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関ジャムがランキングやってたらしいので俺も平成ランキング作ったった

鳥貴族の焼き鳥塩味はさすがに塩が多すぎると思います三代目齋藤飛鳥涼です。

皆さんはこんなコピペをご存じだろうか?

長友よ、余計なことはやめておけ。
今はまだ、自分のプレーの向上のみに専念する時。
そんなことをするのは10年早い。

(しかし、長友は精神的に油断が生じているのか? だとしたら、先は長くないぞ)

これは日本代表合宿で長友佑都が当時若手だった原口元気に自身の体幹トレーニングを伝授した記事が出た際に、2ちゃんねるにおいて長友の説教くさい態度を揶揄して広まったコピペである。

とはいえこのように愚直に本業さえやってりゃいいのに、長友や本田圭佑のようにサッカー以外でもビジネスなんかに手を出してそっちの方が目立つと、いざ結果が出せない時に余計なことするからって話になってしまうわけでね。

余計なことをしなければ波風が立たぬわけだが、今また新たな波風の匂いがしてきたわけで今回はその話についてしたいと思う。

[悲報]関ジャム、また戦争を起こす

先日テレビ朝日で放送されている音楽バラエティ「関ジャム」が、平成ソングランキングベスト30なるものを発表した。

この番組ランキングを作成するたびにネット上で息巻いた音楽オタク(筆者もその一人)たちの間で賛否両論が巻き起こるわけだが、流石にお茶の間で普段からそこまで音楽に造詣が深くない人々を相手に作っている番組なので仕方のない部分ではあると思う。

とはいえ今回のランキングの選曲を見てみたが、結構今の音楽シーンの実情及び若いリスナーの音楽の造詣の傾向が分かった質の高いランキングだなということが窺えて個人的には面白いと思った。箇条書きになるが以下が今回のランキングを見て感じたポイントである。

・今の世代の出発点は宇多田ヒカル&椎名林檎と見せかけて実はキリンジであり、キリンジ「エイリアンズ」を出発点とし、Suchmos「Stay Tune」を経由したネオシティポップ文脈が存在すること(これを「関ジャム史観」とでも名付けよう)
・ミスチル、B'z、小室哲哉の影響力が無くなりつつある
・前回のJ-POP20年史においても08年以降から10年代前半の楽曲が少ないことが指摘されたが、この年代からYouTubeの出現によって音楽の嗜好が多様化されたため世代間で共有できるヒット曲が無くなった。そのため今回のランキングでは10年代からの選曲がかなり減っている
・一方車のステレオ、またはテレビの影響力があったのは07年頃までで、それらの影響を受けた最後の世代が今のシーンを構築している
・avex勢からの選曲がかなり少なく、一方でロックの支持が大きい(これは松尾潔もTwitterで指摘している)
・V系が完全に記憶から抹消される
・選者にラッパーもいるのにベスト30に全然ランクインしないヒップホップはどうしちまったんだ
・ボカロ系がいなかったが、多分この感じだとあと10年位経てばこういうランキングにも乗ってくるんじゃないかと思われ

とまあざっくりこんな感じで、ネオシティポップ文脈とメディア発の音楽シーンの二つを、関ジャム史観として番組が背負い込もうという半ば無謀な制作サイドの意思が感じられてこれはこれで面白いランキングである。

さて本題であるが、今回の企画はそんな関ジャム君に倣ってそこらへんにいそうな音楽オタクである私も平成の凄い曲を30曲選ぼうという、なんとも安易なタダ乗り企画なのだ笑。今回の選曲は凄いと思った曲であると同時に、個人的にシーンへの影響力を感じられるなという点も加味してチョイスしている。

