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【三分小説】命綱

僕はね、今も昔も、はっきり言って生きづらいんだ。
今から話すのは過去にあったできごとの、ひとつ。
辛かったら、途中で読むのをやめてもいいからね。



靄のかかった冬の薄明かり。
芳醇な香りが辺りに漂っていると錯覚するくらいに濃い夕方。

中学3年生の僕はひとり、下校途中の高校生たちが行き交うのを、橋の上から眺めていた。

彼らは未成年という名の下、支配され、みんなどのように息をしているのだろうか。と考えてもう2時間が経つ。

ふと自分の足元に目をやると、カラシイロの首輪をつけた黒猫がいた。
僕はしゃがんで、緑色のガラス玉のような瞳をうっすらと見つめてみる。
すると猫は、人のような目つきで瞬きをし、僕に吐息を吹きかけた。

嗚呼、目が、頭が、ぐるぐると回って
しゃがんでもいられない。
僕は首をぐんと曲げるような形でゆっくりと床に転がった。

動けなくなるとなんだか、なんだか安堵感で眠ってしまいそうだ。
"なにもできない"という安堵。
幼い頃に母親が、
「目を閉じていて良いよ」と
柔らかな掌で額から鼻先までを撫でてくれた、あの時のように。

猫は横たわる僕に言った。
「わからなくてもいいよ。
でも、痛いことは、
きみからはなにもいわないでね。
じぶんの首を絞めるのはじょうずだから。
安心して。大丈夫だよ。」

猫の言っている意味は
すぐにはよくわからなかったが
見つめ合っているうちに
じんわりと心の幕に入っていくことができた。

そうか。きみは迷っているんだね。
飼い主はカラシイロの首輪をつけるけど、きみは赤が好きだったり。
何が大切かわからなくなったり、すべてを大切にしたかったり。
黒いから何色を身に付けてもしっくりきてしまって
本当のことが何なのか
わからなかったりするのか。
人間に限らず、猫も大変だな。

僕はそう心で言って猫に手を伸ばす。
すると、驚いたように早足で逃げてしまった。

そのまま雑踏と夢の狭間でぐるぐると
誰かしらに頭の中を掻き回されたようになって、
暫くして夜の匂いがして目が覚めた。

目の前には白い星が申し訳程度に浮かんでいる。
酷い頭痛の中なんとか起き上がると、
同じ橋の道路を挟んで向こう側

手摺の部分に足をかけて今にも飛び降りてしまいそうな女性がいた

一気に目が覚めて
繋ぎ留める為の言葉を何度も叫んだが
応答は無い。

彼女は手摺に軽く座ると、
寒々しい足元の黒いバレエシューズが片方落っこちた。

残った片方も濃い藍色の背景にぷらぷらと揺れて、いつ脱げてもおかしくない。
危うい後ろ姿に、ブレーキランプが透けた。

それを見ていると今度は
繋ぎ留めようとするよりも、
なにがあって、どうして、
あんなところに座っているのかが

どうしても気になってきた。

落ちようと決意した強い意志を持つ彼女に
淡く憧れすら滲んで
赤いランプで染まった彼女に駆け寄って
顔を覗いてみるとそれが、
僕の母親だったりしたよ。

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