β-300 ぷらすてぃっく•らぶ

2月の終わり、そしてnote300回記念でお送りするのは楽曲を軸にさまざま書いていくシリーズの第15回をお届けします。

今回着目する楽曲は、竹内まりやさんの「プラスティック・ラブ」でございます、1984年の楽曲でありながら、時代を超えて色褪せず、むしろまだまだ勢いが凄まじいことになってしまっている一曲であります。

市井の認識からしてみると、やっぱり歌詞の内容よりもその旋律の内容なんでしょうけれどね、かくいう自分もそのうちのひとりになってしまっている感は否めない。

でも、この楽曲は私が竹内まりやさん、そして山下達郎さんの楽曲を深く聴き込み始めたきっかけとなっている一曲でもありまして、個人的にもただならぬ思い出があります。

けど、どこから説明しよう、そんなときはまず時系列を追ってみると致しましょう。

ちなみにオリジナルはこちらより。

1984年当時

まず、「プラスティック・ラブ」はもともとアルバム「VARIETY」に収録されている一曲でありました。

1980年代初頭は、まりやさんにとってご自身がやってみたい方向性とオファーとの乖離、そして過密スケジュールで体調を崩してしまい、自身のやりたい音楽とはなんなのかなど諸々整理するために一時休業をしていた時期で、この時にさまざま相談に親身になって応じてくれていた達郎さんと結婚したり、ムーンレーベルに移籍したりとそれまでのアイドル路線から一転して、新しい形での音楽活動の準備を行っていた時期でもありました。

まりやさんはこの休業期間、他のアイドルの方に楽曲提供するなど、ソングライターとしての一面を顕し、自身も1984年にシングル「もう一度」とアルバム「VARIETY」を本人曰く"あくまで記念"という名目でリリースしました。

アイドル路線を軸にしていた(せざるを得なかったのかもしれない)時期は、シンガーとして活動してきたまりやさんですが、この1984年からはご自身で作詞・作曲した楽曲を軸に(一部例外もありますが)、活動を進めていくという形に切り替わるなど、この1980年代初頭は転換期であったと言えます。

休業期間に書き下ろした楽曲のクオリティはあの達郎さんをも驚愕させるほどのもので、以後達郎さんはアレンジャーやコーラス、コンピュータプログラミング等の面からプロデューサーとしてサポートしていくようになり、これが基本線となっております、ストリングスで服部克久さんであったり、センチメンタル・シティ・ロマンスの皆さんが編曲していらっしゃるケースもあるんですけれどね。

本題に戻しますが、「プラスティック・ラブ」はアルバム「VARIETY」のトラック2に配置されております、都会に暮らす若い女性がどのように恋愛していくのか、その一例を表現した楽曲と言えましょう。

歌詞解釈(個人的な)

都会に暮らす若い女性を対象とした一曲でありますが、愛に傷つけられた過去を持っており、それから昼夜逆転の生活を送り始めてしまっており、夜は毎度のこと過去の恋愛やその他の鬱憤を気晴らしにディスコで踊り狂っていくうちに、いろんなこと(魔術)を覚えてしまってしまう・・・。

1980年代前半のディスコというと、六本木スクエアビルにて、サーファーブームに便乗して、サーファーディスコというものが執り行われ、女子高生や女子大生、若いOLさんを中心に熱狂的になっていたそうなのですが、その頃私はその場にいなかったこともあり、真偽のほどは定かではない。

しかしこの六本木スクエアビル、地上10階、地下2階のうち10フロアをディスコフロアで占拠しており、フロアごとに異なった形態(方向性はサーファーディスコでほぼ統一してたみたいですが)というのもあって、毎日踊り狂っても変化が楽しくて飽きなかっただろうなあとは・・・。