参考までに以前ネット上で行われた企画の奴も載せておく。これも面白い選曲なのでぜひ。

それではランキングに行きたいと思います。

30位 椎名林檎「丸の内サディスティック」

大名盤「無罪モラトリアム」に収録された、言わずと知れた椎名林檎の代表曲ですね。とまぁそんな感じなんですが、やはり10年代後半のネオシティポップムーブメントの影響でこの曲、正確に言えばオマージュ元となったGrover Washington Jr.の「Just The Two of Us」のコード進行を流用したなんちゃってオシャレな曲が乱発されるきっかけとなった罪深い一曲でもありますね。まぁとりあえずベンジーおいらのことをグレッチでボコボコにしてくれ。


29位 the pillows「ストレンジカメレオン」

ミスチルやスピッツと同じくラママ出身の90年代オルタナのレジェンドにして永遠のネクストブレイクことthe pillowsですが、彼らの楽曲から醸し出される捻くれ特有の悲哀と愚直さってその後のギターバンドに大きな影響を与えた思うんですよね。後にMr.Childrenがこの曲をカバーし、その後もBUMP OF CHICKENやELLEGARDENといった時代を作るバンドが彼らの楽曲をカバーしていることを考えると、例え売れなくても良い曲を残していくことの重要性が滲みますね。


28位 RIP SLYME「ONE」 

メインストリームで成功したヒップホップといえばキングギドラやブッダブランドのような硬派なスタイルというよりかは、小沢健二とスチャダラパーやKICK THE CAN CREWのようなトラックの強度の高さと程よいカジュアルさなわけで、RIP SLYMEというグループは後者の系統のいわば最高傑作。J-POPとヒップホップの折衷はバランス感覚が狂うとケツメイシのように完全に歌物系に寄る危険性があるものの、RIPの場合は4人の全く個性の違うラッパーのスキルの高さとトラックの尋常じゃない強度で全てが成立してしまう。日本語ラップの一つのモデルケース的なグループだ。


27位 cero「大停電の夜に」

言葉では説明できない楽曲の持つ魔法というものが音楽には間違いなくありまして、ceroのこのデビュー曲も楽曲の持つ魔法に引き寄せられた運命の力を感じる一曲だ。高いコンセプチュアル力と多彩な引き出しを武器に、15年の名盤「Obscure Ride」でネオシティポップムーブメントに火を付けたのをはじめ、作品をリリースするごとに常に自己最高を更新してきた10年代を代表するバンドだ。そんな進化を止めない彼らの1stアルバムに収録されたこの曲は特別なもので、この曲のリリースから2ヶ月して本当に日本中が停電するという現実へと変貌した。真っ暗な街の不可思議な光景、そして何気ない普通の暮らしへの慈愛を予見するかのように歌った運命に導かれた一曲。


26位 神聖かまってちゃん「ロックンロールは鳴り止まないっ」

ニコニコ動画から登場したインターネット発のパイオニア的なバンドで、当初は過激な言動と狂気に満ち溢れたようなパフォーマンスで注目を集めたが、楽曲はとてもストレートかつ美しいメロディラインが光るギャップも持ち合わせていた。そんな彼らの代表的にして10年代のロックシーンを定義したようなこの曲は、端正なピアノとノイズで汚れたサウンドの対比、そして思春期のうちに目覚めたロックに対する純粋な愛と初期衝動を生々しいまでに描いしまった。これはとんでもないことだ。


25位 H Jungle with T「WOW WAR TONIGHT 〜 時には起こせよムーヴメント」

日本の大衆音楽は元はテレビという文化を起源としている節があり、そのため昔から音楽とお笑いの相関性はめちゃくちゃデカい。ドリフターズだって最初はバンド活動がメインだったし、エノケンや植木等の延長線上に桑田佳祐がいるように。日本でヒップホップが流行らなかったのは、同時期に関西圏でダウンタウンが流行ったせいで他ジャンルで成功できるポテンシャルを持った人材がお笑いに流れたからという言説すらある。そんなことを考えた際、平成という時代の中でお笑い界のトップランナーを走ったとんねるずとダウンタウン、そしてウッチャンナンチャンはいずれも音楽分野で成功している。ここで興味深いのがとんねるずとウッチャンナンチャンはあくまでもテレビの音楽の延長線上だったのに対し、ダウンタウンはテイトウワや坂本龍一、そしてこの曲における小室哲哉といった時代のトップランカーを大胆に起用しその時代のカッコいいを体現しようとした点だ。当時のお笑いと音楽のトレンドの潮流だった二大巨頭による、大衆芸術としての一つの到達点だろう。


