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もどってきたアミ〜小さな宇宙人〜第4章 宇宙のダンス

衝撃作『アミ小さな宇宙人』に続く、アミ三部作の二作目となる本作『もどってきたアミ』。



主人公の少年ペドロが、
アミという小さな子供の姿をした宇宙人と出会い宇宙を旅する中で「愛の正体」を知って行く物語だった一作目「アミ 小さな宇宙人」。


「僕とまた会いたいなら、この旅で学んだことを本に書くように」

アミとそんな約束をします。


二作目の本作『もどってきたアミ」では、
その旅の2年後、本を書くと言う約束を果たしたペドロの元に再びアミが姿を表します。

アミと再会し2度目の宇宙の旅に出るペドロ。

今度の旅では、
旅を共にする新たなゲストや、
愛を知ると言う人物との出会いによって更なる愛への探究を深めて行きます。

自分の内面にフォーカスして、より深くその実態を掴んで行く様な内容となっています。


この読書メモについて

この物語を少しでも深く理解し、自分の中に留めておきたくて、
自分の体験や、今まで読んできた本、見てきた映画、聴いてきた音楽などから得たインスピレーション、解釈を交え「読書メモ+」を書き始めました。

残念な事にこの「アミ 小さな宇宙人」シリーズ3部作(日本語版)は現在絶版となっており、

この本に散りばめられたたくさんのとても大切な愛を知る為のメッセージを
少しでも沢山の人に届けることができたら、と言う思いもあります。

個人的な読書メモですが、どこかで誰かの「愛を知るため」の一粒の種となれればいいなと思っています。

目次

序章 アミの思い出

第一部
第1章 うたがいの気持ち
第2章 岩の上にある(?)ハートのマーク
第3章 念願の再会
第4章 宇宙のダンス
第5章 気づかない本質的な欠点
第6章 ぺドゥリートとビンカの使命
第7章 地球救済計画の司令官
第8章 地震から地球を守る仕事
第9章 いよいよキア星へ
第10章 太陽の師の存在

第二部

第11章 愛を知る老人クラト
第12章 キアまたいつの日か
第13章 カリブール星で双子の魂を知る
第14章 羊皮紙と二つの可能性
第15章 アミの惑星 銀河人形をゆく
第16章 アミの両親が教えてくれたこと
第17章 アミの真実の姿
第18章 またね….アミ

第4章「宇宙のダンス」の要約・あらすじ


アミとペドロ、ビンカは、円盤の窓から螺旋状に広がった星の大集団をみた。

七色の光を持つ煙の渦巻きの様なそれらは、まるで生きている様にゆっくりと動きながらどんどん大きくなっていき、その中に点在する光が花火の様にパッと炸裂しては消えて行った。


銀河系ははっきりと意思を持った一つの生命体の様に見えた。



人は自分の事を宇宙の中の極めて重要な存在だと思い込んでいるが、
実際はこの銀河系の中の極めて小さなミクロ的な存在。


人間に例えると、人間全体のことを知らずに必死になっている小指の爪の先の細胞、くらいの感じ。

ビンカがアミの話す科学や知識に感動していると、

「知識や科学の水準がいくら高くても、
重要なのはそれをどう使うか?と言う事なんだよ」と、アミ。


知識や科学とは、
人々の喜びや、精神の目的の為の”手段”であって、
それそのものが目的になってはいけない。


”幸せ”とは精神的なものの事を指し、
たとえ社会的成功や物質金銭を手に入れたとしても、

胸に愛がなければ、本当の意味で満たされることはない。

それは「いくら富を得たとしても、物乞いより惨め」だとアミは言う。


それは”愛が幸福の泉”だから。

愛とはロマンスの事だけじゃなく
命を与えてくれた創造主に対する感謝、
自然、呼吸できる空気、人生の様々な事を愛する事。

愛の送り物を手にしている時は、たとえ物質的な富が少なくてもいつも幸せを感じられる。


愛を求めれば、他のものも手にすることが出来る。


”幸せは愛の果実”。(愛という木になる実)

“幸せ”とは、
愛によってのみ手に入れることが出来る。

「その愛はどうやって手に入れるの?」

とペドロはアミに訪ねた。

その答えを知っている人に会いに行こう!とアミは言った。

自分なりの考察・解釈

ヒトは、
人間が一番賢く重要な存在であり、
人間のいる世界こそが全てだと思っている。

でも、「君たちの小指の先の爪の細胞だって、きっとそう思っている」と例えるアミ。

壮大な「人間の身体」と言う神秘の中のほんの小指の先、さらにミクロのその爪の細胞…


自分がそんなちっぽけな存在だとわかったら、
あくせく悩んだり苦しんだりすることが本当に些細な馬鹿げたことに思えてきます。


「人間はもっと”生かされている”ということを知るべきだ」とアミは言いたいのかなと思いました。


最近スピリチュアル、宇宙、愛、などと言う言葉をよく耳にするようになりました。

私自身が興味をもっていることだから?
いやいやそれだけではないはず、と言う気がします。

大きく時代が変わろうとしているのです。


幸せとはごく一握りの成功者だけのもの、と言う物質中心の考え方が崩れ去ろうとしています。


「お金はあればあったでいいけど、その為に自由や時間を奪われたくない。」

「ほどほどで安心して好きな事が出来て、
たくさん人から褒められたり必要とされたりする方がずっといいや!」

こんな感じの人が増えて行きそうな気がします。
(私だ)


“豊かさ”の価値観が間違いなく変わりつつある事を感じます。

私は、幸せを感じるのは”体質”みたいなもののように思っているのですが、


濃い味が好みだった人が、
病気を経て薄味を好むようになったり、

カフェインや刺激物を断つと体調が変化して行ったり、

そう言う事と同じように、

繊細な違いに気づく体質になれるかどうか?


自分が幸せだなと感じる事は、その繊細な味を、
美味しいと感じられる”体質”なのではないかと思うのです。



物質的な豊かさ=幸せ、

という固定観念のままでは、

お金で買えるものがどんどん減ってゆくので、
(物価はどんどん上昇するのに、もらえるお金は増えない)

そこに豊かさを求めるとただ辛いだけになってゆくと思います。


自分はこれでいい(これがいい!)と言うのを知るという事、
つまり「足るを知る」。
それが新しい時代を楽しく生きていく肝なのかなと思います。

スピリチュアル、という言葉や考え方が以前より良く巷で聞かれる様になったのは、

新しい時代を生き抜くためには、
”体質改善”をしないと、
古い物質的な価値観のままでいると辛くなるからだと思います。

「スピリチュアル」はスピリット、つまり精神性のことです。

肉体や物質(フィジカル・マテリアル)に対しての、精神(スピリット)。


精神的な喜びを得る方へ”体質改善”した方が、
新しい時代が楽しくワクワクで過ごせるから、です。

大いなるものに生かされている、と知ることで、
今ここで生きている神秘、感謝などを感じる事ができます。

映画『すずめの戸締り』で、草太が

「人の命は”かりそめ”だと分かっています」

と言うシーンがあるのですが、そのシーン何度見ても涙でます。(3回観た)

観てない人、意味わからないと思いますがすみません、素敵な映画なので観てみてください。


幸せ、とは、持ちきれない程のモノを持つ事じゃなく、愛がもたらしてくれるもの。

愛と言う木が実らせる果実なのだと言う事。

だから愛を育てる。

では、愛とは何か?



それを次章以降で紐解いていきます。

次回第5章、「気付かない本質的な欠点」。
どうぞご期待下さい!

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