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自分なりのカレンダーをつくる

年末年始を宮城県の石巻市で過ごした。牡鹿半島にある小さな集落に滞在し、いのちたっぷりの海の幸を頬張る。部屋の窓からはいくつかの実をつけた柿の木が遠くにみえた。「干し柿にしたら美味しく食べられたかな」なんてどうでもいいことを考えながら、日が暮れていく。

朝起きてからのんびりとその日のスケジュールを決めてみる。小さな船で海に出て釣りをしたり、張り詰めた風が心地よい浜辺を散歩をしたり、お日様が降り注ぐ部屋で昼寝をしたり。集落に住人はほとんどいないから、歩いていても人に会うことはなかった。滞在した家にはテレビがなかったので、自分の目の前で起きている情報だけを吸収して24時間が終わっていく。こんな風に時間を送っていると、年末年始という実感を得ることなく1日が終わるのが不思議だ。

12月31日は深夜までお酒を飲みながら他愛ない話で盛り上がった。眠くなって床につき、朝目覚めると、スマートフォンのカレンダーが1月1日を示している。気分は8月31日が終わって9月になった時のよう。頭の中には「新しい月がきたな〜」くらいの、ほどよい気負いがあった。淹れたての緑茶を飲みながらゆっくりと本を読み、朝食を食べる。夕方に風が落ち着いたので海に出てみると、前日に入れておいた仕掛けの網にアナゴがみっちりと入っていた。カニやヤドカリ、名前を知らない小さな粋の良い魚も一緒だ。

晩御飯のテーブルには蒸し牡蠣と貝のお吸い物、そして獲れたての焼きアナゴと煮アナゴが並ぶ。炊きたてのご飯との相性は抜群だった。こんな風に年末年始は、初売りセールに行かずに海に行くような、誰のものでもない、目の前の自分の時間を楽しんでいる心地よさがあった。


これは普段仕事をしている時によく思うのだが、世の中はとてもたくさんのイベントがぎゅうぎゅう詰めになっている。

上場企業でいうと4半期に1度の決算。節目ごとに行われる社長や経営幹部からの訓示に新卒の採用、新商品やサービスのお披露目会もある。日々の生活ではゴールデンウィークにお盆休み、ハロウィンにクリスマスにお正月。商業施設は1つのイベントが終わるとすぐに次のイベントの準備を始め、終わったかと思うとまた次の準備に取り掛かり、消費者の欲を刺激して、たくさんの人やものを巻き込みながら消費を促す。そうなると「このイベントはこんな風に過ごしますよ」というテンプレートが出来上がってくる。

イベント自体が悪いとは決して思わない。クリスマスに彩られる街並みは綺麗だし、デパートで真剣にプレゼントを選んでいる人をみるとあたたかい気持ちにもなる。でも毎年決められたイベントだからといって、無理して盛り上がらなくてもいい。反対に、みんなが知らない日だとしても、自分なりの記念日を静かにお祝いするのも素敵だと思う。

私はいつからかテレビのバラエティー番組をあまりみないようになったのだが、それは再現VTRなどで「えー!」「わはは」というような効果音や「ここでこう反応すべき」という仕掛けがなんとなく苦手だからだ。

私は笑いたいときに笑うし、感動したいときに感動するし、泣きたいときに泣くし、一緒にいて楽しいと思った人たちと過ごしたい。ワクワクの感度とか沸点のようなものは、1人1人微妙に違っていていいと思う。それと同じで、カレンダーに刻まれた日々をどう過ごすかは、想像以上にそれぞれが自由に決められるのだ。

1日の過ごし方、1週間の過ごし方、1シーズンの過ごし方、1年の過ごし方、人生の過ごし方。年末などに1年を振り返ってみると、どうしても就職や転職、入学などといった大きなイベントを思い出すことも多い。でも深夜のライン電話でとりとめもない話をした時の楽しさや、帰り道に満月をみつけた時の嬉しさ、初めていったパン屋でパンを買った時のワクワク感など、一瞬一瞬に添えられた何気ない彩りこそが、毎日を、1週間を、そして人生を豊かにしてくれる気がする。

お正月からショートケーキを食べたっていいし、クリスマスにうなぎを食べたっていい。カレンダーで決められたイベントを祝わなくてもいいし「今日頑張ったな」という日にちょっとしたプレゼントを買ってもいい。世の中の方程式をちょっと抜け出して、自分なりの時間を過ごしてみる。自分の心で決めた時間というのは、思ったよりものびのびとしていて、気楽で、何よりちょっぴり力強いということを、忘れないでいたい。



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