もどってきたアミ〜小さな宇宙人〜第2章:岩の上にある(?)ハートのマーク
「アミ 小さな宇宙人」の三部作の中の2作目、「もどってきたアミ」の読書ログ、第二章です。
エンリケ・バリオスさんの書かれた「アミ 小さな宇宙人」のシリーズを
三部作に渡って読み解いて行きます。
これらの本に書かれたことを少しでも濃く、深く自分の中に留めておきたいという思いから書き始めました。
自分の経験したエピソード、読んだ本や見た映画、アニメ、好きな曲などから得たインスピレーションを通して、その観点から私なりの解釈で読み解いた読書・考察ログとなっています。
途中脱線したりもしますが、書きながら「そういうことだったのか!」と思いつくような事や、以前見た映画や聞いた曲と繋がったりする事も多く、
そんな現象を愉しみながら書いています。
「アミ 小さな宇宙人」シリーズは今のところ日本語版は絶版のようで、中古も価格が高騰しているようで、再販される気配はなくとても残念に思います。
もしこの本を手に取れなくても、この本に興味を持った方が私のこの読書ログに辿り着いてくださり、小さな宇宙人のメーセージを受け取ってもらえたらいいな、というそんな想いもあります。
この読書ログが一粒の種となり、芽となり、木となり、そしていつか森となっていきますように。
この読書ログは、続きをこのマガジンに追加して行きます。
この「もどってきたアミ」の前作、「アミ 小さな宇宙人」もこのマガジンにおいてありますので、お時間許しましたらぜひ読んでいただけると嬉しいです。
さて前章では、アミとの約束どおり宇宙旅行での体験を一冊の本に書いたペドロ(小説家志望の28歳のいとこのビクトルの力を借りて)は大評判を得たものの、ビクトルからその体験を空想扱いされ、
「本当に宇宙人と旅をしたというなら証拠を見せろ!」
と詰め寄られます。
そして「もし証拠がないならお前は病院に行った方が良い」とまで言われ、
悔しくなったペドロは、アミが存在した証拠として、アミと出会った海辺の岩に刻まれた「翼の生えたハートのマーク」を見に行こう!とビクトルを説得します。
そしてその週末、
やっと夢にまで見たあの海岸に辿り着いた…
というところまででした。
では、第2章の始まりです。
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第2章 「岩の上にある(?)ハートのマーク」
海岸の近くに車を停めた頃は陽も落ちかけ、いとこのビクトルは今日はもうテントを張って休もう、明日にしようと言い出した。
気が早り、一刻も早く岩にハートのマークを確認しにいきたいペドロはビクトルを説得し、2人は岩場へ向かった。
向かう途中ビクトルはやたらともたもたして、滑ったり海に落ちてずぶ濡れになったりしながらうんざりしてこう言った。
「この辺りはよく滑るし危ない。岩場には海藻や苔がいっぱい生えている。
潮も満ちてきているし滑って骨でも折るといけない。今日はもう寝て、明日の朝見に来よう」
まるで老人みたいだ、とペドロは思った。
大人っていうのは、全てのことを恐ろしく困難に、単純な事を複雑に考える事に対して、信じられないほどの美徳を持っている.......
ビクトルは海に落ちた事でずぶ濡れになっており、仕方なく海辺へ戻ってテントを張り、そこで休むことになった。
ビクトルが寝静まる頃、ペドロは「トイレに行く、すぐ戻る」と言ってテントをでた。
ビクトルはそれを信じた!
岩に向かってかけていく間、ペドロはまるで自分に不思議な力が乗り移ったような気がしていた。
足はうさぎのようにピョンピョンと石から石へ飛び跳ねるように進んだ。
数秒後にはあのハートのマークがある岩の下へたどり着いていた。
あとは岩を登って、あのハートのマークを確認しさえすればいい...
でもひょっとして、ひょっとしてなかったら....?
そう疑った時、さっきまでの不思議な力が急にペドロの中から消え失せた。
ペドロは不安の中で、足元を滑らせたりして(さながらさっきまでのビクトルのように)その岩をだいぶ苦労しながら登った。
そうしてやっとの思いで登りきり、歓喜と不安の間を行き来しながらそれをかみしめるように一歩一歩、目指す地点に近づいていった。
そして隅々までハートのマークを探した。
………が、そこにハートのマークはみつからなかった。
「最初からなかったんだ。アミとの冒険も全部僕の空想だったんだ。夢だったんだ...」
ひどく落胆し、そうペドロはつぶやいた。
すると背中の方から「夢じゃないよ」と声がした。
自分の耳を疑いながら振り返ると、そこには小さな白い人影が立っていた。
いつもの微笑みを浮かべたアミだった。
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不安や疑いに駆られながらも、アミと再会することができたペドロ。
この章では、この海岸でのペドロに宿った「不思議な力」、
そしてそれを一瞬で消し去った「不安と疑い」について思う事が溢れてきたので書いてみたいと思います。
ペドロに芽生えた不思議な力。
ペドロが岩場へ向かう途中、
「自分に不思議な力が乗り移ったような気がした」と書かれていますが、こういう「無敵」な感覚は誰でも一度くらいは経験したことがあるんじゃないでしょうか?