24位 岡村靖幸「あの子僕がロングシュート決めたらどんな顔するだろう」

90年にリリースされたアルバム「家庭教師」は、邦楽史に残る金字塔としててだけではなく、青春の甘酸っぱさ、そして岡村靖幸という人間の強靭な力すらも感じる不世出のアルバムだ。そんなアルバムの中盤に最高のボルテージをもたらすこの楽曲は、ムンムンとした岡村靖幸色で充満したアルバムの空気感を一瞬で晴らすような爽快感がある。岡村靖幸という稀代の表現者と最高の楽曲が掛け合わさった瞬間を真空パックしたような一曲。


23位 乃木坂46「君の名は希望」

平成という時代において最も評価が難しい存在が秋本康であることに異論は無いだろう。ここでは奴のもたらした功罪という点は敢えて触れないでおくが、当時AKB48を頂点として秋元康主導のもとそのAKBと相対する関係性として設定された乃木坂46の立ち位置は微妙なものだった。初期のフレンチポップの路線から一転し「制服のマネキン」で後の欅坂46にも通ずる反体制的な作風を提示し、次なる一手としてリリースされたのこの楽曲は複雑な構成と珍しく仕事をした秋元康の作詞が光る一曲となった。当時「恋するフォーチュンクッキー」で主人公へ成長する過程を歌った華やかに歌ったAKBに対し、影のような場所でひっそりと力強く存在の証明を歌った乃木坂、この関係性がどんどんひっくり返ってくることは後の時代が証明するわけで、これだからアイドルは面白いのである。


22位 星野源「アイデア」

シーンの求められる要求に対して100どころか破壊的な創造を提示してしまうポップスターにASKAという男がいたが、ASKAと星野源は実はダブるところがある。共に時代のトレンドに合わせ音楽性を変化させ、30代でブレイクという遅咲きのポップスターである。そして40代に向かうと同時にどんどん狂気性を孕みはじめた点も。まぁ余談は置いといて2022年時点でシーンで最も成功してて最も狂ってるポップスターの座を誇示してる星野源だが、ソロデビュー当初からかなり変態チックな狂気性は見せてたもののより楽曲構成とかの部分でもその狂気性が見えはじめたのがこの曲。考えてみてほしいが、この曲はあくまでも朝ドラの主題歌である。朝ドラの主題歌にサウンドが1番と2番でガラッと変わり、途中に完全にぶつ切りのアコースティックパートを入れる楽曲をなぜNHKに提示したんだってなるわけで。そう考えるとそれを受け入れたNHKも狂ってるが、とはいえこの曲は最高にオルタナだし狂ってる星野源が俺は好きだ。


21位 米津玄師「ゴーゴー幽霊船」

今じゃすっかり市民権を得たボーカロイドだが、こうして今も人気のコンテンツになり得たのはやはり米津玄師というアイコンの存在が大きい。今でこそタイアップ先から脅されてるのかだいぶ大味な曲しか書いてないが、「Bootleg」以前までのまだネットカルチャー色の強かった米津玄師は正統な音楽理論ではないボーカロイド文化から飛び出したセオリーをガン無視した自由な曲がウケていた印象がある。しかしながら米津玄師、並びに今のYOASOBIなどに続くボーカロイドがJ-POPシーンのスタンダードになり得た要因は、なにも「Lemon」のように万人受けする曲が書けるようになったことではないと思う。最大の要因は声を持たぬ者だった米津玄師が、自らの声で歌うようになったごとに尽きるだろう。万人に訴求する声になる道を歩みはじめた記念碑的作品。


