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Withコロナ時代のアジアビジネス入門㊽「ウクライナ侵攻とサハリンの少女」@思想からの視点

キエフがルーツのサハリンの少女
 ロシアがソビエト社会主義共和国連邦(1922年~1991年)の頃、初めての海外旅行で極東のハバロフスクからモスクワに向かうシベリア鉄道の車中、サハリン出身の少女に出会った。外の景色は延々とシベリアの雪原が続く酷寒の2月。彼女と同じコンパートメントだったので話を聞くと、これから専門学校に入学するため、ロシア中部の工業都市・ノボシビルスクに向かうという。そして、彼女のお父さんは医者でウクライナのキエフからサハリンに移り住んだと訥々(とつとつ)と語っていた。ソ連の作家、アレクサンドル・ソルジェニーツィンの「収容所群島」を読んだ記憶が蘇って、彼女のお父さんはおそらく政治粛正されて肥沃なウクライナから流刑地シベリアの果てのサハリンに流されたのではないか、と勝手に夢想してしまった。北海道のすぐ北のサハリン(旧樺太)と欧州に程近いキエフの位置を頭の中の地図で描いて、その距離の遠さにため息が出たのを思い出す。
プーチン演説「ソ連体制の幻想の国」
 こうした記憶を思い出したのは、ロシアのプーチン大統領が2月22日のテレビ演説で、「ウクライナは単なる隣国ではなく、我々自身の歴史、文化、精神的空間の切り離しがたい一部なのである。現代のウクライナは共産主義のロシアによってつくられた。レーニンや同志たちがロシアの歴史的領土を切り離すという方法でつくったのだ」と語ったからだ。プーチン氏は構成国の分離・独立を認めていたソ連の体制は<破壊的なファンタジー(幻想)>だったと説き、ウクライナの独立の正当性に疑義を投げかける。ウクライナ東部のルガンスク、ドネツク両州の親露派支配地域を独立承認し、確信犯として“ロシア帝国”の拡張を目指しているようだ。
ファシズム礼賛の国家主義思想
 確信犯、プーチン氏の思想的な背景は何だろうか。
 1917年のロシア革命(ボリシェビキ革命)を批判した国家主義者で思想家のイワン・イリイン氏の影響が大きいといわれる。もちろん、プーチン氏自身の国家統制主義と反米(反西洋)を正当化する思想である。ロシア革命がきっかけで誕生したソ連のイデオロギーよりも、ロシア人の民族主義、宗教を最優先するものだ。イワン・イリイン氏が唱える「永遠の政治」は神の定める一元的な秩序であると定め、ファシズムを礼賛した。国際協調主義とは明らかに一線を画する思想であり、もはやプーチン氏が経済などの条件闘争で立場を変えることは難しいと思える。
<レトロな店>ソ連風レストラン
 マレーシア航空機がウクライナ東部上空で飛行中に撃墜された直後の2014年9月、毎日新聞社とロシア新聞社が共催した日露フォーラムのためモスクワを訪れた。ロシア新聞社に<レトロな店>と招待されたモスクワ中心部のレストランはソ連時代を模した“狭く小分けされた天井の低い部屋”に当時の古めかしい電話や電化製品が置かれ、店員は緑のアディダスのジャージ姿だった。若いロシア人記者にソ連時代にモスクワに来たことがあると話したら、「オー、СССР(ソ連)」と年代物の置物を見るような目で誇張気味に驚かれた。
 共産主義を標榜したソ連が崩壊して30年が経つ。東西冷戦の終結を受け、民主主義と自由経済が最終勝者とした米国の政治学者、フランシス・フクヤマの著書「歴史の終わり」が注目を浴びた。
ロシア国家主義の怪物が徘徊
 しかし、今のロシアを取り巻く状況はカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが著した「共産党宣言」の表現を借りて言うなら次のようになる。
<一個の怪物がヨーロッパを徘徊している。すなはちプーチンのロシア国家主義という怪物である>。

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