AIを使った大量応募について、AIを使って大量応募した人が語る
SF雑誌Clarksworldへの小説の大量剽窃投稿がニュースになっていたので、昨年の星新一賞にAI(GPT-2)を使って100作の大量応募を行った私の意見を述べます。
まず先に結論を置いておきます。
AIを使って大量に生成した文章で迷惑をかけてはいけません。
また今回の件では、AIを使って既存の小説の表現を書き換えていたとのことですが、他人が著作権を持っている文章を入力してはいけませんし、ましてやそれに酷似した作品を作って剽窃してはいけません。
AIによる書き換えが行われていたことについては、下記のClarkesworldの編集者のブログにて具体的に紹介されています。
これらの点については、先日、多くの方にお読みいただいた『あしざわ法典』でも、真っ先に冒頭でマナーとして注意喚起した内容です。
私が『あしざわ法典』を急いで執筆したのは、ChatGPTの急速な普及によって発生が予測される問題を防ぐために、こうしたマナーを広く知って頂いて、AIを利用した創作活動のあるべき姿を目指したいという思いがありました。
1. 星新一賞での大量応募
さて、本記事では、大量応募に焦点を絞ってお話します。
まず私が昨年の星新一賞に大量応募した経緯については、以下の記事に書いた内容を引用しましょう。
私が星新一賞に大量応募した際には、例年の応募数の増減を見た上で、100作程度の上がり幅なら許容範囲だろうと判断しました。
100作は、時間と文章量から考えると、私自身が全て目を通して最低限のクオリティを確保できる上限でもありました。
昨年の私による大量投稿は、私が言うべきではないかもしれませんが、「分別のある」大量投稿でした。なるべく迷惑にならないよう配慮しつつ、こういうことができるということを実際に見せることで、「関係者の方々に危機感を抱いてほしい」という思いがありました(実際は、ほぼ悪戯心でしたが)。
星新一賞への入選後、別の文学賞を主催する方々によるイベントに参加した際に、大量応募についてどう考えているか、質問する機会を頂いたことがあります。
その回答は、「粗製濫造した作品を大量に応募して、フィルターのように使って欲しくない。下読みがコミュニティとして成り立たなくなってしまう」というような内容でした。
私としても、こうしたコミュニティを壊してしまうようなことは避けるべきだと思います。今回の件にしても、応募者側に大きな問題があると思います。
2. もうひとつの問題
一方で、危機が目の前にありながら、ほぼ対策をしてこなかった文学関係者にも問題があるように思います。
これまで文学関係者が、そうしたAIを利用した大量投稿に対して本格的に対応を考え始めたという話は、一切聞き及びませんでした。
対策がされたとしても、AIの使用を禁止する程度ではなかったでしょうか。
私が公開していたAIによる小説作品も「小説家になろう」から排除されましたしね。
しかし、AIという新しい技術を使わないことが正しいことだとは思いません。原稿用紙は、ワープロになり、パソコンになり、今ではスマホになりました。多くの作家は、意識せずともAI技術を使った予測変換を用いて執筆しているのではないでしょうか。
また、技術が向上したことで、AIの文章と人間の文章を見分けることは難しくなりつつあります。
文学関係者の方々は、「AIを使って下読みをすればいいじゃん」という冗談を口にして笑って済ませていませんでしたか?
少なくとも会議を開いて検討くらいはしていますよね?
まさか検討すらできない大人が出版業界にはいらっしゃるのでしょうか?
私が配慮して甘やかしてしまったのが良くなかったんですかね。
今回のClarkesworldの一件にしても、AIを利用した大量投稿は十分に予見できた現象であり、しっかりと対策を議論してこなかった文学関係者の怠慢も一因だと思います。
私には、巨大な隕石が落下すると予測されているのに何もせず、いざ空に隕石が見えてきた時になって大騒ぎしているようにしか見えません。まだ見て見ぬふりをしているのかもしれませんが、それはそれで滑稽ですね。ぜひそのお話の続きを書いて頂ければと思います。
3. AIは小説を書ける
もしかしたら「AIの文章は稚拙だ」という意見を持つ方もいるかもしれないのでここで反論しておきますが、ChatGPTが容易に利用できる現在において、その言動は「私はAIの使い方が下手くそです」と言っているのと同じことです。
以下に記載したのは、私がChatGPTを使って執筆した掌編です。
ChatGPTが書いた英語の原文も載せておきましたが、この文章を読んでAIのものだと分かる人はいないでしょう。むしろ文章も詩的であり、短い文章の中で話がまとまっていると思います。
世間一般の多くの人は、これほどの作品を書けないでしょう。
「掌編ならできかもしれないけれど、長編は無理でしょ」と思うのであれば、下記の記事をご覧ください。
また、AIを使用した文章を検出する研究も進められていますが、完璧なものにはならないと思います。意図的ではなかったとしても、人間がAIらしく書けばAIによる文章と判定されるからです。
下記は私がツールを試した際の事例です。これはちゃんと判定していますが、AIが書いた文章の癖はなんとなく分かる(だから修正できる)ので、多分AIらしく書いてAIの文章だと判定させることは可能です。
神林長平先生の『言壺』では、万能著述支援用マシンである「ワーカム」によって、現実ではありえないフィクション上の言葉の使い方が検閲されてしまうお話がありましたが、それに近いことがそのうち起こるかもしれませんね。
そんなの空想だと笑っている方は、現実に目を向けているのでしょうか。人間の作家によって営まれてきた文芸というものは、ネット上の投稿サイトで大量に流通しており、紙の本は売れず、専業作家は伝説上の珍獣と成り果て、街から本屋は消えていっています。
Twitterでバズるのは、大抵小説ではなく漫画ですよね。
動画は、映画からゲーム実況まで、ありとあらゆるジャンルのものが消費しきれないほど配信されています。
今後は、AIを使うことで個人でも漫画や映画、アニメが格段に制作しやすくなるでしょう。
こうした状況を見る限り、人間の作家をできる限り存続させたいのであれば、AIを小説執筆に取り入れて擬似的にサイボーグ化した人間を認めてもよいのではないかと、私は思います。
今は、まだ人間を介した方が小説としての面白さは勝ります。しかし技術は前進することはあれど、後退することはありません。一年後にはGPT-4が出ると噂されていますが、AIだけで十分なクオリティが出せるようになっている可能性は十分あります。
小説を読みたくなったら、チャットAIがその場で書いてくれる。そんな未来は、すぐそこです。
小説投稿サイト? わざわざそんなところまで行って検索するなんてタイパ悪くね?
紙の本? なんで金払って買ってこなきゃいけないの?
というか、AIの方が自分の読みたい小説を理解して書いてくれるよね。
今、改めて尋ねましょう。
出版業界、危機感ありますか?
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