20位 Dreams Come True「決戦は金曜日」

正直この曲を選ぶか「LOVE LOVE LOVE」のどっちを選ぶかで迷いました。「LOVE LOVE LOVE」もヒットするJ-POPのセオリーをだいぶぶっ壊した曲の構成と、吉田美和の表現者としての巧みさが光る楽曲ですしね。だがしかしこの曲の方が傑出しているなと思う点があって、一つは日本人はアースウィンド&ファイア的なディスコが根付いてるなということ、そしてこの手のファンク、R&Bを完全にJ-POPの一要素として取り込んだ最初の例だ。それこそ同年代の久保田利伸とか岡村靖幸なんかもブラックミュージックを志向していたけど、彼らがブラックミュージックありきだったのに対し、ドリカムはJ-POPにどのようにソウルなテイストを鳴らすかというアプローチをしたパイオニアだと思ってて、彼らの成功が後のaikoや星野源などのエッセンスとしてソウルのアプローチをするJ-POPが売れる土壌を作ったようにも思える。


19位 小沢健二「ある光」

渋谷系を代表するカリスマを語る際挙げられるのは「今夜はブギーバック」、「ラブリー」、「ぼくらが旅に出る理由」といった名盤「LIFE」からのセレクトになるが、でもこれらが小沢健二の最高到達点かと言われるとそうではないと思う。このシングルをリリースして程なくして長きに渡り表舞台から去ることになるが、8分16分にも渡るフルレングスなファンクサウンドと軽やかで流麗なメロディ、なにより日本屈指のリリシストでもある小沢健二の集大成とも言える歌詞。ポップミュージックの完成形であり、小沢健二が小沢健二である理由が詰まった名曲。


18位 くるり「東京」

はっぴいえんどが日本語に乗せ古き良き東京を風街と定義し歌った「風街ろまん」、そんな彼らの音楽を素晴らしさを近しいアプローチで切り取ったのがサニーデイサービスのアルバム「東京」、そしてそんな日本語ロックと東京の風景をヘヴィなオルタナサウンドでアップデートしたのがくるりの「東京」だ。現在も地元京都に根ざした活動するくるりだが、この曲で描いた東京は「風街ろまん」の風情やサニーデイサービスのような爛漫としたものとは違い、直接的では無いものの少し無機質で冷たさがある。そしてそんな冷たい風景をバックに遠い故郷にいる昔の君へのどうしようもない気持ちを、ありったけのエモーションでまみれたオルタナサウンドで奏でた一曲。


17位 m-flo「come again」

いつの時代においても一発で聴いて圧倒的なセンスを感じてしまう楽曲というものがたまにあるが、「come again」はいつ聴いても全く色褪せることない洗練された一曲だと思う。当時イギリスのクラブで流行していた2ステップを大胆に導入し、J-POPのセオリーをガッツリした楽曲構成ながらも大ヒットした一曲なわけだが、この2ステップが2022にトラップが流行した今のネオシティポップの文脈で聴くとあまりにも時代を先取りしているようで恐ろしい。00年代初頭に隆盛を極めてJ-R&Bの中でも傑出する一曲であり、同時にビートの力強さでヒットを掴み取ったJ-POP史の中でも稀有な曲だ。


16位 BUMP OF CHICKEN 「天体観測」

BUMP OF CHICKENが平成のロックバンド、特に00年代以降のいわゆるロキノン系と呼ばれるバンドに最も影響を与えたバンドの一つであることに異論はないだろう。まるで一つのストーリーのような詞は後のボーカロイドにも影響を与え、ライブ至上主義の強気な姿勢などのカリスマ性に目が行きがちだが、このバンドがここまで飛躍できた要因は藤原基央というボーカリストの存在が大きい。特に初期のバンプは演奏がそこまで上手くないバンドとして名を馳せたものの、ナイフのような鋭利な切れ味と全てを包み込むような優しさの二つの顔を持った声はまさに時代を制する声。「天体観測」という楽曲は初期の彼らの楽曲の中でもバンドアンサンブルが比較的屈強であることと、ボーカリスト藤原基央の特性が前面に現れた名刺代わりのような一曲である。


