シリーズ:米国のミャンマー人脈:① 不透明な対ミャンマー政策

ミャンマー西部ラカイン州の少数派イスラム教徒「ロヒンギャ」の武装集団に対するミャンマー治安部隊の掃討作戦開始から2018年8月25日で1年になる。この掃討を機に大量のロヒンギャ難民が隣国バングラデシュに逃れ、その数は70万人に達する。以前からの難民も約30万人おり、合わせるとロヒンギャ全体にあたる100万人近くに上る。ロヒンギャ難民が世界の問題となる中、ミャンマーとの関係正常化を推進した米国はどう対応してきたのか。オバマ前政権からトランプ政権への変遷を通して、キーパーソンの目からシリーズで検証する。(原稿は2018年7月の執筆時点のものです)

◆一枚岩ではなかったオバマ政権のミャンマー政策◆

米国は、ミャンマーの民主活動家を軍事政権が弾圧しているとして、レーガン政権時代の1988年からミャンマーへの経済制裁を開始した。クリントン政権時代にはミャンマーへの投資禁止令、ブッシュ政権時代にはミャンマーからの輸入禁止令を敷くなど制裁を強化してきた歴史がある。それを転換させたのが、オバマ政権だった。2011年にテインセイン政権が発足したのを機に関係改善に動き出し、15年の総選挙でアウンサンスーチー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が勝利し、民主化が進んだことから、16年10月に完全な制裁解除に踏み切った。

ミャンマーとの関係改善は、「敵との対話」を政策スローガンとしたオバマ政権にとって、その後に続くイラン核合意やキューバとの国交回復と並ぶ外交的成果とされた。オバマ政権のミャンマー政策は、欧州や中東に偏重していた米国の外交政策を軌道修正し、アジアに軸足を置く「リバランス」(再均衡)政策をベースに精力的に取り組んだ外交の一つだ。リバランス政策の立案者の一人で、ヒラリー・クリントン国務長官の下で東アジア・太平洋担当の国務次官補を務めたカート・キャンベル氏が自著「THE PIVOT アメリカのアジア・シフト」の中で、クリントン外交の成果の筆頭にミャンマーとの国交正常化を挙げている。

しかし、オバマ政権がきちんと隊列を組んでミャンマーとの関係正常化を推し進めてきたわけではない。国務省内には、軍事政権の権力が根を張る中で急速に進む経済制裁解除の動きを警戒する動きもあった。時計を、約2年前に戻してみたい。国家顧問兼外相となっていたアウンサンスーチー氏が米国を訪問し、オバマ大統領と会談した2016年9月のことだ。約1か月後にはオバマ政権が対ミャンマーの経済制裁を完全に解除する方針を内々に固めていた。だが、スーチー氏を歓迎するワシントン・ジョージタウンのフォーシーズンズホテルでのレセプションではこんな風景があった。

スーチー氏が近寄って話しかけたのは、米国務省で民主化・人権・労働を担当するトム・マリノウスキー国務次官補だ。関係正常化の交渉にも加わったマリノウスキー氏はミャンマー側に「宗教により分断を図ろうという動きはとても危険だ」と軍部をけん制したことがある。ミャンマーとの関係改善に突き進むオバマ政権内にあっては、慎重派だった。制裁解除によって軍部が恩恵を授かることを警戒していた。実は当時、スーチー氏も制裁解除がミャンマー経済で主要なプレーヤーでもある将軍たちに多くの利益をもたらすことへの懸念も抱いていた。

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