そんなブームも時代と共に、というより大衆化が進んでしまうと、飽きられてしまうのだなとか勝手に感想を思い浮かべていましたね。。

そんな過去の恋愛に何かしらのトラウマを持っている女性が、今後そうした恋で傷つくことがないようにという自衛から、恋なんてただのゲーム、変なサプライズ(例えば突然のキスや熱いまなざし)で、プログラムを狂わせないようにと、相手に忠告(直接的か間接的かは不明)し、基本はラブゲームなんて楽しめさえすりゃそれでいいの、出逢いも別れもすべて仕組んで、時間がくればおさらばするよ、ごめんねというスタンスで"プラスティック"な"ラブ"を始めていこうと決めてはみました、というところでしょうか。

人為的に仕組まれた愛、それが「プラスティック・ラブ」ということなんでしょうかね、軽率に軽妙に、氷のように冷たい女だと言われようとも、傷つかないために、仕組んで、使い捨てて、退屈を紛らわせていくー

しかし、どういうことなんでしょう、ディスコで私を誘うひとは、元カレに似ている性格を持っているひとたちばかり、なんなんだよ、思い出してしまうじゃない。

そんな出逢いや別れがあって、たまには持ち帰られて、どこか遠くへ連れてかれて、踊り狂って酔いしれて、でも肝心のこころは閉ざされたままで、ディスコと自分のおうちとで、趣も異なれば、狭間に揺れて悩んで、でもそれもディスコで踊ってしまえば忘れられるし、ビートに乗って、お酒で深く酔うことで、壊れた自制心を持ち直してという生活を繰り返していくことをいつしか楽しんでいる自分・・・というような女性の様子を表現した一曲なのかなと。

まりやさん自身のフィクションではあるのでしょう、当然ながら。

ただ当時の六本木界隈のいろんな事情を少なからずキャッチしているとは思うので、それを基に、いや基というかひとつの線として書いたのかなという想像してはいる。

時間帯は夜、それも深夜に聴くのがいいのかもしれません、もっともこの記事は夕方に記したんですけれどね。

作詞・作曲はまりやさん、編曲・ギターは達郎さん、ピアノは中西康晴さん(ライヴ・ヴァージョンは難波弘之さんと重美徹さん)、ドラムは青山純さん、ベースは伊藤広規さんと、私からしてみれば、信頼かつ安定の布陣です。

1985年から2010年くらいまで

その後、1985年に12インチCDでシングルカットされたり、ライヴアルバム「souvenir」に収録されたりするなど、カップリングであったり、ベストアルバムだったりといったところに名を連ねるほどの人気は少なからずあるようで、自身がまりやさん楽曲を深く聴き込み始めたのもちょうどこの時期にあたります。

私のプラスティック・ラブと初めて出会ったのは、2001年で今からちょうど20年前に差し掛かります。

その頃のまりやさんは、2001年1月期のTBS系日曜劇場「白い影」の主題歌として「真夜中のナイチンゲール」をシングルリリースしていた時でございまして、「プラスティック・ラブ」もそのカップリングで同時に収録されておりました。

ここでの「プラスティック・ラブ」は、2000年11月発売のライヴアルバム「souvenir」に収録されたものの再録。

よって、私はライヴ・ヴァージョンから「プラスティック・ラブ」を聴いたのですが、その旋律とやらにこころを揺らされ驚かされて、"こんなグルーヴがあるんだ、ときめきがどよめいてる・・・!"という状態になってしまって気が付いたら、2001年においてよく聴いてた一曲となってしまいました。

もし、最初にパッケージに収まっていた「プラスティック・ラブ」であるならば、ここまでの思い入れはなく、まりやさんの楽曲にのめり込むようにはそこまでならなかったと考えると、このライヴ・テイクの「プラスティック・ラブ」は当時の私のこころと耳と気持ちとを完全に掌握されてしまう悪魔のような楽曲と化してしまったのです・・・!