15位 Mr.Children「終わりなき旅」

Mr.Childrenというバンドは1億総中流の日本においていそうでいなかった、普通の人による普通の人のための普通のバンドである。そのことに自覚的だった桜井和寿は90年代中盤に自身のスキャンダルをきっかけに、まさに闇堕ちかの如く世間に中指を立てるようなオルタナサウンドを奏でるようになる。しかしながら同期のスピッツやフィッシュマンズ、イエモンやルナシーに海外にはレディオヘッドと並べた中でもミスチルは突出しているわけではない。そんな混迷の時期の最中に見出し始めた答えが、"普通の誰かのために歌う"という原点回帰にも近しい答えだった。「終わりなき旅」は多くの人を奮い立たせる歌であると同時に、ミスチルの運命すらも指し示してしまったとんでもない曲なのかもしれない。


14位 SMAP「Let It Be」

SMAPほど完成されたグループはいないし、平成を代表するカリスマであることは間違いない。そして彼らはアイドルであると同時に最高のR&B、ファンクグループであったという事実も忘れちゃいけない。シングルで言うと「$10」以降、「胸騒ぎを頼むよ」や「Peace!」などのヒップでスムースなナンバーを残してきたが、個人的にそんなSMAP流ファンクの最高傑作がこの曲。四つ打ちのビートが心地良い疾走感のある楽曲、五人のユニゾンが合わせる気などさして無さそうなのに独特の荒っぽさと妙なまとまりがあるのが面白い。あと余談だがSMAP×SMAPでメンバー自ら監督・撮影したMVがめちゃくちゃカッコいい。


13位 フジファブリック「若者のすべて」

とうとう教科書にまで載ってしまった曲だが、個人的には「陽炎」や「赤黄色の金木犀」といった俗に言う四季盤の中から彼らの曲は選びたいと考えていた。けれどもこの曲が彼らの代表曲として愛されるのは強烈な普遍性というものがあり、郷愁を誘うメロディに乗せて時の流れの儚さと夏の終わりの原風景を歌うことで、究極のノスタルジーを聴き手に呼び覚ましてしまったことが大きい。そんな誰もが持つあの夏の終わりの記憶に、"若者のすべて"というタイトルを冠してしまってはもう敵いっこない。


12位 L'arc~en~ciel「花葬」

こんなおぞましい楽曲がミリオンセラーを記録した時代があったことを忘れてはいけない。同時期に成功を収めていたGLAYなんかはポップだったし、LUNA SEAもソリッドなロックを志向していたが、そんな中でも死をテーマに様式美のようなメロディを持った重厚感溢れる楽曲をヒットさせていたことが凄い。まさに和製キュアーともいうべきか、軽やかなポップソングから重厚感溢れるバラード、はたまたインダストリアルまで展開できてそれをしっかりセールスに直結出来るラルクの凄さはもっと認識すべきだと思う。


11位 Flipper's Guitar「Groove Tube」

平成のバンド、そしてJ-POP全体に大きな影響を与えた渋谷系を代表するグループFlippe's Guitar。彼らの洋楽への憧れとその内省という姿勢は、ある意味明治以降欧米文化への憧れという地点から始まった日本の音楽たらしめるようなもので、アルバム「ヘッド博士の世界塔」はそんな彼らの洋楽への憧れとコンプレックスをサンプリングによって散りばめた華やかなコラージュのような作品となった。この楽曲はそんな作品の中でも一際喧騒的な楽曲で、危なっかしさ独特のエロスすら感じる歌詞とマッドチェスターサウンドが描く色鮮やかなサイケデリアは唯一無二である。