まるで、その時だけは別の人になったみたいに、フットワークよく身体が軽くなったように動けたり、我、以外の誰かが憑依(笑)したみたいな感覚になっていたことに我に返って気づいたりするような事です。
私は何かを閃いた時、すぐにでもそれに着手したい!作りたい!試してみたい!
みたいな気持ちになることがあり、
とにかくやらずには居れない衝動、そして没頭してる時の無敵感!
実はよくあります。
そんな不思議な力の正体とはなんなのでしょうか?
「夢中になる」という事
頭に降ってきた閃きをなんとか形にしたい!
目標達成への道筋がわかった!
探してたものにもう少しで手が届きそう!
私はこの感覚を暫く忘れていましたが、
大好きなアニメ作品の概念アクセサリーを作るようになって、この感覚のスイッチが入ったように思います。(推しへの愛は偉大です!)
まさに寝食を忘れるような感覚。
簡単に言うなら「夢中になる」という感覚。
「夢の中」だからはっきりと認識はできないけど、
客観的に自分を見ると、
手や足の運動機能、頭もフル回転で疲れも知らずターゲットに猪突猛進する感じです。
そこらにぶつかっても痛みもあまり感じないw(夢の中だから!?)
不思議な力の正体とは?
誰も皆理性では操れない「本当の私」みたいな部分を持っていて、
普段は社会に適合する為、はみ出ないように蓋をしているのだけど、
何かを求める強い想いに触れると蓋がパカっと開いて、中から本当の私が出てくる(天の岩戸の神話の如く!)みたいな時があると思うんです。
そういう状態、つまり何かに夢中でいる時、やり遂げたくていてもたってもいられないような衝動、それこそがこのお話の中で言う「アミ」と繋がれる時、すなわち不思議な力の正体なんじゃないかと思うんです。
巷でよく聞く”潜在意識と繋がる”とは、この事を言うんじゃないの?と無知ながら思っている次第です。
自分で意識している時は顕在意識が働き、
何かに夢中になっている時は無意識の領域(の私)、つまり潜在意識が優位になっている、という事です。
潜在意識は意識下ではないので、
働いているかどうか、どうやって判断するの?と思われるかもしれないですが、
凄くわかりやすい感覚で言うと、いわゆる夢中で何かやってる時の集中したフロー状態だったり、
「胸の辺りが熱い」「ほわっとする」みたいな感覚があり、それをいわゆる五感的な感覚として意識する事はできます。
それを目印に、サインにして
「あ、私今潜在意識と繋がっている!」と気づく事ができると思います。
この潜在意識と繋がることは、愛と繋がることでもあると私は考えています。
愛とは何か?
「愛」と言う言葉を暫く、長い間理解する事が出来ませんでした。
自分にはそんな高尚なものはないし、
みんなに対して愛を持つなんて聖人みたいで、
到底私には無理、と思っていました。
だけど「本当の私」(つまり潜在意識)に多く遭遇するようになって、その愛の感覚や温度らしきものがわかるようになってきた気がするのです。
心の底からの気持ちで何かをしたり、求めたりする時、つまり「自分に嘘偽りがない時」、
それは「胸が熱くなる感覚に従っている」という感覚があるのです。
自分に嘘偽りがない=胸が熱く(あったかく)なる感覚=潜在意識(本当の私と繋がっている時)=愛
みたいな事なんじゃないかな、と。
愛を探す。
自分の中にいる本当の嘘偽りのない自分(潜在意識=愛)に出会う為にはどうしたら良いのでしょうか?
