School Girl Distortional Addict」です。

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ところでどうでもいい疑問なんですけど、彼らの正式名称ってナンバーガール、NUMBER GIRLのどっちなんでしょうね?どうでも良いか。

ジャパニーズ・オルタナティブロックの雄にして、邦ロックの祖先的存在の彼らをこのシリーズで絶対紹介しようとは思ってたんですけど、どのアルバムを紹介するかはまぁ〜悩みましたね。

なぜかっていうと彼らのオリジナルアルバムはハズレが一枚も無いんですよね

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今回紹介するやつ以外にも青春の淡い感じを爽快なギターサウンドで描いた「SCHOOL GIRL BYE BYE」。最高傑作と名高い、ヘヴィかつ鋭利なサウンドが特徴の「SAPPUKEI」。ダブや変拍子などのトリッキーな要素を取り入れ、より和な要素を前面に押し出した「NUM-HEAVYMETALIC」。

いやこれ名盤しかないやん

究極の4択だよね。迷いに迷って眠れない日々が続き、しまいにはこないだのCL準決勝バイエルン対リヨン戦を見逃す始末。俺ニャブリ好きだから、めちゃくちゃ後悔してんのよこれが。

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そんな時、向井秀徳がこのアルバムのリリース15周年記念版が発売され、そのライナーノーツにこんな一言を寄せていたことをふと思い出した。

「これねえ、もう、ひと言で言わしてもらいますけども
……青春なんですよね。すいません、青春です」
(向井秀徳)

この一言が今回このアルバムを紹介する決め手となった。青春の焦燥感を体現したようなギターバンドのフロントマン自らが、「青春」って表現しているんだぜ。エモい以外の何物でも無いだろう。

どんな音楽をやっているんだ?

ナンバーガールは音楽性的に前期後期と2つの時期に分けられることが多い。

前期はインディーズ時代から「School Girl Distortional Addict」までの期間を指す。

この時期の特徴はジャキジャキとしたナンバーガール特有のギターサウンドこそあれど、後期ほどのヘヴィさは無い。なによりも歌詞においてはかなり青臭い青春要素が強く、向井秀徳の文学青年的な趣を感じられるところが大きい。

後期はシングル「DISTRACTION BABY」から「NUM-HEAVYMETALIC」までの期間を指す。

後期からはプロデューサーに元マーキュリーレヴのデイブフリッドマンを招聘したことで、サウンドはよりヘヴィで無機質なものになり、ダブなどの音響が目立つようになる。歌詞も青臭い青春から、都会の孤独や喧騒を描いたものへと変貌する。特に都市という単語はかなり頻発し始める。

それとこれはかなり個人的見解なのだが、前期と後期では向井秀徳のボーカルスタイルはかなり変わっていると思う

よく前期ナンバーガールに対して挙げられる感想の一つに、楽器隊の音と比べてボーカルの音が低いという意見が出てくることが多い。これは向井秀徳本人が自分のボーカルが下手だからという理由で、ミキシング時にボリュームを低くするよう頼んだのは有名な話です。

対して後期はダブなどを取り入れたことから分かる通り、より音を鳴らすことに重点を置いたことで、向井秀徳のボーカルスタイルはボーカルというより楽器的な感じで歌っていたのでは無いかと思われます。

これは解散後のZAZEN BOYZにおいても、特徴的な日本語のフレーズを繰り返す歌詞を活かすための歌唱法へと変化したことからも、この可能性は有力だと勝手に思っております。

とはいえ向井秀徳の歌は下手か?と言われると、個人的にはそんなことはないと思っていて。彼が歌が下手だといわれる最大の要因は、初聴では絶対聴き取れないあの独特の向井語(アツレキまくってるもう到来喂?などなど...)による歌詞によるとこがでかいと思います。

実際ソロの弾き語りで出した「サーカスナイト」「ふるさと」なんかを聴くと、元の声質が抜群に良いことが伺えます。お前ら間違っても同じ弾き語りでも、「CHE.R.RY」だけは検索すんなよ

さすが俺たちのアイドルむったん...

というわけで純粋なロックボーカリストとして向井秀徳を、ナンバーガールの活動期間で楽しめるのが前期ナンバーガールの良さでして、それに加えてこの「School Girl Distortional Addict」はみんながよく知るナンバーガールという一つのフォーマットが完成した記念すべき一枚であるという側面があります。

殺伐!

このアルバムはよく前作「SCHOOL GIRL BYE BYE」と比べられるところがあるが、前作と比べて明確に違うところは各メンバーの演奏スキル及び個性の面で飛躍的な向上が見られるところだ

これはどちらも「OMOIDE IN MY HEAD」なのだが、前者97年に発表されたオリジナル音源、後者が99年のライジングサン出演時のものだ。

その後の飛躍を予見させるようなポテンシャルこそあれど、お世辞にも上手いとは言えない前者に対して、2年後の後者では明らかにライブバンドとして戦えるほどの技量を手に入れている。

もちろん「School Girl Distortional Addict」でも、その個性は爆発している。向井秀徳の歯切れの良いバッキングギター、それに絡む田渕ひさこのつんざくようなリードギター、中尾憲太郎のドライブするようなベース、2年経ってさらにバカスカ叩きまくるアヒトのドラム。いわゆるナンバーガールサウンドが完成されたのだ