10位 Suchmos「Stay Tune」

ネオシティポップが盛り上がる契機を作り出したのはceroのアルバム「obscure ride」だが、シーンの流れすらも決定的に変えてしまったのはSuchmosの「Stay Tune」のヒットであることは間違いない。フェスブームなどで飽和しつつあったフェス特化型バンドとは全く違う無骨な姿勢、サブスクの普及によってより音楽を取り巻く環境がカジュアルになりつつあった中で現れた洗練されたアシッドジャズ。お洒落な新しい流行りの音楽と見せかけ、しっかりとブレない芯を感じる本物の音楽ということは後の彼らの作品からも見てとれるわけで、たった一曲でトレンドの潮流すらも変えてしまったのだからとんでもないパワーを持った楽曲だ。


9位 Perfume「ポリリズム」

Perfumeの「ポリリズム」のヒットは彼女たちの名前を全国区にしただけでなく、ゴリゴリのテクノポップでしかもアイドルによる挑戦的な姿勢の楽曲でもヒット出来る土壌が日本にもあることを示した楽曲だ。オートチューンで加工された非人間的なボーカルと、バシバシと効いたゴツいベースとポリループによる複雑なサウンドワーク、当時Passion PitやPhoenixなどのシンセポップとも呼応できるサウンドを提示した中田ヤスタカによる手腕。後にきゃりーぱみゅぱみゅのようなハイパーポップ、シンセポップのサカナクション、SEKAI NO OWARIやLDH系グループのEDMなどが日本でも当たり前のようにヒットするが、日本でもシンセと重低音の効いたクラブサウンドが受け入れられる下地を作ったきっかけは、繰り返すこのポリリズムの衝動によるところが大きい。


8位 Dragon Ash 「Greateful Days」

先述のRIP SLYMEのところでも述べたが、日本で売れるヒップホップはセルアウトっぽい歌物か文化系に寄る印象が強いが、その点Dragon Ashの成功というのは国産ヒップホップの特異点の一つだ。当時はまだまだアンダーグラウンドっぽい色合いが強かったキングギドラやブッダブランド、ライムスターなどの本格派のヒップホップだが、Dragon Ashはそんなアングラの空気感をメジャーのフィールドにも持ち込んで飛躍を果たした。そしてこの「Greatful Days」ではキングギドラのZEEBRAをゲストに、日本語ヒップホップ史上もっとも有名なあのリリックが生まれている。後にZEEBRAとDragon Ashとの間に大きな溝が生まれこの曲が陽の目を浴びる機会は減るが、国産ヒップホップの跳躍を象徴するような曲として記憶すべき曲だと思う。


7位 NUMBER GIRL「透明少女」

00年代以降のロックリスナーは皆ナンバーガールになりたいと思う瞬間がある。そう断言していいぐらい向井秀徳を中心としたこのバンドのカリスマ性は高く、わずか3年間の活動期間でその唯一無二のオリジナリティを武器に今なお聴き手を圧倒する国産オルタナティブロックの最高峰だ。この楽曲はそんな彼らの代表曲で、向井秀徳の小さすぎるボーカルなどの一筋縄ではいかないわかりにくさみたいなものはある。それでも2本の金属質なギターを中心としたバンドアンサンブルは焦燥感と初期衝動にまみれ、思わず自転車で街を全速力で駆け抜けたくなるような疾走感を感じさせる。気付いたらなんとなく夏だったし、嘘っぽく笑うあの子の名前は透明少女だし、ロックとは衝動音楽であることを示した一曲。


6位 宇多田ヒカル「Automatic」

宇多田ヒカルの登場はJ-POPの一つの分岐点とも言えるだろう。それまでのJ-POPのヒット曲たちと比べて圧倒的に少なく確実に鳴らしてほしいツボを抑えた音数、まったりとしながらも腰を揺らしたくなるようなグルーヴ、そしてスムースで独特の時間軸の中で揺らめくボーカル。ここに15歳で作詞作曲をこなし、藤圭子の娘というわかりやすい売り文句までつくという抜群のタレント性。だがもっと凄いのは2022年現在もシーンのトップランナーどころか、さらなる高みに到達してしまったというところで、まだこの曲の時点で底なしに才能のスタート地点に過ぎながったことに途方もない絶望に陥ってしまうのだ。


