Introduction


はじめまして。薬関係の翻訳にかかわる仕事をしている40代女性です。

この仕事に就いて食べていくことを目標にしてから数年経ち、数ヶ月前に初めてハケン社員として、現在の職場に就業することができました。非正規雇用ではありますが、専門職。ひとまず、経済的に安定したと言えます。

就業中は一日8時間、ほぼ無言。
人とのコミュニケーションはほとんどありません。

そのかわりパソコンモニターとキーボードとわたしの3者間のコミュニケーションが、ものすごい勢いで電子的に行われているという状態になるわけです。

「おはようございます」と「お先に失礼します」しか言わないで1日が終わり、2センテンス以上の言葉を発しない日々が続きます。昼休みにセブンカフェを買うための「ホットコーヒー、レギュラーで」というセリフがたまに追加されます。

ときどき、社員さんと作業の打ち合わせを5分くらいします。それもコミュニケーションの方向としては、基本的に社員さんから指示を受けとるという一方通行のわかりやすいもの。わたしからの発言も「それでは、作業内容はこういうことですよね?」という確認だけです。複数の相手と議論を重ね、結論を模索するというような、クリエイティブな会話はありません。

入社後しばらく周囲のようすを伺っていましたが、こういう流れなのだと判ってわたしはほんとうに嬉しかった。「やった。この道を選んだわたしは、正解だった」と小躍りしたいくらい嬉しかった。

そんな孤独な作業が、なぜ、そこまで嬉しいのか。

それはおそらく、わたしがアスペルガー傾向をもっているから、だと思います。

この仕事の前、わたしはチームワークで行う、上下関係が厳しい医療系の専門職に就いていました。わたしは自らの傾向を知らず、一生懸命やれば必ずスキルはあがり、腕はついてくると信じていました。しかしみんなで力を合わせて助けあう、その流れや空気を読み取ることができず、結果、職場のほぼ全員から怒りを買ってしまい、うつ状態になって精神科に行きました。そこで何種類もテストを受けて、『アスペルガー傾向の強い発達障害』と診断されました。

さて、いまの翻訳系の職場に入社してしばらく、こんな感じで自分の作業だけに集中しアクセル全開で仕事をし、充実した毎日を満喫しておりましたが、わたしには1つの不安がありました。

それは、「こんなに黙って自分の作業だけに集中してしまっていいのか」という心配です。

上司や先輩に、わたしが経験が浅いけどやる気はすごいんですとちゃんとアピールすべきではないのか。愛想笑いや雑談をして気にいられる努力や姿勢を見せるべきではないのか。なんなら下っ端として、他の社員より一時間早く出社してデスク周りの掃除くらいはすべきなのではないだろうか。(まあ、掃除はふつうに専門業者が行う大企業なので、ハケン専門職がいきなり掃除なんかしたら逆にちょっと危ない人になってしまいますが。。。)

簡単に言うと、「もっと感じ良くしなくちゃいけないのではないか?」という不安です。

それは、前職だった医療系職場で上司、先輩から向けられた大きなプレッシャーそのものでした。わたしは、その頃も休日に何時間も、自分なりの努力はしていました。しかし、努力は見せびらかすと逆に嫌味になると思ったのと、わたしの努力の種類が「ふつうの人」と異なるので周囲から理解を得られないと判っていたので、わたしは、その努力を職場の誰にも言っていませんでした。結果、「なにも努力しない人。だから何もできない人」と思われてしまいました。

ところが、いまの職場は違ったのです。

上司、正社員、先輩のハケンさん達をこっそり観察してみても、わたしに対して

「おまえ新入りのくせに愛想悪いんだよ」

的な目線はまったく感じません。また周囲のハケンさん達ご自身も、挨拶以外一言も発しないまま、淡々と1日を終えて退社されていきます。

自分の業務だけに集中していいのか!
ああこの仕事を選んでよかった。ほんとうによかった!

ここでわたし達ハケン社員に求められていることは、「業務を早く正確に行うこと」のみなのです。なんてわかりやすいのでしょうか。ここが英語を使ってある特殊な文書を作成することを専門とする部署だからということも、要因のひとつだと思います。とにかく、わたしはついに数年かけて、いわゆる『職人の仕事』を得ることができたのです。

やりたい仕事に就いて、それでごはんを食べられる。
毎日安心して帰れる自分の部屋がある。
権力のある人から、突然「おまえは不要だ」と言われる恐怖を感じなくていい。

毎夜アパートに帰り着きドアの鍵をあけて電気をつけ、お気に入りのアプリコット色のカーテンがかかった部屋に戻るとき、なんとも言えない幸せを感じます。

いいですよね。

ふつうの人に、わかるかな、この感覚。


次回は、翻訳の仕事をすると決めるまでについて書く予定です。