また前作では声質を活かした伸びやかなボーカルだった向井秀徳は、今作では適度にシャウトをかます凶暴性すら見せるようにまでなっている。

そしてなによりも向井語の深化を筆頭とした歌詞世界だ。今じゃ向井秀徳の代名詞とも言える「繰り返される諸行無常」のフレーズは、このアルバムにて記念すべき初登場を果たしている。

熱さを嫌う若者たちは冷え切った場所へ逃げていく
通じ合わないで 触れ合わないで
それでも奴ら笑いあう それでも奴ら信じあう
「タッチ」
裸足の少女は 俺の前を走り抜ける
風都市ガールの世紀末ダンスに
見とれている男は多い
俺はずれた眼鏡をかけ直す
「裸足の季節」
普通に物事を見すえる力が欲しい
私は海を抱きしめていたい
桜のダンスをお前は見たか?
季節と季節の間に遊ぶ風の声を
貴様は聴いたか?
「桜のダンス」

文字に起こしてみて初めて気づいたけどこんなこと言ってたんだな笑。自分は歌詞をあんまり注目せずに音楽聴くタイプだから、実はナンバーガールの歌詞を結構聴き流してたんだなと痛感。

とはいえかなり散文詩って感じで、一見脈略が無さそうな歌詞ではあるけれど、一つ一つのフレーズが文学青年の心をくすぐるような独特の世界観で満ち溢れたものが多いことに気付く。千鳥ノブっぽく言えばクセが凄いってやつだ。

特に好きなのが「日常に生きる少女」の冒頭の部分なんだけど、

スピーカーが2つあるってことは
そこに2次元の世界があるってことなんですねって

この発想力凄くねえか?

どうしたらそんな世界観のある歌詞に行き着くんだ?オレ押さえとか、ライブMCで俳句読んだりとかかなりぶっ飛んだ発想の持ち主なんだけど、それは上記の歌詞のように音楽面で上手く生かされていて、向井秀徳という強烈なパーソナリティを垣間見ることができる。

そんな彼女が透明少女なわけ

このアルバムを語る上で欠かせない曲がある。

透明少女」だ。

「透明少女」は魔法のような曲だ。ナンバーガールというバンドを紹介する上でまず最初に挙げられる曲であることはもちろん、90年代後半以降の日本のロックシーンに於いてもこの「透明少女」が一つのスタンダードとしてそびえ立っているのだ

ナンバーガールの世界観を語る上で少女という概念を無視することはできない。向井秀徳が紡ぐ少女は青春の青臭い偶像であるだけでなく、どこかミステリアスさをも感じさせる神秘性を兼ね備えている。

後期ナンバーガールにおける少女は、そのミステリアス性が発展し、死などへの憧れをも匂わせるスリリングさも併せ持つことになるのだが、前期は青春という範囲で収まりながら主人公に契機を与える存在でいることが多い。

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そしてナンバーガールと言えば夏だ。彼らは歌詞の舞台設定に夏を選ぶことが多い。意外にも彼らの曲のタイトルに少女、もしくはGIRLが付く曲において、歌詞で明確に夏という単語が出てくる初めでの曲が「透明少女」なのだ

気付いたら俺はなんとなく夏だった

向井秀徳自身、曲の中でなんとなくって言ってくらいこの曲の歌詞は抽象的で何を伝えたいのかはわからない。

ここで例示した例はかなり大雑把だけど、これまでの夏の歌といえばこんな感じじゃないか?一貫して夏を楽しもうという趣旨や、夏の切ないロマンスと言った感じの曲がこれまでの夏だ。

でもナンバーガールの描いた夏は海に行くのが億劫な夏だ。でも夏だから何かをしなきゃいけないという衝動に駆られるも、何も出来ず今日も一人の世界に篭る夏だ。

それをテレキャスターとジャガーによる鋭利なギターサウンドで僕らの焦燥感を煽ろうとする。しかもそのバンドサウンドは洋楽っぽさも無ければ、邦楽っぽさも無い唯一無二のバンドサウンド。

俺には見えるぞ。俺には見えるぞ。俺が思うに「透明少女」は向井秀徳という独特の発想力を持つ文学青年が生み出した、新しい夏の歌であり、日本のロックにおける一種の発明なのだ

これ以降、邦ロック界隈では夏×少女というフォーマットが一つのスタンダードとなる。でもナンバーガールを超える楽曲は未だに現れないのも現状を考えるとこの事実こそ向井秀徳というイノベーターの凄みなんだと思う。

一方メインストリームでの夏の歌は相変わらず夏を楽しもうだ、夏の切ないロマンスやら、夏だからヤッちゃおうやらそんな曲ばっかだ。

新型コロナによる相次ぐ自粛が続いたいつもと違う春、ナンバーガールはFNS歌謡祭に出演した。そこで多くの視聴者がいつもとは違う夏の歌を知ることとなった。

そんな新しい夏の歌を知ってしまったあなたにこそこの「School Girl Distortional Addict」を聴いて欲しい。この一枚に日本のロックのすべてが詰まっている。



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