5位 My Little Lover「Hello, Again 〜昔からある場所」

いわゆるJ-POPっぽい音や曲調というのを定義したのは小林武史であり、その小林武史が手掛けた邦楽のスタンダードこそMr.Childrenである。しかし小林武史が手掛けた作品でもっとも普遍性を持った作品はMy Little Loverのこの曲である。派手な装飾などない控えめなバンドサウンドと哀愁あるどこか切ないメロディ、そして少年のような幼さのあるakkoの声が乗っかることで紡がれる究極のノスタルジーは聴き手をいつかのあの懐かしい風景へと誘う。この曲を収録した「evergreen」はJ-POPを代表する名盤であり、いつの時代も愛されるべき一曲としてこれからどんどん地位を確立していくだろう。


4位 くるり「ばらの花」

日本語フォークロックとオルタナの折衷を試みたくるりが、エレクトロニカの要素を導入し新たなフェーズへと突入した名盤「TEAM ROCK」。このアルバムに収録された楽曲はオルタナとエレクトロニカのキレのあるサウンドで魅了すると同時に、ロックバンドの創作における無限の可能性をしめした傑作でもある。「ばらの花」という楽曲はアレンジこそ抑えめだが、逆にそういったアプローチが静謐さという性質を生み出し、必要最低限でも美しい音楽に乗っかる岸田繁が紡ぐ歌詞は日本語の語感の美しさを我々に気付かせてくれる。まるで純文学のように日常の些細な機微に心を突き動かされるような瞬間を体現した楽曲だ。


3位 フィッシュマンズ「LONG SEASON」

現在世界で最も評価されている日本の音楽を外すわけにはいかないだろう。96年に世田谷にプライベートスタジオを持ち始めてから制作された世田谷三部作と呼ばれる3枚のアルバムは、平成という30年間の営みの中でフィッシュマンズというバンドが最も創作に溢れ狂気を孕んでいたバンドであることが窺える傑作群だ。「空中キャンプ」に収録された「ナイトクルージング」によって身体性の欠落による幻想性を見出してしまった彼らは、97年発表の「宇宙日本世田谷」によって身体性を完全に失くし虚無の音楽を鳴らすことになるが、この「LONG SEASON」はそんな身体性の欠落と確保の間に揺らめく幻想のサイケデリアだ。そんな行ったり来たりの音の揺らめきの中で、我々の記憶に存在しないはずの古の夏の記憶を想起させてしまう。この35分間はただの35分間では無い。


2位 CHAGE and ASKA「WALK」

J-POPというある種メディアミックス的な成分の強い音楽ジャンルを作った象徴的なグループこそチャゲアスであり、職業作曲家の傾向の強かった彼らがヒット狙いから自由な創作へと楽曲制作のスタイルを転換した一曲でもある。アンビエントなAメロを聴けばわかるがポップソングとしてはかなり破綻している部分もあるのに、ダイナミックな歌唱という力業にも近い圧倒的な個人のスキルで楽曲を成立させてしまっている点も恐ろしく、一見すると小難しい比喩表現に溢れた歌詞がサビを迎えるとストレートで分かりやすいものに変わるという巧みな技。音像こそポップではあるものの節々で感じられるオルタナティブな一面が聴き手をハッとさせると同時に、ASKAという稀代の天才の持つ普遍性とそこはかとなく漂う狂気に感嘆する。サブスクの発展で昔のアーティストにも気軽にアクセスできる時代になったが、J-POPの起点にチャゲアスがいたということを絶対に忘れてはいけない。


1位 スピッツ「ロビンソン」

説明不要の名曲だから特にいうことが無い。

ただいい曲だからという理由だけでこの曲が売れた日本は立派な音楽大国です。


いかがだったろうか?

まぁただのそこらへん音楽オタクの選曲なので影響力もクソも無いけれど、エンタメとしては楽しめたんじゃないかな。そんなわけで今日はここらへんで。

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