そして、その後達郎さんのカヴァーしたライヴ・テイクもライヴアルバム「JOY」で(ツアーでも聴いたような聴いてないような・・・)聴いて、このヴァージョンも好みだなと思いつつ、この楽曲を通して、生で聴きにいって盛り上がろうという想いが膨らんでいきました。

というよりも、まりやさんの「souvenir」で演奏されたものは、達郎さんのテイクを参照にしていた模様で・・・、さすがはアルチザンだなっという想いでいっぱいになってました、そのことを知ったときは。

ちなみに「souvenir」のライヴアルバム収録分で好きなところは、冒頭のまりやさんの「行ってみようか」と、達郎さんの最後のロングトーン、そして土岐英史さんのサックス演奏ですね、たぶんこの要素が一挙に6分弱で押し寄せていたからこそ、一種の中毒になってしまったのだろうねといまとなってみては。

2010年以降

その後、2014年に「VARIETY」の30th記念のリマスタリングCD再リリースなどもありましたが、ファンからは人気の高い一曲に位置付けられてはいましたが、一般の層にとっても音楽界隈にとってもとくに大きな影響は見られなかったのですが、どうも2010年代後半になって潮目が変わっていくー

どうもヴェイパーウェイヴ(1980-90年代の音楽のメロディを中心に加工したりヒップホップ調にしたりしていくような波ということかな?)が2010年代初頭に海外で話題となったことも起因しており、その当時の日本独特の歌詞や旋律を海外の方にとっては、とっても興味を持った方がしっかりといたそうで、その層のなかでも「プラスティック・ラブ」は人気を博していたそうで、なんかもうよくわからない。

でも、所謂J-POPは独特の文化であるがゆえに、世界的に迎合されにくい傾向があるという固定概念を持っていただけに海外対応のできる楽曲がこの「プラスティック・ラブ」を始め、少なくとも百数十曲ほどあるということに気が付くようにはなっている、基準はそれなりにあるのかもしれないけれど、感覚の基準というのはどうにもこうにも読みづらい。

まあ、ひとつ言えるのは海外の方が日本語を正確に読み込んで魅了されるというケースはネイティヴでもない限り厳しいと思いますんで、やっぱり旋律の美しさ、スタイリッシュさに魅了されたのかもしれませんね。

またYouTubeでも非公式ながら再生回数8桁にも及ぶ再生数とそれが国内だけでなく海外からのアクセスやコメントが多く見られたこともあり、「プラスティック・ラブ」を軸としてさまざまなコンテンツが作られるようになったそうです、なんだかこんな説明でよろしいんでしょうか・・・?

そこでワーナーさんも(このワーナーさんの下にまりやさんが所属するムーンレーベルがあります)こうした人気を背景に改めてこうした動画を2019年5月、ちょうど令和に入る段階で投稿したそうで、Short verということで1番だけですね。

35周年となるタイミングと人気とで制作されたものみたいですが、さすがに35年経つとディスコというものはあるにはあれど、マイナーな部類に入っています、しかし夜は相変わらず平等に与えられ、都会で暮らす若い女性のなかで過去に傷ついた恋愛を経験している方も少なからずいらっしゃって、不規則な生活と退屈を紛らわすために、いろんな場所に奔走している層は時代を超えてもいらっしゃるそうなので(いまの時期、奔走はだめだけど)、また異なった解釈が出てきそうです。

また、この再燃に伴い、カヴァーしたミュージシャンも何組かいらっしゃいまして、なかでもFriday Night Plansのカヴァーはおしゃれな感じでとっても素敵です、しっとりとした感じは静かな夜にも激しめから醒め始めた夜にも最適です。

tofubeatsのほうも、tofubeatsを代表する感じで仕上げているので、ごくたまに聴きます。

このことは2018年年末あたりの夫婦放談(TOKYO FM/山下達郎のサンデー・ソングブック)でも取り上げたことがあった気がするんですよね、あの頃が恐らく一連のなかでも勢いがあったのかもしれないな・・・と。

最近もないわけではないけれどね、ただあの頃はもうちょっとあったような。

ともあれ、時代を超えてさまざまな方に聴かれるというのは、誰もが予想しなかったことでしょう、そんな代表曲がこの「プラスティック・ラブ」なのでしょう、と締めてお後にしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

あした・の・β<ベータ>

ここまで読んでいただいてありがとうございます(人''▽`) 間髪入れずに言ってみますか・・・ よろしければ!でもまさかね・・・