みょうが
夫が居ない夜に大皿によそったおかずを、息子二人が食べてしまった。
ほとんど何も乗っていない皿を前に、息子達から平謝りされたが、もうどうしようもない。
ひとり分ずつ出さなかった私がわるいのか、「お母さんの分、残してね」と毎回必ず言わないといけないのか。
仕方がないので、冷蔵庫に残っているものでおかずになるものを作る。
生協の宅配を明日に控えているため、冷蔵庫には食材がない。
かろうじて見つけたのはみょうがとちくわで、ちくわを適当に切り、みょうがは千切りにした。
ぽん酢であえてわさびで食べたら、ごはんにも合い、たいへん美味しかった。
なんという事をしでかしたのかと、頭に血が昇ることが暮らしの中で起こる。
たとえば先日は、忙しくて畳んだままの状態で食卓近くに置いてあった洗濯物に、長男がコーラをぶちまけた。
言うまでもないが、アクシデントである。
わざとではない。
ちなみに彼は、布団の上にカップラーメンをぶちまけた事もある。
布団を避けて通ろうとしたら、突然足がもつれたそうだ。
次男は部活動(野球部)の泥が身体についたまま家の中を徘徊し、足跡のみならず、土砂を撒き散らす。
夫は、何度でも食器をわる。
それも私の茶碗をよくわる。ついこの前、一週間前もわった。
水切りカゴに入っている自分の茶碗をとろうとして、上に重なってある食器をどかさず、ガチャガチャガチャと手を突っ込んで無理に引き出すからだ。
私からすると、彼ら、我が家の男性達の行動は不思議でしかない。
こうするとこうなるよね、という予測がつかないのだろうか。
それでも彼らは、家の外で、中学生や高校生や会社員をしていて、家の外の人たちから、
「やさしいのね」
「しっかりしている」
と言われているようである。
異論を唱えるつもりはなくて、実際のところそうなのだと思っている。
彼らは、とんでもないことをしでかした後、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいとひたすらに謝って、その後ケロリとしている。
3分後くらいにはアニメを観たり、ゲームをして「しね、ゴミクソやろう」と私が聞きたくない言葉を大声で言ったりしている。
すごいメンタルの持ち主たちだと感心してしまう。
私がそれをしたら居ても立っても居られないような事でも、ごめん、てへ、で済ませられる。
「それはあやしもさんが彼らを甘やかしているからですよ」というコメントは要らない。すみません、ありがとう。
甘やかしているのか絶望しているのか、もはや自分でも分からない。
私はただ、このような人たちと、「夫婦」「親子」「家族」という関係になっていて、今は一緒に暮らすことが出来ているのを、すごいことだなと感じている。
「己の心身が平穏でいられる人たちをピックアップせよ」と言ったら、まず選ばない人たちなのではないか。
巡り合わせというか運命というか、こういう人たちと一緒に、笑ったり泣いたり怒ったり弱ったりしている自分が、そんなにわるくないと思う。
たとえ家族で自分しか食べないとしても、みょうががあると助かるというのを書きたかった noteです。
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