ふたりの母
母と義母、私の母と夫の母。
いつもは夫の母のことを「義母」と書くのだが、今日だけ母と書いてみようと思う。
ふたりとも同じ年齢で同じ四月生まれ。
それぞれ夫の自宅介護を経験し、見送っている。
母は十五年前、夫の母は三年前に。
私と母は、現在同じ家で階を分けて暮らしている。
毎朝子ども達を学校に送り出した後に、母の居住スペースに顔を出す。
その日の体調をみるようにしている。
顔色やろれつがまわっているか。
困ったことや頼まれごとがあれば、出来る限り引き受けるようにしている。
昨日は「庭園美術館でいま開催している展示を観に行きたいのだけれど……」だった。
入場にはオンラインで予約をし、予約時間に来館するよう案内が書いてあった、と母が話す。
自分のiPadで検索して、そこまではたどり着けたそう。
ここで止まっていた。
美術館に電話して、オンラインで予約出来ないけど直接行っていいですか?と聞いてみると言う。
私が代わりにやってみようか?それでもいい?と母に確認。
構わないというので、美術館のサイトにアクセスし、チケット購入のところまでたどり着く。
「来館時間を選んで、押してみて」
「そう。これでこの時間に行きますよ、と予約出来たことになるのね。これからチケット購入者のお母さんの情報を入れていくね」
氏名やメールアドレスを入れていく項目が続く。
打ち込んだり、コピーしたりペーストしたりしていると
「速すぎてよくわからない」
と笑いながら言われるが、私も指を止めない。
美術館からの購入完了メールが届いたので、母に見せる。
入場券になるQRコードのスクリーンショットを撮り、説明する。
「これが入場に必要なものだから、着いたらまず受付の人にこの写真を見せて。向こうの人が読み取ってくれるから」
庭園美術館までは電車ふたつを乗り継ぎ1時間弱。
付いていった方がいいのかと少し迷ったが(展示も魅力的)「行きたい」と思って予約もした(私がサポートしたが途中までは自力でたどり着けた)ものなので、一人でゆっくり観たいだろうと送り出した。
「展示物も良かったし、あの会場がいいわね。図録を探してたのに無かったの。今回作ってないのですって。残念」
うちの子ども達への土産のパンを手渡しながら話してくれた。
(母は外出するとたいてい、「おやつに」と言ってパンを買ってきてくれる)
一人で行って来れたこと、展示がとても良かったことは、心地よい疲れだったのだと思う。
そんな表情だったことに、私も嬉しくなった。
夫の母は、ひとり暮らしをしている。
ずっと住んでいる都営住宅は、隣もまわりも皆おばあさんが多くて、と聞く。
母とは、週末の夜にビデオ通話をする。
まず次男が電話をし、
「おばあちゃん、今からビデオ電話してもいい?大丈夫?」
と聞いてから、LINEのビデオ通話をする。
子ども達は照れや面倒くささから、あまり話したがらない。
私も遠慮するのだが、夫がスマホを持って私に画面を向けてくるので逃れられない。
母にも申し訳ない。
嫁なんかいいから、一秒でも多く息子の顔を見て話した方がいいと思う。
画面がフリーズして止まることが多々ある。
すると、
「あやしもさんのスマホのせいじゃない?私、他の人としてこんなことないもの。あなたのスマホのせいね。古いの?」
と言われる。
はい、そうですね、機種や携帯会社同士の相性がわるいのかもしれませんね、と答える。(夫はガラケーでLINEがなく、私のスマホが毎回使用される)
「今度から( 長男 )ちゃんのスマホにしてちょうだい。そうしたら止まらないから」
母のリクエストはやんわり退けられる。
長男は自分のを使われたくないのが私には分かっているので、いつも私のを使うのだ。
いいのだ、画面が止まっていたって、話せるのだし。
フリーズしているくらいがちょうどいいこともある。
夫の父が亡くなったのは、三年前の寒い雨の夜だった。
「あやしもさん。あのね……………、お父さんが、お父さんが息してないの」
夜10時近くの、母からの電話だった。
コーラスの練習に行って帰宅した母は、ベッドの前で倒れている父を見つけた。
抱き起こしてみると息がなく、すでに亡くなっていると分かった。
すく訪問看護ステーションに連絡したそうだ。
「これから看護師さんとお医者さんが来てくれるって。救急車は呼ばなくていいって。すぐ行くから待っていてと言われたの……」
電話口から聞こえる声は、いつもの気丈さのかけらもなく、震えていた。
お母さん、びっくりしたよね、大丈夫だよ、電話してくれてありがとう。いま、( 夫 )に代わるからねと受話器を夫に渡した。
雨の中、これから実家に向かう夫の身支度を準備しながら、母はいちばんにここに電話してきたのだと(訪看の次に)思うと、胸が苦しくなった。
たまたま、家にいた夫。
この日は夜遅くなると聞いていたのだが、予定がなくなり、帰ってきていた。
よかった。母が真っ先に伝えたい相手がいて、よかった。
実の母と住んでいると、羨ましがられる。
いいなぁ、気兼ねなくて。
その通りだと思うし、子どもが小さかった頃の手助けには感謝しかない。
この歳になってまで頼っていることが多いし、それを情けなく感じるときもある。
衝突もする。
腹が立つと、そのままぶつけてしまう時がある。
言うんじゃなかったと反省して、謝って、そしてまた次の日が続いていく。
老いていく親を見ていくつらさもある。
自分自身の先を重ね合わせる。
できることがゆっくりできなくなっていくのを、肌で感じる。
離れて住んでいる母と会話を交わす。
三ヶ月に一回くらいは遊びに行ったり、来たりする。
距離感を保ち、衝突をしないように心がける。
嫌みをかわす。
ひとりだと、こぼせる愚痴もたまっていくと思うので、まず聞く。
反論があっても、それをちがう言葉に置き換えるか、または伝えない。
これは私が母とつきあっていく術だ。
母とはぶつかり合わない。
出来る限り。
ふたりの母は、ふたりとも元気だ。
そのことに感謝しているし、父たちが見守ってくれているおかげだ。
自分に無理せず、これからも母たちと付きあっていこうと思う。
速すぎて見えなくても、フリーズしても。
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お読みいただきありがとうございました。
※見出し画像は、私の父の本棚です。ヤギのような動物オブジェは母が手作り市で購入したもの。ヤギではないそうですが「検索してもわからない」とのこと。
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