当然、嘘で塗り固められた環境に自分を置いては、自分を曝け出して本当の自分でいる事は出来ません。
そういうところからは徹底的に距離を置くべきだと私は思います。
“あたし”を守れるのは私だけ。
そうそう、藤井風さんの”grace”という曲で、
風さんは”私”と”あたし”を歌い分けているんですよね。
あたし、とは潜在意識の中に住んでいる自分の中にいる愛、本当の自分の事なんじゃないかなと思っています。
その”あたし”、つまり自分自身、愛に出会うには、同じく自分を曝け出してる人達が沢山いる界隈に身を置くことがいちばんの近道であると思っています。
趣味とか推し、とかとにかく心の底から好きな事をしている人達にまみれてみるのです。界隈用語では「沼」と言ったりしますね(笑)
そこには純粋な「どうしようもなく好きな気持ち」すなわち”愛”が溢れているので、その愛に揉みくちゃにされるくらい身を投じるとその心地よいバイブレーションに次第に自分の波長が合ってきます。
そしてその波長に慣れたある日、
いつしか「あれ?」と違和感を感じる出来事に気がつきます。
その違和感は、自分が浸かってきた波動とは明らかに違うもので、
嘘や、偽りの表情、声のトーン、表情と話の内容のチグハグな感じとか…そういうのに敏感に反応出来るようになっていきます。
それは、自分の中の「愛」が目覚めた証拠、
今までは意識していなかった胸の奥の本当の自分(潜在意識)との繋がりが強くなった証拠でもあると思うのです。
そういう違和感から距離を取る事で、”あたし”が無邪気に羽を伸ばし、
没頭していられる環境を作ってやりたいと、私は常日頃思っています。
愛に囲まれていると、自分の中の愛ものびのびと羽を伸ばしていられるので、「なんだか無敵」
「私は私でいい」
となる訳です。
再び登場の藤井風さん(笑)
grace本当にいい曲なので、是非歌詞を見ながら聴いてみて下さい!
愛を失う時。
だいぶ脱線しました。(いつも)
ペドロは、そんな不思議な力が宿ったのも束の間、
アミが残していったハートのマークは、本当はないかもしれない…と
疑いの心が芽生えた途端、その力を失ってしまいます。
足は重くなり、何故か転びやすくなり、やたら傷つけられたり、痛い思いをするようになったり…
つまり夢中でいる事、胸が熱くなること=潜在意識、愛との繋がりよりも、
社会的に上手くやっていこうとする顕在意識、他人の意見の方が優位になってしまった事で、
自分の中の”あたし”が怖くなって引っ込んでしまった状態です。
生きているといろんな事に遭遇し、
派手に転んだり、失敗したり、恥をかいたり、誰かに裏切られて悲しい思いをしたり、人と比べて自分にないものばかり数えて落ち込んだり、
他人の価値観を押し付けられねじ伏せられたりすると、
“あたし”はすっかりしょげて、怖くなって、心の奥底に安全な場所を見つけて蓋をして閉じこもってしまいます。
臆病になってしまいます。
この”臆病さ”、”経験から育まれた顕在意識優位の生き方”は、
中々の生きづらさを生み出します。
でもだからと言って「無理…」と嘆いていたら、人生はあっという間。
“そうじゃない方”、つまり”あたし”に羽を伸ばさせてやれる環境を作ってあげて、そこでのびのび羽を伸ばして、なんなら飛び立てるくらいにまでする事、
それこそが、一人一人この地球に生まれてきた意味であり、使命、なんじゃないかと私は思っています。
アミは「そっちの方の生き方」、
つまり全ての人が”あたし”=愛に従って生きる事で、無駄な争いや競争、嘘や裏切りという概念が消え去り、友人のような小さな単位から世界、そして地球を守る為に、
その為の大切なメッセージを伝えにやってきたのです。
さて、もどってきたアミ、第2章の考察、
いかがだったでしょうか?
アミの伝えたかったメッセージが少しでもわかりやすく伝わるといいなと思い、経験談なども交えながら書いてみました。
何か少しでも、心に引っかかる事があれば幸いです。
それが気づきとなって、人生を軽やかに楽しんでいけますように!
さて、次回からの章はいよいよ、この「もどってきたアミ」の真髄のメッセージに迫って行きます。
せっかく心の愛と出会って、新しい価値観の世界へと歩き出したペドロなのに、その愛から離れ、また元の価値観に引き戻されるような出来事に次々と出くわし、もがきながらも愛に近づいていこうとする様子が描かれています。
やっと無事アミと再会したのも束の間、今回の旅にはもう一人の参加者がいる、というアミ。
その参加者とは….?
ではまた次の記事でお会いしましょう!
この記事はこちらのマガジンに書き足していきます。不定期更新となりますが、この三部作の全てをこのマガジンにまとめていきますので、是非フォローよろしくお願いいたします!
全て無料となっていますので、ぜひ小さな宇宙人のメッセージを受け取っていただけたら幸いです。
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