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障害があってもなくても:人と向き合う、介護業界の未来

みなさん、こんにちは。

今日は東洋医学の話ではなく、最近の出来事についてお話します。

先日、重度障害者の方のお宅に訪問しました。
わたしはこれまで身体障害・精神障害を含め障害のある方と接した経験はほとんどありません。

ときどき、街で障害のある方を見かけることはありますが、重度障害の方を外で見かけることはめったにありません。

それだけ障害をもつ人たちが気軽に外出をすることは難しい社会なのだということを考えさせられます。

また、医療・福祉系の仕事に携わっていない限り、たとえ障害を持つ方と接する機会があったとしても、ご自宅に伺ってどんな生活をされているのかを知る機会はほとんどないと思います。

今回、縁あって重度障害のある方のご自宅に訪問し、その方が生活されている様子などを拝見させていただいて思ったことは、「障害がある、ないというのは関係ないのだな」ということでした。

事前に重度の障害があると聞いていたので、わたしの頭の中は「○○さん」というより「○○という疾患の障害のある方」という考えで支配されていました。

でも、実際にお会いしてお話をすると、自分でも不思議なほど、その方の障害自体を気にすることはありませんでした。

それよりも、その人がどんな人なのか、どんな考えをもっているのかを考えていました。

当たり前のことなのですが、それは健常者であっても障害者であっても変わらないんですよね。

今回お会いした方は、とても意志の強い、真ん中に一本太い芯の通った方でした。構音障害はあるものの、ご自分の考えをしっかりと口にされる方で、ヘルパーの助けを借りながらも、ご自身の考えとご自身の選択を大切にしながら生活されていました。

わたしたち健常者と何も変わらない生活がそこにはありました。もちろん、ヘルパーの助けは必要ですが、それ以外は何も変わりません。

障害があってもなくても、その人自身を見ている限り何も変わらない。
人と接する上で、障害の有無は関係ありませんでした。

こんな単純でシンプルなことを、わたしはこの年まで知らなかったのだなあと自分にあきれてしまいました。

また、今回の出会いを通して、介護業界が抱える問題点についても考えるきっかけとなりました。

今回出会った重度障害の方も、ヘルパー不足に悩んでおられました。
なかなか介助してくれるヘルパーが見つからず、困っているご様子でした。

訪問ヘルパーは本当に大変な仕事です。低賃金な上に重労働、、。

現在訪問ヘルパーとして働く方々が処遇改善を求めて異例の裁判をされています。

著名人やある程度地位のある方が公に介護制度について批判したり、提言したりすることは珍しくありませんが、最前線で働く現場のヘルパーの方々が自ら先頭に立って行動を起こすことは珍しいように思います。

それもあって、今回の裁判は注目度が高いようです。

寿命が延びたことで、誰もが最後は介護のお世話になる時代。
介護される方が快適に過ごせるようになるには、介護の担い手の方々に十分な報酬と適切な労働環境が保障されなければ実現しません。

介護職の離職率は非常に高く、今回裁判を起こしたおひとりの藤原るかさんは、ヘルパーを「絶滅危惧種」と呼んでいます。

今後介護を受けたくても受けられない時代がやってくるかもしれません。

今回の出会いを通して、すべての人が自分ごととしてこの国の介護問題に向き合う必要があることを痛感しました。

藤原さんは、現在も訪問ヘルパーとして現役で働きながら、執筆活動もされています。少しお話させて頂きましたが、話し上手、聞き上手で、とってもチャーミングで素敵な方でした。

(アマゾン介護カテゴリーベストセラー1位)

それでは、今日もよい一日をお過ごしください!





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