自分の存在意義を失ったとき

TMS治療が終わって1週間ほど、生きるのが楽になったと感じている。
やはりあれこれ悩まないというのは生きるエネルギーを消耗しないのだと感じる。

社会人になるまでは、今よりも直感で判断する方だった。
好きか嫌いか、良いのか悪いのか、直感で判断して間違ったことはほとんどない。逆に理屈と理詰めで考えて間違ったことは数えきれない。おまけに判断に時間がかかる。今考えれば判断基準が世間の常識とか、一般的に考えて、とかそういうものに引っ張られ、自分軸ではなくなるからだ。

だが、こうした傾向は一般的な日本企業で社会人としてやっていくには致命的な問題があった。
人へ判断基準の説明が出来ないのだ。積み上げた経験や知識をベースに瞬時に判断しても誰も理解できない。そりゃそうだろう、因果関係や説明プロセスをすっ飛ばして、現象からいきなり結論にすっ飛んでも分かるわけがない。おまけに対人関係を軽視してきたツケで説明能力が高くない。
だいたい結果的に正しいことが多かったが、そのころにはみんなそんなことは忘れているか、説明できないお前が悪いとなる。
中小企業の頃は何か意味があるのだろうとかばって説明を引き出してくれる人もいたので大いに助けられた。現場での技術的評価は悪いものではなかったが、経営幹部からの評価は最低だった。
派閥に属さない一匹狼で、愛社精神も無く謎の判断基準をもって独断専行するように見える社員など、腹の底が知れず気持ち悪くて仕方なかったに違いない。

大企業に移ってからはそうではなくなった。何事にも手続き、説明と根回しとプロセスが重視される。コンプラ重視で官僚的な体制のためデタラメな勤務体制は是正され、組織としては極めてまともになったが、同時にやりづらくて仕方なくなった。
SESで客先に出されてからは最悪で、全く適応できなくなった。二次障害が酷く悪化したのはこのころからだ。

誰かの作った仕事を引き継いで、全体像の見えない何だかよく分からない設計を理解して、仕事にかかる必要があった。当然ながら仕事は刺激的ではなく興味を失っていった。
資料はあるが、文章ばかりで全く構成が頭に入らない。個別の設計は書いてあるが結局これらが運用業務の中でどのような関連をもって何をするのか読んでも全く理解できない。結局、資料から使用される構成を書き出して相互の関連を図にしなければ全く頭に入ることは無かった。普通の人は読めばわかるようだったが今でも信じられない。
技術的に手を動かすことはない。そんな必要もない。ただあるものを直したりするだけだ。

ここでは自分が担当する必要などどこにもない、ただの作業員でしかなかった。これは今までのどんな仕事よりもつらかったと言っていい。全く向いていなかったし、自分がどこの会社の所属かすら分からなくなった。
同時に自分の存在意義を仕事に求めて依存してたことに気が付かせてくれた。

プライドを持つのは結構だが、仕事が出来ること自体を自分の価値にしてしまうと、何らかの事情で"仕事が出来なくなったとき"今までの価値観が逆流する。
自分を支えていたプライドが、今度はすべて自分を傷つける。"仕事が出来る自分"に価値があるのなら、"仕事が出来ない自分"に価値は無いのだ。

これは非常にヤバい。自分で存在意義を否定しながら生きるなど最悪の罰ゲームだ。何かを変えて止めなければ死ぬまで自分を追い込むだろう。結局休職で強制離脱するまで最初の悪化は続いた。
休職中はそこそこ回復したが、そのうち復職するというストレスからは逃れられなかったし、根本的な無価値観に対する考え方までは変わらなかった。
そんな状態で復職すると再び悪化。2年後には限界を感じて心理学やTMS治療に踏み切った。

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