(短編小説)Webの糸
Webの糸
【1】
ある日の事でございます。
世界ネットワーク管理者は世界中の家庭や個人につながっているディスプレイを何気なく見ていらっしゃいました。
ディスプレイには検索サイトがあり、個人のブログがあり、女性の裸体もある。情報をだまし取ろうとする悪人のサイトもあります。 さらには、ネットワークを通じて悪人を集めていたりしている超悪人もいたりするのです。
けれども、世界ネットワーク管理者は極楽にいらっしゃる お釈迦様のように世界中の人のやっていることをお見通しなのです。
管理者は、朝の早くから大画面のモニターで女性の裸をニヤニヤとして眺めていましたが、お仕事のひとつである地獄サイトを閲覧されました。ネットワークで犯罪を犯したものが収容されてる地獄サイトという仮想空間でございます。
地獄サイトに送られ収容されている悪人たちは、ネットワークが一切使用できず現実空間とも一切の情報をえられないという重い刑をうけておりました。
世界ネットワーク管理者からは地獄サイトの一人ひとりがはっきりと見えるのでございます。 すると、そのサイトの底に、カンダタという男が一人、ほかの罪人といっしょにうごめいている姿が、お眼に止まりました。
このカンダタという男は、銀行の口座番号を盗んだり、善良な市民のブログを閉鎖させたり、いろいろ悪事を働いた大悪人でございますが、 それでもたった一つ、よい事をいたした覚えがございます。
と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さなクモが一匹、路ばたをはって行くのが見えました。
そこでカンダタは早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、 「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない、その命をむやみにとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ」 と、こう急に思い返して、とうとうそのクモを殺さずに助けてやったからでございます。
管理者は地獄サイトの様子をご覧になりながら、このカンダタにはクモを助けた事があるのをお思い出しになりました。
そうしてそれだけのよい事をしたのですから出来るなら、この男を地獄サイトから救い出してやろうとお考えになりました。
幸い、ネットワークの利用状態見ますと、まだまだ回線がありあまっておりました。
管理者はそのWebの糸をそっとお手にお取りになって、その回線を地獄サイトにおつなぎになりました。
【2】
こちらは地獄サイト仮想空間の血の池で、ほかの罪人といっしょに、浮いたり沈んだりしていたカンダタでございます。
何しろどちらを見ても、まっ暗で、たまにそのくら闇からぼんやり浮き上っているものがあると思いますと、 それは恐しい針の山の針が光るのでございますから、その心細さと云ったらございません。 その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものと云っては、ただ罪人がつくため息ばかりでございます。
ここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまな地獄サイトの責苦に疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。
ですからさすが大悪人のカンダタも、やはり血の池の血にむせびながら、まるで死にかかったカエルのように、ただもがいてばかりおりました。
ところがある時の事でございます。
なにげなくカンダタが頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色のネットワークビームが、 まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。
カンダタはこれを見ると、思わず手をうって喜びました。
このWebの糸にすがりついて、ネット回線を手に入れれば、きっと地獄サイトからぬけ出せるのに相違ございません。
いや、うまく行くと、世界ネットワーク管理室へ入る事さえも出来ましょう。
そうすれば、もう針の山へ追い上げられる事もなくなれば、血の池に沈められる事もありません。
こう思いましたからカンダタは、早速そのWebの糸を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に回線信号を解析し始めました。
元よりネットワーク犯罪者の事でございますから、こう云う事には昔から、慣れ切っているのでございます。
しかし手元にノートパソコンがあるわけでもないですから、いくらあせって見た所で、容易に解読はできません。
そこでカンダタはWebの糸をのぼっていくことにしたのです。この先には世界ネットワーク管理室があるのに違いないと思いいったのでございましょう。
ややしばらくのぼるうちに、とうとうカンダタもくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。
そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下りながら、遥かに目の下をながめました。
すると、一生懸命にのぼった甲斐があって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう暗の底にいつの間にかくれております。 それからあのぼんやり光っている恐しい針の山も、足の下になってしまいました。
この分でのぼって行けば、地獄サイトからぬけ出すのも、あんがいわけがないかもしれません。 カンダタは両手をWebの糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、「しめた しめた」と笑いました。
ところがふと気がつきますと、Webの糸の下の方には、数かぎりもない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるでアリの行列のように、 やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。
カンダタはこれを見ると、驚いたのと恐ろしいのとで、しばらくはただ、バカのように大きな口を開いたまま、眼ばかり動かしておりました。
自分一人でさえ切れそうな、この細いWebの糸が、どうしてあれだけの人数の重みにたえる事が出来ましょう。
もし万一途中で切れたとしましたら、折角ここへまでのぼって来た自分までも、元の地獄サイトへ逆落しに落ちてしまわなければなりません。 そんな事があったら、大変でございます。
が、そういううちにも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよと這い上って、細く光っているWebの糸を、 一列になりながら、せっせとのぼって参ります。
今のうちにどうかしなければ、糸はまん中から二つに切れて、落ちてしまうのに違いありません。
そこでカンダタは大きな声を出して、 「こら、罪人ども、このWebの糸はオレのものだぞ、お前たちは一体誰にきいて、のぼって来た、下りろ、下りろ」 とわめきました。
その途端でございます。
今まで何ともなかったWebの糸が、急にカンダタのぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて切れました。 ですからカンダタもたまりません。
あっという間もなく風を切って、コマのようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに仮想空間へと落ちてしまいました。
後にはただWebの糸・・・ネットワークビームが、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。
【3】
管理者は世界ネットワーク管理室のディスプレイをのぞき、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、 やがてカンダタが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうなお顔をなさりながら、また女性の裸をながめ始めました。
自分ばかり地獄サイトからぬけ出そうとするカンダタの無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の仮想空間地獄へ落ちてしまったのが、管理者から見ると、 浅間しく思えたのでございましょう。
しかし世界ネットワーク管理室のコンピュータは、少しもそんな事には頓着いたしません。
あいかわらず、その銀色に光る筐体はLEDをチカチカ点滅させております。
世界ネットワーク管理室も もう昼近くなったのでございましょう。
管理者はネットで牛丼をご注文になられました
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