自由に人とつながれるのは「オンラインだから」じゃない
「自由にやっていいよ」
電話ごしに、上司からの言葉。
「俺、別に聞いてないよとか言わないし」
いちいち上司に確認をとって状況報告しなくても、私の自由に動いていいよということらしい。
育休から復職して、3日目。
「在宅ワークを基本に、必要があれば出社する」を快く許可していただいているので、自宅から会議にオンライン参加している。
育休期間中の会社情報がごっそり抜けている上に、復帰と同時に異動になったため(正確に言えば、グループ会社間の異動なので、部署どころか所属会社名も変わった)、会議中に皆が当たり前に使うワードも「?」状態。
いや、言葉の意味は理解できるのだが、そのニュアンスというか真意?前提?みたいなものが私にピンときてない。
でもこれは、慣れれば追い付いてくるんだと思っている。
(一応、関連する資料を共有してもらえるようにお願いした)
それ以上に、スピード感というか空気感にまだなじんでないので、それがちょっぴり緊張してしまう。
オンラインで人とつながる効率の良さと便利さには、コロナ禍ですっかり当たり前になってしまった。
初対面の相手とも、意外とオンラインでも打ち解けてしまえる。
オンラインだと伝わらないと思われがちな相手の雰囲気や感情、場の空気感なども、結構ちゃんと伝わってくるのだ。
たぶん、お互いに表情がちゃんと見えているからだと思う。(画面オフにしていなければ)
人とつながる。
これ自体は、オンラインでもリアルな場でも可能なんだと思う。
「場の空気」というのも、オンラインでも存在する。
ただ、
「人に想いを伝える」ことに関しては、お互いに敬意と寛容を持ったコミュニケーションが結構重要なんじゃないか。
オンラインなのかリアルな場なのかということは、あまり関係ない。
大勢の人に向けたプレゼンや聴衆を沸かせる演説みたいなものは「相手を説得し、納得させる」ためなので、テクニックを駆使すれば、その目的を達成できるんだと思う。
一方、上司に自分の希望を伝えるとかやりたい企画を社内で承認をもらうみたいな「自分の気持ち・想いを相手にも共感してもらう」場合は、単なるテクニックだけでは伝わらない気がする。
そこにこそ、「人と人」「個」同士が、相手への敬意と寛容な気持ちでのコミュニケーションが欠かせないんじゃないか。
たった3日間なのに。
(本当は2日目に薄々気づいてた)
在宅で仕事をしてみて、「(在宅中心の)このやり方だと、孤独感は増せど、仕事のスピード感が出ない!」という危機感と焦燥感でいっぱいになった。
そして今日、上司に電話したら。
冒頭の上司からの言葉、である。
私が10まで説明しなくても、電話ごしに、私の言わんとすることはすぐ伝わった。
そもそも上司の性質上、部下に細かすぎる報連相を要求するタイプでもないということも良かったのかもしれない。
「自由に」ということは、私を「尊重し、その意思を受け入れてくれているんだ」と受け取れた。
復職前の面談でも、私は上司に自分の希望として、「30分でもいいから、上司との雑談の時間を定期的にとってほしい」と伝えていた。
私にとって最大・最重要な希望だったから。
その意味も上司には伝わっていたのかもしれない。
(それを伝えたのはオンラインだった)
復職してから、まだ上司とは直接顔を合わせていない。
だけど、上司との関係において孤独感はない。
オンラインでも電話でも、短くても話が出来ているから、私の言いたいことが伝わるし、受け入れてもらえているという実感があるからだと思う。
それが、冒頭の上司の言葉として、表れている。
そういえば、「いつでも電話してきて構わない」とも言われていた。
いちいちスケジュールを確認して、「今空いてるかどうか」確認しなくても良い、と。
それもまた、私の緊張していた心をフッと軽くしてくれた。
それにしても。
少し前なら、「自由にしていい」と言われたら、逆に「え、どこまで自由なの?ある程度の範囲とか方向性はないの?」と不安になっていたかもしれない。
育休を経て、子育ても他人がどうとか正解がどうとか関係なく、究極は「自分と娘が心地良いように、自由にすればいい」と余計なこだわりを捨てていくことの大切さを学んだおかげかもしれない。
そして。
「敬意と寛容」は、娘に対しても大切なことだと思っている。
子育てはコントロールすることじゃない。
娘が自分で選択し判断し前進していくためのサポートだから。
私も娘に、「自由にしていいよ」という気持ちを大切にしたい。
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